ウォーキング・レボリューション

地に足を付けて、自然と伝統文化に寄り添いながら、日々の生活を丁寧に送っていく。そんな暮らしの革命です。

初蛙浮かれて轢かれ地に還る

2010-03-02 23:23:23 | 歳時日記
 数日前、雨の降った後、駅に行く途中の道端でヒキガエルが轢かれて死んでいた。このところの暖かさで、冬眠から目覚めたのだろうか。そばの家に池があるらしく、雨の日には蛙の鳴き声が聞こえてくる。そして今日、ヒキガエルが道の上を移動しているのを発見した。また轢かれては大変と、家まで連れて帰って、庭に放してやった。これで2度目である。ということで、今日の一句。

  初蛙浮かれて轢かれ地に還る

 季語は、「初蛙(春)」。ヒキガエルや雨蛙は夏の季語なので、本来なら赤蛙や殿様蛙を初蛙というのであろう。ただし、ヒキガエルや雨蛙も昔は春の季語であったらしい。  もう20年以上前の話だが、梅雨の雨の降る日に、日比谷公園に行った時、そこらじゅうがヒキガエルであふれていた。60匹くらいまでは数えたが、途中であきらめてしまった。今はどうなっているのだろうか。

下萌の息吹きただよう窓の外

2010-03-01 23:23:23 | 歳時日記
 以前の日記で、旧暦の15日が必ずしも満月ではないと書いたが、今月の場合は今日が満月である。ずれる理由はいくつかある。まず、旧暦の1日は「新月を含んだ日」のことなので、新月の瞬間が午前零時から24時の直前までであれば、その日が1日ということになる。この時点で月によって約1日のずれが生じる。次に、月の満ち欠けの周期の半分は、平均で約14.76日になるので、この0.76日分だけ実際の満月が旧暦の15日よりも遅れる傾向にある。しかも、月の軌道は楕円なので、実際の日数は、13.8~15.8日の間で変化する。もっとも旧暦の時代に生きていた人は、こんな細かいことなど気にしていなかったとは思うが。。。
 今日は、七十二候の「草木萌えうごく」で、「萌えうごくとは草木が芽吹く様子、その色が萌黄色」(39頁)だそうだ。

萌黄色

萌黄色
 ここしばらく風邪を引いていて、更新ができなかったが、外の元気を分けてもらいたいという思いを込めて、一句。

  下萌の息吹きただよう窓の外

 季語は、「下萌(春)」(したもえ)です。

繭玉の鈴なり響く多摩の里

2010-02-28 23:23:23 | 歳時日記
 今日は、旧暦の小正月である。中国から暦が輸入される前は、満月の日が年の始まりとされていたらしく、その名残で小正月と呼ばれるようになったそうだ。小正月には、日本各地で様々な行事が行われるが、養蚕が盛んな地域では「繭玉(新年)」が飾られた。繭玉とは、「餅花(稲の花)の一種であり、米の粉を繭の形にして木にさしたもので、東日本に多くみられる」(139頁) ものだそうで、蚕の安全を祈るために飾る。実家でも一時期養蚕をしていたからか、今でも繭玉を作っている。ただし、自分が生まれてからは、繭玉の団子だけを作り、木にはさしていない。ということで、今日の一句。

  繭玉の鈴なり響く多摩の里

 実家では団子を米の粉で使って作っていたが、これは白繭といい、トウモロコシ粉の団子は黄繭といったそうだ。また、餡入りの少し大きめの団子も作ったが、この餡はサナギに見立てたものだそうだ。しかし、餡入り団子は、死に繭・染み繭につながるといって避けた地域もあったらしい。また、団子以外にもみかんやきんかんを飾ることもあったが、サビマユ(染み繭)になるからと嫌う人もいたそうだ。
 繭玉の団子は、16日か17日に収穫に見立てて枝から外す。団子は、小豆粥に入れたり、囲炉裏の灰に埋めて焼き、醤油などを付けて食べたそうだ。地域によっては、焼くと焼け繭(屑繭)になるからと焼かずにふかして砂糖をかけて食べたり、醤油を付けると屑繭ができるからと焼くだけでそのまま食べたりしたそうだ。昔の人の養蚕への思いが感じられる話だが、自分はそんなことは知らずに、オープントースターで焼いて、醤油を付けて食べていた。

不知火の潮風に舞えどんど焼き

2010-02-27 23:23:23 | 歳時日記
 2003年1月に「市民のための環境公開講座」の番外編として企画された水俣エコツアーに参加した。案内役は、地元学の生みの親の吉本哲郎さん。初日は、水源と水の神様、棚田と田の神様、吉本さんの家の水使いと有用植物を見学した。二日目は、環境マイスターでお茶の無農薬栽培をしている天野茂さんの畑を中心に地元学の実習を行った。最終日は、水俣病の語り部で、数年前に亡くなられた杉本栄子さんのお話を伺った。
 原因不明の奇病・伝染病と言われた水俣病の患者や家族に対して様々な差別と偏見が加えられた。夜ともなると患者のいる家の雨戸には石の雨が降った。そのため、発病者が出た家では、周りに知られないように患者を家の中に閉じ込めることもあった。チッソの企業城下町だった水俣では、チッソに勤める人も多く、たとえ身内に患者がいたとしても、チッソに対して批判の声を上げることは難しかった。また、批判する人に対しては、チッソが金を積み、一人また一人と反対派を買収していった。こうして、水俣では、自然が破壊されただけでなく、人と人との関係もまた壊されていった。
 水俣湾は、1977年から始まった水銀ヘドロの除去と埋め立て、その後の環境復元事業の結果、今では20種類以上のサンゴの生息が確認されているそうだ。しかし、その代償として、広さ58.2haの埋立地の下には、大量の水銀ヘドロと、ドラム缶詰めの魚たちが今も眠っている。一方で、水銀濃度25ppmを下回る汚泥は、今も水俣湾と八代海(不知火海)に残されたままだ。
 ツアー中の1月14日(新暦)に、地元の「どんど焼き(新年)」に参加させてもらった。ここでは、青竹を数本立てて、その周りに正月飾りを積み上げて焼いていた。ということで、今日の一句。

  不知火の潮風に舞えどんど焼き

 水俣では地域再生の取り組みを「もやい直し」と呼んでいる。そして、「火のまつり」を始めとした様々な試みは、今も続けられている。

絹まとう御岳の山の初霞

2010-02-26 23:23:23 | 歳時日記
 実は2日前の七十二候「霞始めてたなびく」の意味を理解するまで、霞が棚引くという現象をあまり意識していなかった。言われてみれば、確かに遠くの空が薄ぼんやりして、霞が棚引いている。そして、体にも春の温もりが感じられる。
 歳時記にも「霞は春の季語として親しい。新春の野山にたなびく霞を、敢えて『初霞(新年)』、新霞という。関東以北では、新暦の正月に霞を見ることは稀であるから、一般的にいえば旧正月の季題としてふさわしい」(60頁)とある。
 霞も霧も大気が薄く濁って遠くのものがぼやけて見えなくなる現象をいうが、霞は文学表現であり学術的な定義はないそうだ。俳句では、霞が春の季語、霧が秋の季語とされる。同じ現象でも夜はとくに朧という。
 では、今日の一句。

  絹まとう御岳の山の初霞

 ちなみに、この句は霞台と呼ばれる地区にあるビルからの眺めを詠んだものである。この地区は、平地で特に霞が発生するようなところとは思えない。ひょっとすると、周りの山々がよく霞んで見えたから付けられた名なのかもしれない。

達磨市目当ては横の夜店かな

2010-02-25 23:23:23 | 歳時日記
 小さい頃、毎年1月12日(新暦)に立つ地元の「達磨市(新年)」によく行っていた。実家では今でも毎年達磨を買っていて、神棚には4年分の達磨が仲良く並んでいる。今年は、夕方からみぞれ混じりの天気だったが、それでも延期せず市がたったそうだ。
 達磨は、「商売繁盛、合格祈願、無病息災、家内安全等々開運の縁起物として家々で飾られているが、多摩ではこれが広まったのは養蚕に伴って」(224頁)だそうだ。なんでも多摩地域では繭玉のことをメエダマとも呼び、達磨の目玉にひっかけて、買った達磨に片目を入れることで沢山繭が取れるように願をかけたからだそうだ。
 実家でも一時期養蚕をやっていたので、その名残で今でも達磨を買っているのかもしれない。しかし、小さい頃は、そんなことは露とも知らず、露店の焼きそばや綿菓子、おもちゃなどが目当てで父の後をついて行った。ということで、今日の一句。

  達磨市目当ては横の夜店かな

鏡餅岩から溶けて餅の肌

2010-02-24 23:23:23 | 歳時日記
 今日は、七十二候の「霞始めてたなびく」で、「春めいて空に霞がたなびく」(39頁)頃だそうです。鳥たちの鳴き声もすっかり春めいてきて、日々過ごしやすくなってきました。
 今日は、旧暦の鏡開きです。実家では11日に行っていますが、日は地域によって異なるそうです。正月に年神に供えた鏡餅を雑煮や汁粉にして食べるらしいですが、実家ではいつもお汁粉にしていました。鏡餅は刃物で切ることを忌み、鎚などを用いて割って、開くというそうですが、実家の餅は餅つき機で作っていたせいか、自然にひび割れることも多かったです。今年の正月(新暦)は、横着をして、自然食品店で売っていたパックの鏡餅を買ってきましたが、いざ鏡開きをしようとした時、説明書に包丁を使って切って下さい、と書いてあって、拍子抜けをしました。餅が柔らかく、とても鎚で割れそうになかったので、結局、包丁で切ることにしましたが。。。
 鏡餅といえば、焼いた時に、中の方の柔らかいところが、溶けだして、ぷくっと膨らむところがなんとも楽しいです。固いところと柔らかいところの歯ごたえの違いもまた楽しめます。ということで、今日の一句。

  鏡餅岩から溶けて餅の肌

福寿草ぬくもり集め客を待つ

2010-02-23 23:23:23 | 歳時日記
 この時期、実家の裏庭に「福寿草(新年)」の花が咲きます。いつ頃から植えられたものかよく分かりませんが、花は一重で金平糖状の果実をつけます。江戸時代から正月の鑑賞用に栽培され、たくさんの栽培種があったそうです。一時期、栽培が途絶えましたが、今では50種ほどが復活しているそうです。実家のある地域では、明治初期から大正にかけて栽培し、東京などに出荷していたらしいです。園芸種は、八重咲きのものが多いので、実家のものは、どこからか自生種を手に入れたのではないでしょうか。別名、元日草(がんじつそう)や朔日草(ついたちそう)と呼ばれますが、新暦の新年に合わせようとすると促成栽培になってしまうようです。
 福寿草は、春の訪れを告げる花ですが、この時期はまだ気温も低いので、受粉を助けてくれるハナアブを呼ぶために特別な工夫をしているようです。福寿草の「花ははじめ地面に接するように咲いているが、花の柄が伸びてくると、太陽を追いかけるようになる。つねに太陽のほうを向き、光沢のある花びらが凹面鏡のように光を集めるのだ。そのため花の中の温度は外より10℃近くも高くなる」(59頁)そうです。火鉢のような花の中で暖まったハナアブは、花から花へと飛び回り、花粉を運んでくれるという仕組みです。ということで、今日の一句。

  福寿草ぬくもり集め客を待つ

嫁が君我が家はいつも嫁のまま

2010-02-22 23:23:23 | 歳時日記
 「嫁が君(新年)」とは、「鼠の呼び名である。ただし、正月の三が日に限り使われる忌詞(いみことば)である。昔から鼠は福の神とか、大黒様のお使いなどと呼ばれたので、正月にはこれをもてなす地方もある」(496頁)とのこと。「嫁」は「夜目」から来たのだとか。鼠の場合、夜目が利くというより、鼻が利くだと思うのですが。
 「秋茄子は嫁に食わすな」という諺の解釈には諸説あるそうですが、その一つに、「秋なすはおいしいので、嫁(鼠)に食わせるのはもったいない」という説があるそうです。我が家に住んでいる鼠たちは、三が日と言わず、大根やら白菜やら菓子パンやらなんでも好き放題に食べています。というわけで、今日の一句。

  嫁が君我が家はいつも嫁のまま

 ちなみに、猫の忌詞は、「皮袋」だそうです。猫は鼠を食べてくれるので、忌詞を使う必要はないと思いますが。なぜでしょうか。我が家では、鼠対策として食べ物を皮袋に入れてしまうことにします。

神棚に我が手で縒った牛蒡注連

2010-02-21 23:23:23 | 歳時日記
 今日の季語は、「注連縄(新年)」でいきたいと思います。「注連縄は、昔から神聖な場所を限って内と外の区別をつけ、不浄の侵入を防ぐしるしだった。元旦には注連縄を張って魔除けとする。左縒りの縄で、藁の端を出しておく。種類はいろいろある。縄から藁をいちめんに垂らし、白幣を挿した前垂れ注連がよく見られるほか、太く短くして藁を垂れない大根注連、やや細長い牛蒡注連などがある」(117頁)そうです。ということで、今日の一句。

  神棚に我が手で縒った牛蒡注連

 ある家では、稲がまだ青いうちに刈って陰干ししたものを用いたそうです。藁には格別気を使い、踏んだりまたいだりはせず、また、鎚で打たずに水を含ませて柔らかくし、手には唾でなくきれいな水をつけて綯ったそうです。
 今更ですが、注連縄は神聖なものだったのですね。実は数年前に作った牛蒡注連を仕込んだ味噌の蓋代わりに使ってしまいました。本来ならどんど焼きで焚き上げなければならなかったようです。当たり前ですか。
 日本では藁を使って生活に必要なものを色々と作っていました。縄に始まり、草履に草鞋、ムシロに米俵、座布団に蓑、とたくさんあります。おまけに、使い古して壊れてしまったものは、腐らせて肥料にもしました。茅葺や藁葺屋根も傷んだものは肥料にしたそうです。葺き替え時に、屋根からカブトムシの幼虫が出てくることもあったとか。このすばらしい藁の文化がこれからも残っていって欲しいものです。