12月5日は鈴木その子の命日。 今年は七回忌。
晩年は、ガングロ(顔黒)の女子高生を美白に変身させる『美白の女王』としてTVで大活躍。
その様子をご存知の方は多いだろうけど・・・
本当の鈴木その子の姿を知る人は、意外と少ない。
というわけで・・・
今日は『鈴木その子』がどんな人物だったのかを書いてみようと思う。
【注意!】
ココに記されている内容は、荘之助が個人的に集めた資料をもとに編集をしたものです。
よって、事実と相違する点があるかもしれません。
1932年
東京・目黒に生まれる。
【その子】はペンネームで、本名は【荘能子】(そのこ)。
この名前は「天下を取る相をしている」とお坊さんが付けた名前らしい。
その後、幼少の頃より料理の才能を発揮。
1952年
学習院女子短期大学・家庭生活科(食品化学専攻)卒業と同時に結婚。
専業主婦の時代がつづく。
1974年
父の遺産を元に、株式会社ときの商事を設立。
銀座にレストラン「トキノ」をオープン。
1977年
六本木に新日本料理と銘打って、レストラン「トキノ」をオープン。
1980年
「やせたい人は食べなさい」を出版。ミリオンセラーとなるが、と同時にその子バッシングがはじまる。
トキノエバグリーン料理研究所開設。
「ダイエット講習会」を六本木のレストランではじめる。
年末には、2冊目となる「やせたい人の献立集(メニュー)」を出版。
1981年
「3週間でやせる毎日のおかず」を出版。
1982年
「野菜菓子」で国内特許取得。
野菜菓子コーナーが西武百貨店池袋店にオープン。
1983年
「カロリーなんか忘れなさい」を出版。
「特許野菜菓子」が東京都発明特別賞を受賞。
1984年
「鈴木その子のスーパーダイエット」を出版。
鈴木式食養法を実践している人の会「トキノ会」発足。
第7回日本プライマリ・ケア学会で「肥満、成人病に及ぼす食養の効果」を発表、推薦論文となる。(医療関係者が集まる学会での発表は、異例のこと)
「鈴木その子のやせるクッキングテクニック」を出版。
1985年
「鈴木その子の食養法 男のスーパーダイエット」を出版。(男性向けに書かれた本、もちろん内容も男性の興味をひく内容となっている)
「鈴木その子の秘密のスーパーダイエット」を出版。
銀座松坂屋に「鈴木その子オリジナル料理の店トキノ」をオープン。
「鈴木その子のやせる処方箋」(鈴木式食養法初のビデオ)をリリース。
1986年
「鈴木式・食べ方の処方箋」を出版。
「食因病に克つ」を出版。
「EAT to LOSE WEIGHT」をアメリカで出版。(アメリカ版「やせたい人は食べなさい」)
米国出版記念講演会をアトランタで開催。
1987年
「脱海草臭処理をした海草入り洋菓子類の製造方法」で国内特許を取得。
「鈴木その子スーパーフーズショップ&レストラン トキノ」を松坂屋大阪店にオープン。
1988年
その通りに食べるだけで結果がでる「1週間の処方献立」を発売開始。
1989年
念願だった「化粧品シリーズ」の販売開始。(料理で内からの美・化粧品で外からの美)
美白の女王として知られた鈴木その子でしたが、実は化粧品の販売に至るまでには、創業から約15年の歳月が。
1990年
「新やせたい人は食べなさい ストレスフリー・ダイエット」を出版。
鈴木式補助食品「G.G」を発売。(アトピー・不妊症・拒食症の人々から良い結果がというしらせが多数もたらされる)
1991年
「鈴木その子ブティック トキノ名古屋店」を名古屋松坂屋にオープン。
1992年
「奇跡のダイエット」を出版。初めて自らの出発点(愛息の不慮の事故)を明かす。
「拒食症の子どもたちを守る会」を発足。
「鈴木その子ブティック&サロン」を銀座にオープン。
「鈴木その子のやせる調理革命」を出版。
「新やせたい人は食べなさい」を韓国で出版。
自律神経の働きに着眼した香水「その子香水」を発売。
1993年
「鈴木その子 美しさの青い鳥」(ビデオ)をリリース。
「鈴木その子のダイエットへの道」を出版。
「鈴木その子のやせるダイエット革命」を出版。
「鈴木式ダイエットのすべて」(ビデオ)をリリース。
「鈴木その子の美肌革命」を出版。
1994年
「時のダイエット 鈴木式の極意」を出版。
「鈴木その子のダイエット心理作戦」を出版。
「油を使わないマヨネーズ」の製法特許をヨーロッパ・カナダで取得。
1995年
「マンガでバッチリ!! 鈴木式ダイエット」を出版。
「過食・拒食からの脱出」を出版。
1996年
「幸せをよぶダイエット 鈴木その子のタリズマンパワー」を出版。
「鈴木その子のやせる水・太る水」を出版。
『鈴木その子の「超」ダイエット法』を出版。
「鈴木その子の水」(ビデオ)をリリース。
1997年
「油を使わないマヨネーズの製法」で国内特許を取得。
「鈴木その子の化粧品のすべて」(ビデオ)をリリース。
「鈴木その子のDQ(ダイエット指数)やせる法則がわかった」を出版。
1998年
『キレるキレないは「食」で決まる-ドカ食いは脳のキレが原因だった』を出版。
本社ビル竣工。
「未来ナース・その子の花園」が放映され、美白ブームが巻き起こる!
「その子の美容革命 白肌は絶対オトクよ!」を出版。
「鈴木その子 美の総合館」を銀座にオープン。
化粧品製造業の認可取得。(自社での化粧品製造が可能に)
「笑っていいとも!」(TV)に準レギュラーとして出演開始。
「鈴木その子の幸せをつくる生き方」を出版。
1999年
「やせたい人は食べなさい<決定版>奇跡の鈴木式・スーパーダイエット」を出版。
ミスワールドフランス代表選考会名誉審査委員長として渡仏。
「鈴木その子のおしゃれレクチャー」を出版。
ミスワールド世界大会特別ゲストとして渡英。
鈴木式補助食品「荘水」を発売。(「G.G」同様、多くの支持を得る)
「日本ゆうもあ大賞・グランプリ」を受賞。
2000年
「日本雑学大賞」を受賞。
ブランド「SONOKO」がパリ・コレクション進出決定。
日本人初、パリコレ組合連名より「エヴェヌマン」の扱いを受ける。
フランス「FEDERATION FRANCAISE DES DENTELLES ET BRODERIES」よりベルメイユゴールドメダルを受賞。
「鈴木その子のキレイになれる美造講座」(びつくりこうざ)を出版。
「鈴木その子のやせる本格レシピ」を出版。
「鈴木その子のシンプルダイエット」を出版。
念願だった「その子浄水器」の販売。(それまでは、ゼネラルエコロジー社の「シーガルフォー」を薦めていた)
10月:ホテルリッツにて「SONOKO SUZUKI 2001 ~ SPRING&SUMMER PRET-A-PORTER PARIS COLLECTION」を開催。
11月:最後の著書「鈴木その子のこれが究極!食べてやせる料理」を出版。
12月:ご逝去(享年68歳)
とまぁ、こんな感じでしょうか。
一介の主婦だった鈴木その子は、父の遺産をもとにレストラン事業をはじめます。
愛息を拒食症で失ったことをきっかけに「健康になるための食」の研究をはじめます。
その奇抜な理論のためバッシングを受けることもしばしば、しかしその理論を完璧なものにするべく様々なことにチャレンジしていくのです。
そして料理の理論に目処がつくと、「美と健康」の面から化粧品の開発に取り組みます。
そしてその美容理論もユニーク。
それが「美白の女王」として世間の耳目をひくのです。
そしてやせて見える服をテーマにパリコレに臨みます。
歩みを止めることのなかった駆け足の人生。
まさに「愛の心で生きた」人生なのでした。
晩年は、ガングロ(顔黒)の女子高生を美白に変身させる『美白の女王』としてTVで大活躍。
その様子をご存知の方は多いだろうけど・・・
本当の鈴木その子の姿を知る人は、意外と少ない。
というわけで・・・
今日は『鈴木その子』がどんな人物だったのかを書いてみようと思う。
【注意!】
ココに記されている内容は、荘之助が個人的に集めた資料をもとに編集をしたものです。
よって、事実と相違する点があるかもしれません。
1932年
東京・目黒に生まれる。
【その子】はペンネームで、本名は【荘能子】(そのこ)。
この名前は「天下を取る相をしている」とお坊さんが付けた名前らしい。
その後、幼少の頃より料理の才能を発揮。
1952年
学習院女子短期大学・家庭生活科(食品化学専攻)卒業と同時に結婚。
専業主婦の時代がつづく。
1974年
父の遺産を元に、株式会社ときの商事を設立。
銀座にレストラン「トキノ」をオープン。
1977年
六本木に新日本料理と銘打って、レストラン「トキノ」をオープン。
1980年
「やせたい人は食べなさい」を出版。ミリオンセラーとなるが、と同時にその子バッシングがはじまる。
トキノエバグリーン料理研究所開設。
「ダイエット講習会」を六本木のレストランではじめる。
年末には、2冊目となる「やせたい人の献立集(メニュー)」を出版。
1981年
「3週間でやせる毎日のおかず」を出版。
1982年
「野菜菓子」で国内特許取得。
野菜菓子コーナーが西武百貨店池袋店にオープン。
1983年
「カロリーなんか忘れなさい」を出版。
「特許野菜菓子」が東京都発明特別賞を受賞。
1984年
「鈴木その子のスーパーダイエット」を出版。
鈴木式食養法を実践している人の会「トキノ会」発足。
第7回日本プライマリ・ケア学会で「肥満、成人病に及ぼす食養の効果」を発表、推薦論文となる。(医療関係者が集まる学会での発表は、異例のこと)
「鈴木その子のやせるクッキングテクニック」を出版。
1985年
「鈴木その子の食養法 男のスーパーダイエット」を出版。(男性向けに書かれた本、もちろん内容も男性の興味をひく内容となっている)
「鈴木その子の秘密のスーパーダイエット」を出版。
銀座松坂屋に「鈴木その子オリジナル料理の店トキノ」をオープン。
「鈴木その子のやせる処方箋」(鈴木式食養法初のビデオ)をリリース。
1986年
「鈴木式・食べ方の処方箋」を出版。
「食因病に克つ」を出版。
「EAT to LOSE WEIGHT」をアメリカで出版。(アメリカ版「やせたい人は食べなさい」)
米国出版記念講演会をアトランタで開催。
1987年
「脱海草臭処理をした海草入り洋菓子類の製造方法」で国内特許を取得。
「鈴木その子スーパーフーズショップ&レストラン トキノ」を松坂屋大阪店にオープン。
1988年
その通りに食べるだけで結果がでる「1週間の処方献立」を発売開始。
1989年
念願だった「化粧品シリーズ」の販売開始。(料理で内からの美・化粧品で外からの美)
美白の女王として知られた鈴木その子でしたが、実は化粧品の販売に至るまでには、創業から約15年の歳月が。
1990年
「新やせたい人は食べなさい ストレスフリー・ダイエット」を出版。
鈴木式補助食品「G.G」を発売。(アトピー・不妊症・拒食症の人々から良い結果がというしらせが多数もたらされる)
1991年
「鈴木その子ブティック トキノ名古屋店」を名古屋松坂屋にオープン。
1992年
「奇跡のダイエット」を出版。初めて自らの出発点(愛息の不慮の事故)を明かす。
「拒食症の子どもたちを守る会」を発足。
「鈴木その子ブティック&サロン」を銀座にオープン。
「鈴木その子のやせる調理革命」を出版。
「新やせたい人は食べなさい」を韓国で出版。
自律神経の働きに着眼した香水「その子香水」を発売。
1993年
「鈴木その子 美しさの青い鳥」(ビデオ)をリリース。
「鈴木その子のダイエットへの道」を出版。
「鈴木その子のやせるダイエット革命」を出版。
「鈴木式ダイエットのすべて」(ビデオ)をリリース。
「鈴木その子の美肌革命」を出版。
1994年
「時のダイエット 鈴木式の極意」を出版。
「鈴木その子のダイエット心理作戦」を出版。
「油を使わないマヨネーズ」の製法特許をヨーロッパ・カナダで取得。
1995年
「マンガでバッチリ!! 鈴木式ダイエット」を出版。
「過食・拒食からの脱出」を出版。
1996年
「幸せをよぶダイエット 鈴木その子のタリズマンパワー」を出版。
「鈴木その子のやせる水・太る水」を出版。
『鈴木その子の「超」ダイエット法』を出版。
「鈴木その子の水」(ビデオ)をリリース。
1997年
「油を使わないマヨネーズの製法」で国内特許を取得。
「鈴木その子の化粧品のすべて」(ビデオ)をリリース。
「鈴木その子のDQ(ダイエット指数)やせる法則がわかった」を出版。
1998年
『キレるキレないは「食」で決まる-ドカ食いは脳のキレが原因だった』を出版。
本社ビル竣工。
「未来ナース・その子の花園」が放映され、美白ブームが巻き起こる!
「その子の美容革命 白肌は絶対オトクよ!」を出版。
「鈴木その子 美の総合館」を銀座にオープン。
化粧品製造業の認可取得。(自社での化粧品製造が可能に)
「笑っていいとも!」(TV)に準レギュラーとして出演開始。
「鈴木その子の幸せをつくる生き方」を出版。
1999年
「やせたい人は食べなさい<決定版>奇跡の鈴木式・スーパーダイエット」を出版。
ミスワールドフランス代表選考会名誉審査委員長として渡仏。
「鈴木その子のおしゃれレクチャー」を出版。
ミスワールド世界大会特別ゲストとして渡英。
鈴木式補助食品「荘水」を発売。(「G.G」同様、多くの支持を得る)
「日本ゆうもあ大賞・グランプリ」を受賞。
2000年
「日本雑学大賞」を受賞。
ブランド「SONOKO」がパリ・コレクション進出決定。
日本人初、パリコレ組合連名より「エヴェヌマン」の扱いを受ける。
フランス「FEDERATION FRANCAISE DES DENTELLES ET BRODERIES」よりベルメイユゴールドメダルを受賞。
「鈴木その子のキレイになれる美造講座」(びつくりこうざ)を出版。
「鈴木その子のやせる本格レシピ」を出版。
「鈴木その子のシンプルダイエット」を出版。
念願だった「その子浄水器」の販売。(それまでは、ゼネラルエコロジー社の「シーガルフォー」を薦めていた)
10月:ホテルリッツにて「SONOKO SUZUKI 2001 ~ SPRING&SUMMER PRET-A-PORTER PARIS COLLECTION」を開催。
11月:最後の著書「鈴木その子のこれが究極!食べてやせる料理」を出版。
12月:ご逝去(享年68歳)
とまぁ、こんな感じでしょうか。
一介の主婦だった鈴木その子は、父の遺産をもとにレストラン事業をはじめます。
愛息を拒食症で失ったことをきっかけに「健康になるための食」の研究をはじめます。
その奇抜な理論のためバッシングを受けることもしばしば、しかしその理論を完璧なものにするべく様々なことにチャレンジしていくのです。
そして料理の理論に目処がつくと、「美と健康」の面から化粧品の開発に取り組みます。
そしてその美容理論もユニーク。
それが「美白の女王」として世間の耳目をひくのです。
そしてやせて見える服をテーマにパリコレに臨みます。
歩みを止めることのなかった駆け足の人生。
まさに「愛の心で生きた」人生なのでした。
名古屋にもお店があったんですね~(・o・)! またできたらマメに行けるのにぃ… 定例会にも行ってみたいです。ところでX'mas会には行かれるんですか~??
ってゆーか、行く気もないのですが。
鈴木その子が生きていてくれたころは、すごい勢いで予約が埋まっちゃったみたいですけど。(その当時は行ってみたかった)
ちなみに一度も行ったことはありません。
定例会は勉強になりますよ!
その子先生の講演VTRも流れるし。
Dr.山中のお話も面白いし。(ちょっぴり鈴木式理論と違うところもあるけど)
自分でつくれる料理の紹介もあるしね!
ありがとうございます。