むかし聞いたことがあるぐらいでまったく詳しく知らなかった。
サカゲンさんのブログでみて調べてみた!
大戦前、朝鮮と満州の国境を流れる鴨緑江上流(中朝国境)にあるダムである。
日本統治時代の末期に8年の歳月をかけて建設される。
建設費用5億円は野口遵(のぐちしたがう)の朝鮮窒素肥料(現チッソ)が負担。
(当時の5億円は「東京下関間の新幹線建設費用に匹敵する)
建設は西松組と間組が施行して1944年3月に完成!
高さは106m、幅900m、貯水量116億㎥、水豊ダム湖は長さ100㎞・面積345㎡(琵琶湖の半分)
1930年後半のダム建設初期
発電タービン用の水管据え付け工事
タービン据え付け
ダムの放水
発電制御室
水豊水力発電所は60万kWの発電能力を持ち終戦間際の1944年3月に完成した。
発電機は7基、50Hz用3基と60Hz用3基、1基は両用、東芝製10万kW級ほ世界初、制御盤は富士電機。日本の持つ重電技術の粋を集めた。
1945年、卑怯にもソ連の侵攻により、7基の発電機のうち5基を略奪、カザフスタン共和国のエルテイシ川上流のダムで確認された。
1950年の朝鮮戦争でも米軍の爆撃目標になり破壊されたがダムは強固に持ちこたえ電力を北朝鮮に供給継続した。
北朝鮮の復興の基礎となり多くのエネルギーを供給し続けた。
その強力な発電能力は北朝鮮に戦後から莫大な富と電力をもたらし、1948年春に金日成主席によって国章に含まれるまでなっている。
日本が戦前、朝鮮で行ったプラス面はなんにも言わんで、悪い事ばかり掘り出して騒ぐ朝鮮人ですから、この水豊ダムでさえ誰が作ったものか、そのおかげでどれだけ豊かになったかなどは国民には知らされてないでしょうね。
いや、知らされても、「このダムは朝鮮人民が造った」となってるでしょうね。
確かに土を運んで働いた労働者は現地の朝鮮人ですから嘘ではないですけど、企画して計画を立てて設計して金を出したのは日本人ですからこの場合は日本人が造ったというのが普通だと思いますが・・・・・
・・・・・ここは、違うんだわぁ~~~~!
今回の輸出優遇処置の取りやめも一方的に騒いでいるが、この半島の国は約束を守らないことを前提として付き合わないといけません。いや出来るだけ付き合わない方がいいですね。入国審査も厳しくすべきですね!