全線運転再開後、キハ110+キハ120の2連ばかり目立つ様な気がしてきました。ほんの30分くらい前までは、何処に太陽があるかさえわからないくらいの霧でしたが、切れだすとあっという間に晴れてきました。近くにいらした巨匠のご加護だと信じています。 22,10,02 08:20頃 会津川口―本名 423D Canon EOS1DX MarkⅢ
02日の朝は04:50にタイマーで起床。シャワー浴びて眼を覚まして身支度をして05:20にホテルを出発しましたが、よくあることですが会津盆地はすごく濃い霧でとても撮影出来るコンディションではありません。そのため根岸ー新鶴間で423Dと422Dを撮影する予定が会津盆地の撮影を諦めて移動開始。運転再開区間である本名ー会津川口間で426Dと423Dを撮影することに。426Dは薄陽だったものの423Dは偶然にも横で撮影されていた巨匠鉄道プロカメラマンのご加護でドピーカンで撮影が出来ました。
運転再開区間の会津川口ー只見間は日中走らぬ日中線ならず只見線なのでその後は駐車場の木陰で運転再開記念列車の9423レを待つ事にします。
この日の運転再開記念列車は昨日とは異なり定時に晴天の本名・夏井川橋梁を通過していきました。
その後は追い掛けはせず、上りの9424レの撮影地である会津大塩ー会津横田間に向かいましたが、既に撮影地には多くの三脚か立ち、駐車の車が列をなしていて三脚は立てられても、駐車はできない様子なので現場での駐車は諦めて、試運転の際に警察官から〝あそこななら駐車は黙認する〝と言われた場所で駐車完了。
昨日は遅れたのでお陰で撮影地がバラけましたが、定時運転だと光線が良い場所が限定されこの撮影地は大変なことになって来ましたが、年齢層が高いせいか和気藹々で試運転の殺伐とした雰囲気ではなく心落ち着けて撮影が出来て満足です。
9424レは定時に通過。みなさん、急いで追っ掛けへ向かわれましたが我々は移動せず後続の430Dを撮影することにしました。まぁ、後続の気動車を撮影するなんて言う変人は我々だけかと思ったら、10人以上が居残り、本当に只見線の好きものが残った感じでした。
斜光線で430Dを撮影後は430Dか会津川口で交換してくる427Dを本名ー会津越川間で撮影して、本日の撮影と言うよりM君とやって来た二日間の只見線全線運転再開の撮影は全て終了です。
前日は遅れたために撮影地がばらけましたが、この日は定時運転なので光線の良い撮影地が限定されてこの撮影地に集中してしまったようです。 22,10,02 14:00頃 会津大塩―会津横田 9424レ Canon EOS1DX MarkⅢ
翌日の03日も晴れるなら残留も視野にあったのですが、天気予報はあまり良い事を言ってないので帰路に着くことにします。
日曜日の夕方なので東北道は大渋滞が予想されいつ都内に入れるか不安が残ります。もちろん無職年間生活者は何時帰着でも良いのですがM君はサラリーマンの身で、さらに月曜日は早番で早起きしなくてはならないと言うのでM君には会津鉄道会津田島駅から浅草行〝リバティー〝に乗ってもらうことにしました。そうすれば帰りの時間がほぼ確定するし車内では酒を呑んで寝ていれば体力的にも楽と判断したからです。さらに鉄ちゃんだから関東近郊の4時間の特急の旅は楽しくない訳がありません。そんな訳で会津田島駅には発車の40分前に車内で楽しむ食料を購入の上、到着することができました。
二日間の礼を言って私は第三代目D型FORESTERで引き続き南下する事に。東北道は渋滞の中、事故も発生した様で東北道を使わずに国道4号ー4号バイパス経由で首都高新井宿へ向かう事にします。
東北道の渋滞とは裏腹に一般道経由は極めて快適に走れて、4号バイパス名物の準高速運転になるので、速度を自制しながら運転しました。
いつも上りで4号バイパスを利用すると古河あたりのトンカツ屋に入るのですが、今回もまだ営業中だったので立ち寄り、美味しいロースカツ定食をいただきお腹も満足してから、さらに南下。
首都高も順調に走れて自宅マンションには22:50到着で結果論から言えばM君を会津田島駅で突放しなくても良かった鴨しなくても良いくらいに到着出来ました。
国道を走っていてちょっと気になった撮影地に最後、立ち寄ってみました。画面上の木々が切れてしまったのが痛恨のミスです。 22,10,02 15:45頃 本名―会津越川 427D Canon EOS1DX MarkⅢ