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30年前の8月 No4 いざ伊豆急下田へ! PC臨時”踊り子”運転


 オール電車運転を前提として起伏の激しい線路形状の伊豆急線にゴハチが入線するなんて誰が予想できたでしょうか? 世の中がバブル真っ只中で”行け~行け!ドンドン!”と言う世相だったからなせる業でしたが、この100t近いEL入線のおかげで伊豆急線の軌道はめちゃくちゃになり今をなお、その影響が続いていると聞いたことがあります。
 写真はサロンエクスプレス東京運用開始前で苦肉の策としてスロ81系で運転されたスペシャル踊り子版に相当する”お座敷踊り子”。翌年からはサロン踊り子としてサロンエクスプレス東京で運転されていますので1年限りの貴重な列車です。なお、この列車が旧型客車での最後の特急列車となったと記憶しています。  83,08,13 伊豆急富戸 9021レ TRI-X スキャナー : Nikon COOLSCAN ⅣED


 30年前と言えば瞬はバブルがはじける寸前、世の中は好景気に浮かれていた時代でした。金は金を生む時代で、土地の高騰で金持ちはその辺にいくらでもいる様な世相でした。好景気はレジャー産業の旅行業界にも波及し行楽シーズンともなれば何処の観光地も満員御礼状態でした。その中で唯一、湿気ていたのは膨大な赤字を抱えた(実は政府・自民党が仕組んだ虚像の赤字でしたが・・・)国鉄だけでした。しかし、観光地への需要は逼迫していたために、公共輸送機関として手元にあるタマ(現有車両)でその需要に対処しなくてはなりませんでした。
 今でさえ伊豆半島はけして道路が整備されているとは言いがたく、それが30年前であれば更に不便で、当時の伊豆への観光はまだまだ鉄道の需要が大勢と言う時代でした。それは特に夏場に顕著で海水浴シーズンは伊豆半島全体が車で埋め尽くされ、半島が巨大な駐車場化すると表現する人がいるくらい渋滞が激しいものがありました。
 国鉄当局も以前から夏には使える車両を総動員して伊豆への需要に対して対処していましたが、それでも週末は混雑で列車の遅延や乗り残しが発生していました。スジはまだ余裕があるのに車両がない赤字だから(充当出来る)車両を造れないと言う状態に、国鉄当局は苦肉の策として夏の繁忙期には遊んでいる団臨用の14系に眼をつけEF58をで牽引して伊豆急下田まで乗り入れる奇策を立てました。ただ、問題もありました。113系や100型でもその性能をフルに使わないと追っつかないダイヤや電車列車走行を前提として建設さた伊豆急線に重さが100t以上のゴハチが入線して橋梁が耐えられるのか?と言う問題がありました。やはり運転開始するとアップダウンの点在する伊豆急線内を電車の同じスジで運転する設定は土台無理な話なのが誰の眼にも強引だった事がわかりました。計画段階で遅延覚悟の設定だったのでしょう。運転が始まると当該列車を中心に数分の遅延が発生しましたが、他列車の(電車)運転士が遅れ回復に努めると言う伊豆急ならではのチームワークで伊東での場面ではほとんど遅れなしで引き継ぐと言う光景に国鉄とは異なる社風を見た気がしました。
 そして6月からはじまった試運転を経て、7月25日の営業運転初日にこぎつけました。機関車牽引といえばED25の貨物列車の印象が強かった伊豆急にゴハチ牽引の”踊り子”はあまりにも魅力的でした。この頃、私のゴハチへの想いは頂点だったかもしれません・・・が、故に伊豆急通いになったのは言うまでもありませんでした。


 ロクイチ様の”踊り子”が運転されている仕事の日はすこしゆっくり帰宅して、横浜でバルブ撮影して帰ることもありました。まだまだのんびりしていた時代でしたので同業者も平日ならいても数人でした。この日は私以外にもうひとりだけだと記憶しています。時変で上1番で退避している153系が良い雰囲気を出しています。    83,08,** 横浜 9024レ

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