当時、この場所が一番お気に入りでした。昇圧され丸窓電車5200型が引退するまで何度ここで撮影したかわかりません。丸窓電車のサヨナラ運転もここで撮影しています。たしかこのお立ち台はため池の堤防だったと思います。 82,11,13 上田交通 中野
夜の帳が落ちるまで富士急行で撮影後、韮崎から国道141号線を中込まで走り、その後はコンビニなど沿線に存在しない真っ暗な国道142号―254号―152号を経由して上田交通沿線に入りました。
さて、生まれてはじめての○ヨは何処にするか、迷った挙句になんと中塩田駅あたりの空地を選びました。今だったら適当な駅前を選ぶのですが、当時は何処を選べばベストなのかわからず結局、真っ暗な空地を選んでいました。
当時。中小私鉄の情報は非常に少なく数少ない情報をつなぎ合わせてイメージを築き上げていました。各鉄道雑誌もやっと現役蒸機から旧型電機にターゲットが移りつつはありましたが私鉄、特に中小私鉄の特集などほとんどなく毎号に掲載される各地からのニュースをつなぎ合わせてイメージをつくり上げていく事が殆どでした。その少ない情報の中でもポスト現役蒸機の情勢の中で時折、各鉄道雑誌で中小私鉄の小特集が組まれるようにはなってきました。その中でバイブル的存在だったのが鉄道ファン誌の全国非電化私鉄ガイド(No184(76-8))でした。当時、鉄道ファン誌は毎月買い求めていて自分にとって影響力がある雑誌でした。この号はなかなかインパクトがあり、何度も読んでは”EF58が被写体だけではないぞ!私鉄も撮らなければ!”と心決めたものでした。その中でいつの号だったか失念してしまいましたが鉄道ピクトリアル誌に掲載されてとても印象的なのが小湊鉄道を紹介した記事で上総大久保駅でホームにあふれんばかりの児童が列車を待っている光景で、このときに小湊鉄道はいつか撮り尽くす存在だと感じたものでした。そして今、その児童が通った白鳥小学校が小中一貫校と言う発展的名目で廃校になるのは悲しいばかりです。
モハ5370型 は元小田急の電車の車体を上田交通の手で電装化したと言う車両ですが、スタイルがまるでカツミのフリースタイル電車の様な雰囲気を持った電車でした。 82,11,13 上田交通 下之郷
上田交通の情報は鉄道ピクトリアル誌の「関東甲信越の私鉄 特集」で様子がわかってきました。今から思えば数少ない情報でしたが、その当時は居てもたっても居られない状況になっていました。その中に上田交通は丸窓電車が主力形式として終日走っていること、そして我が生家の前を走っていた元東急33000型が貸し出されて平日の朝のラッシュ時だけ上田原―下之郷―上田―上田原運転されると言う情報は掴んでいました。そうなると3300型が1往復動するまでは下之郷より奥にはいけないことになります。事実、この時は別所温泉の駅を見ずに終わっています。
この日、上田交通の撮影は午前中で切り上げて御代田で12系になった321レを撮影し、その後は下仁田に出て上信の上り貨物を撮るはずでしたが、直前の電車を撮ったらフイルムが終わってしまい、持ち合わせの予備のフイルムもないことから、シーメンスの貨物列車を見るだけ見てから藤岡まで出て八高線沿いに南下しましたが、まだ八王子バイパスが開通前の時代で八王子市街の旧16号で中央線の踏切が何時になっても開かないのに嫌気をさした事だけははっきり憶えています。
この電車をお目当てだったのかもしれません。遠くから車体を左右に揺らしながらやって来る姿を見たとき、池上線で活躍していた時と同じ光景に感動した事を昨日の様に憶えています。 82,11,13 上田交通 下之郷
この日は時あたかも、上越新幹線開業を控え6月に開業されながら手直し程度だった東北線を含め特急列車が大幅削減された5711(ゴーナナイレブン)改正の前前夜でしたが、周囲の喧騒も何処吹く風…自分の狙った被写体追い続けた私、だから30年前の飯詰の隣駅だった訳です。
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チサ
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