
台風の影響で到着貨物がなく今日一日、動くことないバッテリーロコの11号機です。パンが上がった状態にしているのはどうやら充電中の様です。パンが上がっていると待機中に見え撮影栄えするのがうれしいところです。 17,09,18 三井化学専用鉄道宮浦操車場 11号機 14:37頃 Canon EOS7DMarkⅡ
ここ数年来北海道へは足しげく通うものの九州は縁遠くなっていました。それは北海道特有の開放的な雰囲気が楽しめる事もありますが九州にはこれと言って被写体も少なく”ぜひ、行きたい!”と言う気にならなかったの本音でした。しかし今年3月27日から熊本市電に元西鉄5014号が再び動き出すというニュースが流れ、けして近くとは表現出来ませんが移動に1時間程度で済む三井化学専用鉄道と併せて撮影出来ると気が付くと、がぜん九州への出撃意欲がわいてきました。
今回の撮影旅行は2泊3日で初日は09月18日でした。ツアーを手配するときに18日はまさか3連休の最終日だとは思わず料金が安いので、ただそれだけで申込んだら出発日が祝日でお目当ての熊本市電元西鉄5014号は運転していない日と言うオチが最初からついた旅立ちでした。更に17日は日本列島を台風18号がまともに通過し朝の時点でまだ、北海道に被害が出ている状況でした。そのためもともと最寄り駅から初列車に乗ったとしてもJAL623便(HND06:25)にはギリギリなのに加えて18日の朝はまだ強風が収まらず首都高湾岸線は横浜ベイブリッジは通行止めで横浜から羽田空港へ向かう空港アクセスバスは首都高1号線を迂回との事。しかしもともと湾岸線は臨海部を通るため羽田空港まで大きく回り込んでいて最短距離は首都高1号線なのでさほど遅れないと予想していました。これはドンぴしゃで運転手は10分程度遅れると言っていたものの2分延で羽田空港第1ターミナルに到着しました。これなら何とかチェックインがマニアいそうです。ところが出発フロアに入ると意外な光景が繰り広げられていました。それは前日、西日本の空路はほとんど欠航となったために前日に乗れなかった乗客がキャンセル待ちで長蛇の列でした。当然、手荷物検査場も繁忙期並みの列です。このままでは乗り遅れるとJALのネームタグをつけている小姐服務員に時間僅少を伝えると列を無視して手荷物検査のカウンターに連れて行ってくれ、更にボディーチェックも最優先通過出来、搭乗ゲートに向かうと私が最後の一人でした。ただ私の責任で遅れることはなく(自分が遅らす=時系列報告書を書く←これを連想するのは既に病気鴨?)オンタイムでハッチが閉められJAL623便は時刻通り離陸しました。そして定刻で熊本空港に到着しましたが台風一過とはならずまだ地面は濡れて水たまりもあって、雲がまだ多い天気でした。
今日は熊本市電5014号は運転しません。また大牟田の三井化学専用鉄道も台風で到着の財源はないだろうから訪れても無駄に感じましたが専用線は現地確認が大切なのでとりあえずロケハンをしないといけないと言う判断から大牟田へ向かう事にしました。大牟田の三井化学専用鉄道には09:45頃に到着したものの予想通り、到着財源は無かったらしく宮浦操車場に静まり返っていました。そこでJRと財源の授受をする仮屋川操車場に行くと出発財源(空車)はあったらしくDE101748号機がコキを連結して停車していました。近くに地元鉄ちゃんがいらしたのでこの専用線の現況をお伺いすることが出来、大変に助かりました。DE10は10:25頃に大牟田へ向かって発車していきましたがこの小運転の列車は貨物時刻表に掲載されていないらしく地元鉄ちゃんはこの時刻を確かめに訪れたとの事でした。ちなみに大牟田の入換に従事しているDE10は車籍がある車両ながら大牟田入換充当時は動車扱いになっていますが動車で本線を走って良いのか興味が湧くところです。

40年ぶりに田原坂の撮影地に立ちました。私の時代はED76でしたがその昔はC60が20系を従えて走り抜けた場所です。どうあがいても無理なのですがここを駆け上がるC60が見たいと思うのは40年前も今も同じです。画面の右側に下り列車を撮影する超有名なお立ち台があります。草が踏まれていて今でも鉄ちゃんが訪れている様です。 17,09,18 木葉―田原坂 336M 16:10頃 Canon EOS7DMarkⅡ
さて、DE10が発車してしまうと何もするとこがありません。そこで思い立ったのが40年前”みずほ”を追い求めて訪れた木葉―田原坂の撮影地を久々に訪れる事でした。昨年、組合の旅行で大分に行った際にも40年前、デカパンのED76(ED74はすでに動いていませんでした)を求めて歩いた日豊線中山香ー立石間を再訪し若き頃の情熱を持って鉄ちゃんしていた時代を思い返し懐かしく振り返ることが出来ました。今回も中山香と同様に情熱を燃やして訪れた田原坂の撮影地を訪れようと思い立ったのです。玉名経由で1時間弱で田原坂の撮影地に到着しました。現地の立つとあの頃、ダイヤは持っていたものの何が来るかわからず撮り逃してはならぬと田原坂駅から走って撮影に向かったことが昨日のように思い出しました。立石の撮影地(超有名撮影地とは異なる場所です)が大分様変わりしたのに対して田原坂はあの当時となんら変わりありませんでした。今も誰がが来るらしくちゃんとお立ち台も健在でここで〝みずほ〝を撮影したことが懐かしくてしばしお立ち台で昔を思い起こしていました。別に意識していないのですがいつの間にか終活しているのかもしれないと気づいた私でした。先日の越河のお立ち台もしかり被写体は変われど昔の撮影地が健在なのは嬉しい限りです。ここを13時前に下り貨物があるのですが台風でウヤらしく待っていても来ないので午後の光線で三井化学専用鉄道のバッテリー機関車をさつえいするべく宮浦操車場に戻り、数カット撮影してから今宵の宿の熊本に向かう事にしました。夕方になると快晴となったのでもったいないので熊本電鉄に寄り道する事を思い立ちました。全く予備知識もなかったのですがそこそこの撮影地を見つけて2往復撮影して今日の予定は終了として宿に向かいました。しかし熊本中心部に入ってもまだ明るいので熊本市電の線路に沿って車を走らせてロケハンをすることに。南熊本から建軍町まで車でロケハンして見ましたが一番気になったのが洗馬橋(せんばばし)でした。ロケハンが終わってナビに従いホテルに着いたらなんと一番気になった洗馬橋と目と鼻の先にホテルがありました。早速、シャワーを浴びて洗馬橋へ行ってみることに。わたしは熊本は何度か来てますが洗馬橋は初のはず。しかし見た覚えのある光景です。果たして夢で見た?そう思ってたら思い出しました。ブラタモリの熊本の放送でここが映し出されていた事を。そう!たぬきを見て、間違いないと確証した次第でした。しかしデジタル時代はおちおち寝る時間もなくなってしまうのには困ってしまいます。明日の晩も寝る暇が無いのかなぁ!そう思いながらあわただしい一日が終わりました。

夕方になると雲一つない快晴になりました。熊本電鉄は撮影地の予備知識は全くない状態ですがGoogleで調べたらここが良さそうなので訪れたらドンピシャでした。エロエロ光線激Vです!しかしこの電車は元銀座線の電車で私も青山勤務時代には絶対に1度は乗った車両でしょうが、まさか熊本で再会するとは・・・しかし三条軌道集電の電車にパンタグラフ(実際はシングルアームですが)は何とも違和感があります。 17,09,18 熊本電鉄打越―坪井川公園 17:26頃 Canon EOS7DMarkⅡ