DT200Aの庫 (goo-blg)

長野電鉄2000型チャーター&撮影会


 須坂の撮影会では2000型を撮影しやすい場所に並べて停車してもらい、透通った秋空の元、思う存分撮影する事が出来ました。2本ある2000型が検車区で頭を並べる事自体がレアだそうです。(長野電鉄から特別な許可を受け撮影しています。)  10,11,07 長野電鉄須坂検車区2000型  Canon EOS7D

 6日に続いて7日は来年淘汰が予定されている長野電鉄2000型のチャーター列車の撮影のお誘いを受けましたので、そちらに出向いてきました。
 6日の夜は長野駅前のホテルに宿泊したのですが、鉄ちゃんの呑会が最高潮に盛り上がり、その勢いでホテルに戻っても部屋でひとり缶酎ハイを2本呑んでしまい、泥酔状態で寝込んでしまいました(気がついたらベッドで寝ていました…恥)。”まぁ、今日も霧だったので、明日も霧だろう!”と寝坊を決め込んでいたら、5時過ぎにマチさんより゛晴れている!霧は出ていない!゛と出撃を催促するメールが舞い込んで来ました。晴至上主義者の鉄ちゃんとして晴れていると言う言葉を言われて、萎えてはプライドにかかわります。
 (正直なところ、致し方なく)熱いシャワーを浴びて身支度をして長野駅前を5:30に出発。さすがにアルコールが残っているので運転はマチさんにお願いしました。今日はしなの鉄道の湘南色169系が終日単独運転で撮影に適したA41に充当されると言うので、御代田付近に向かいましたが昨日とは逆で南下すれはするほど、霧と雲が多く浅間山は出ていましたが青空にはならず、まともに撮影は出来ませんでした。


 基本的に雲でしが、この列車が通過するときだけ薄曇りになり少し陽が射してくれました。  10,11,07 しなの鉄道御代田―平原 756M  Canon EOS7D

 169系撮影後は上信越道を来た道を戻り、北上して長野電鉄2000型のチャーター列車撮影に向かいます。この日のチャーター列車は普段は入る事ない屋代線須坂―松代間を運転されます。この屋代線は80年代の中ほどに上田交通丸窓電車5200型撮影と兼ねて1500型撮影目的で通った線区ですが、当時に比べ格段に民家が多くなっり撮影がし辛くなった事と、当時から数少ない沿線の好撮影地がことごとく上信越道の道路に化けてしまい昔の記憶をたどっても、辿り着かない(立てない)撮影地がいくつもありまり閉口しました。そんな中唯一、変わらないのが屋代線の駅舎で綿内駅や信濃川田駅の木造駅舎で80年代からなんら変わっておらず、駅で変わったといえば当時は有人だったのが、無人化されてしまったことぐらいでしょうか…
 6日は偶然にも信濃川田駅待合室で鉄道写真家米屋浩二氏の「木造駅舎写真展」が開催されており、撮影の合間に素晴らしい作品を拝見すると共にご本人とも直接お話出来る機会があり、貴重な体験談を伺う事が出来て思わず有意義な時間をすごす事が出来ました(私は4×5で撮影した作品を35ミリフィルムで撮影ですか?等と屈辱に近い発言をしてしまい、大変失礼いたしましたm(__)m)。


 信濃川田駅では長野電鉄の社員さん立会いの下でミニ撮影会も開催されました。なお、来年NEXに置換わる2000型ですがA編成(マルーン)が3~4月に、D編成(リンゴ特急)が7~8月に運用離脱するそうです。  10,11,07 長野電鉄信濃川田2000型 2412Xレ Canon EOS7D

 チャーター列車運転終了後は長野電鉄のご好意によりチャーター列車参加者限定で須坂検車区で撮影会が開催されると言う事で、参加させてもらいました。
 長野電鉄では今まで撮影会を開催した経験がほとんどなく、まさに異例の扱いであると共に今後の布石となるの撮影会でしたが、それだけに我々の撮影態度が問われる機会でもありました。
 当然、今回の撮影では長野電鉄側も初めての経験であり撮影のための小移動のリクエストには快く応えてもらえるものの、こちらからのリクエストした意図がなかなか伝わらない場面もありましたが、それはそれでお互いに良い経験になったようです。ただ我々、一人一人が一番注意した点は安全に撮影することで、些細な不安全行動が今後に計画されるであろうチャーター列車運転(今回限りと言う条件ですか開催された撮影会も含む)へ大きく影響を与える事は明白でした。その点からも突出した行動もなく整然と撮影出来た事は長野電鉄側への良い布石になったと思われます。


 屋代線の日中閑散時間帯の本数削減でこの駅での列車交換き見られなくなりました。25年前はこの駅で毎時列車交換がありました。この木造駅舎は25年前と全く変わらず懐かしいばかりです。  10,11,07 長野電鉄屋代線信濃川田駅舎 Canon EOS7D 


 信濃川田駅でこんなお遊びもしました。EOS―7Dはブレビュー撮影が簡単に出来るのでお遊びもたやすく出来ます。  10,11,07 長野電鉄屋代線信濃川田  Canon EOS7D

 今回は長野電鉄の特別な計らいで長年、撮影したくても撮影する機会がなかったED5001を撮影出来ました。素晴らしい停止位置でなかなか撮影が出来ない車両の撮影出来て関係各位には感謝に絶えません


 この日はこのED5001の写真が撮れればそれで全てOKと言う感じでした。それくらい手応えのある被写体でした。
 撮影に好都合な様に検車区の一番西側の線に入れてもらい撮影しましたが架線柱やビームの影がひとつも見当たらない条件で電気機関車を撮影出来るなんて。なんと幸せな事でしょうか。更に写真ではわかり辛いですが機関車の右側後ろにある台車に覆いかぶさっていた白いカバーも撮影に不都合と言う事で撤去していただき、本当に非のつけどころがない写真が撮れました。ちなみに現在この機関車は長野電鉄の車籍ではなく、長電テクニカルの所有で機械扱となっています。従って本線を営業時間帯には運転は出来ません。さらに機械扱なので通常の検査は行われてはおらず、故障したら二度と自力運転は出来ないとの事でした。(長野電鉄から特別な許可を受け撮影しています。)  10,11,07 長野電鉄須坂検車区ED50001  Canon EOS7D


 ところでマチさんは本来、出張だったので須坂駅から長野・大宮経由で盛岡へ新幹線で帰宅されましたが私と夜間軌行ご夫婦様は自動車での帰宅となりました。しかしこの秋初めての週末2日間が好天に恵まれたために、行楽客が多かったのでしょうか、各高速道路は帰省ラッシュ並みの渋滞となってしまいました。私は8日もみ休みなので小布施温泉でのんびりしてから、食事と給油を済ませ信州中野インターを19時過ぎに高速道路に入り帰宅したために中央道小仏トンネルを先頭となる20キロ程度の渋滞も現地通過時点(23時少し前)には解消されていましたが、夜間軌行様は奥様もいらっしゃるので渋滞覚悟で関越道経由で帰宅されました。私が温泉から出てきて何気に渋滞情報を見ると上信越道―関越道は鶴ヶ島を先頭に松井田妙義まで60キロ程度の渋滞との事。これでは当日中に自宅に辿り着くのかなぁ?と心配していると奥様より23時前に帰着メールが届き、意外と早く帰宅され一安心でした。ちなみにこの3人で一番早く自宅に到着したのは盛岡在住のマチさんだったようです…笑

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コメント一覧

DT200A@P905i
水郡線故郷様
いつもご投稿、ありがとうございますm(__)m
須坂が北千住ですかぁ~?
現在は閑散としていますが…
DT200A@P905i
つばめ鮨の常連様
いつもご投稿、ありがとうございますm(__)m
長野はなかなか遠いので、次回は大井川鉄道の電車を撮影に行きましょう!
水郡線故郷
長野に四年間住んでいました。長野電鉄の善光寺下駅から長野駅まで通っていました。当時の須坂は北千住かなと錯覚するような駅でした。
つばめ鮨[[EE:AEAB8]][[EE:AEAAE]]の常連
長野電鉄チャーター列車は、ベルビアン日和で、なによりでしたね! 今度は、岳南鉄道ELと日本製紙、日通入れ換え機貸し切りしてください
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