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30年前の12月 大井川鉄道での一場面


 SLが怖いのでしょうか?怖々と後ろから覗き込んでいる坊やが妙に笑えます。しかしこの坊やもそろそろ中年の域に入ろうとしているほど歳月が経ちました。この坊やは今どうしているのでしょうか・・・?   83,12,26 大井川鉄道 金谷―新金谷 101レ

 この写真は30年前の大井川鉄道沿線の光景です。この時代、日本でSLが動態保存され運転されているのは国鉄山口線とここ大井川鉄道だけでした。それだけに注目度も今以上に高かったのですが、今年デビューした九州の”ななつ星”に象徴されるように鉄道に乗る事自体を楽しむと言う時代ではなく、マスコミに度々取り上げられた割には大騒ぎになるほどではなく今思えばずいぶんのんびりしていました。
 この日は大井川鉄道へ撮影に行ったわけでもなく金谷―島田間で創臨の7112レと米原機関区の荷36レを撮り終えて大井川鉄道の線路際に移動してきて撮影した一枚です。この頃、大井川鉄道金谷駅は機廻しが出来る線路配置でしたので新金谷から金谷への回送はEL+客車+C11ではなくC11が逆機で牽引していました。ですから新金谷から金谷への回送は上り勾配をかなり良い煙を出して走っていました。ただその時刻はまだ東海道線を撮影している時間だったために東海道線の線路際で歯切れの良いブラスト音と妙にそそる煙をただ指をくわえて眺めた記憶があります。
 しかし、この写真を見るたびに30年も前から蒸機運転をしている大井川鉄道にはつくづく頭が下がりますが、少し意地悪な見方をすれば大井川鉄道が蒸機運転と言う特化した他には真似できない「商品」を持つ事がなかったら大井川鉄道そのものが既に過去帳入りいていたかもしれません。この当時、車で金谷から千頭に抜けるにはふたつの険しい峠を越えなくてはならず鉄道の存在価値もありましたが、近年は道路も整備され崎平あたりの道だけがネックになっているだけで鉄道より車の方が便利になったのも事実です。それを考えると苦労も並大抵ではないでしょうが大井川鉄道はこの30年、SLで命をつないでもらったとも言えると思います。

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