
30年前の拝島の夜明け前ですから、その寒さったら半端じゃなかった記憶があります。この頃はまだ奥多摩―高麗川のパイプラインが完成する前で奥多摩―拝島―高麗川に石灰石輸送が頻繁にあった時代です。鉄道ファンの別冊の本に掲載されていたダイヤを見ていたら5時前後に奥多摩から3本続けて貨物列車がやって来るのに気づき出掛けてみました。初電前、拝島駅のシャッターが開くのを待ってホームに入ると程なく1本目の貨物列車がやって来ました。この当時、EF15とED16は共通運用でどの列車にどちらが来るかは、来てみないとわからない状態でした。1本目は残念ながらEF15でした。気合も入らず撮影し、作業をしていた操車掛二言、三言話していると何故か意気投合してしまいました。相手の操車掛はとても気さくで良い人でした。2本目の貨物列車が到着する前にその操車掛に”ホームから降りて撮影させてもらえないか?”と頼みました。どんな回答が帰って来るかと思いきや、なんと”停車して、こちらが合図をしたら降りて良い。ただし、機関士に迷惑が掛かるので2~3分程度”との事でした。いや、ホームから降ろしてもらって撮れるなら、それで充分と言う気持ちで2本目の列車を待ちました。2本目は運良くED16でした。今だったらとんでもないと言われて終わりだと思います。のんびりしていた国鉄時代です。
83,02,08 拝島 9292レ TRI-X スキャナー : Nikon COOLSCAN ⅣED

当時、浜松機関区には旅客用にEF58が、貨物用にEF60が配置されていました。EF58は旅客用とは言え定期旅客列車は”高千穂・桜島”が廃止されてからは存在せず、もっぱら荷物列車用でたまに団臨の牽引をしていました。一方、EF60は浜松を中心としたローカル貨物はもとより汐留―幡生間の直通貨物も担当していて、貨物用でありながら目立つ存在でした。特にEF18が淘汰されてからは興津・島田・金谷等のローカル貨物を一手に引き受けてEF58の団臨を金谷あたりで待っていると良く眼にしたものでした。浜松機関区のEF60の特徴は前照灯が一つ目タイプの初期型が多く配置されている事でした。敦賀機関区のEF70や福島機関区のED71がシールドビーム1灯化(通称:ブタ鼻)されていく中、浜松機関区のEF60はかなり晩年までその改造の魔の手が伸びず、良い被写体になったものです。そして東京機関区のEF5888号機や124号機同様、浜松機関区のEF60にも冬季関が原積雪対策のために通年スノーブロウを装備するカマがいました、このEF6029号機もその1両です。この時は新鶴見機関区で働いていた友人のところに所要で行くときにそっと忍ばせたカメラで撮影したような気がします・・・ 83,02,22 新鶴見 EF6029号機

別の名を「裏金菊」です。この場所は気に入っていたものの、機会がなかなかなくて撮影したのはこの時だけでした。8102レだとまだ陽が廻らず8104レ限定の撮影地でした。ここの撮影地の魅力はわかっていたただけに、もっと撮影しておけばと悔いが残るところです。 83,02,27 金谷―菊川 8104レ EF58138号機

親の持っていたリコーフレックスにネオパンSSを入れて品濃町(現:東戸塚)周辺を歩き回った頃は特急貨物Aの専用運用だったEF66ですが、この頃になると特急貨Bどころかローカル貨物も牽引するようになっていました。しかしやはりこの時代、EF66は国鉄電機の華であり別格の風格を盛っていました。もちろんEF66が一番輝いていた時代ではないでしょうか? 83,02,27 掛川―菊川 3150レ EF6612号機

かつて両毛線と言えばEF12でしたが早々にEF15になってしまいました。まだEF12なら魅力的だったのですが、高崎のいかついEF15では写欲もわかずほとんど撮影していません。そうは言っても旧型電機の活躍線区が少なくなってくると両毛線のEF15も何度か撮影しています。現代に当てはめて見ると、一昔前なら113系や115系なんて気にもしなかったし、カメラを向けることもなかったのが最近では富士急行で撮影している際に115系がやって来るとカメラを向けるようになったのと同じようなものではないでしょうか? この列車は財源(貨車)が東武の私有貨車中心で組成されている事から桐生行だと推測されます。 83,02,06 大平下 590レ