朝の駅の雑踏が諧謔の色に染まる。

2006年03月02日 22時29分34秒 | 巻七 ブルックナーが私に語ること
ブルックナー
交響曲第4番変ホ長調 「ロマンティック」

ベーム指揮・ウィーンフィル


詳細


たとえば一青窈さんの「一思案」。
「一思案」を聴きながら、走り出した電車に乗っていると、
曲がその状況にものすごく「はまって」いて、
不覚にも危うく胸が熱くなることがある。恥ずかしながら。
電車が重要な舞台装置だった映画「珈琲時光」で流れたせいもあるけれども。

そういうわけで、時としてよき音楽は列車の風景にピタリと合う。

今朝は通勤でブルックナーの4番を聴いていた。
第3楽章「狩のスケルツォ」。
ちょうど仙台駅の混雑したホーム。
軽やかで飛び跳ねるような音楽が耳のそばで鳴る。

独特のおどけたようなリズムに、
朝の雑踏のひとびとが、なぜか合わせて歩いていた。
そのうえ、その素朴な舞曲に呼吸を合わせて電車が入線してきたり。
なんとも奇妙で美しい光景。

そういえばその昔、仲間内で、
大相撲中継の音声を消して「アルルの女」のメヌエットを流してみるとかなり笑える、
という話が出たっけ。
優雅で美しき穏やかな調べと、裸の大男の汗臭いぶつかり合い。
究極のミスマッチが、一種シニカルで素敵な演出をする。

かくも音楽は偉大なる「舞台の支配者」なのだ。
映画においても、テレビにおいても、
もちろん、日常生活に起こる「ドラマ」においても。

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