(P144)
2005年4月に、カラーガード好きなメンバーが集まり結成しました。はじめは月に一回程度楽しく練習しようということではじめたグループでしたが、3年目には毎週一回の練習になり、神奈川県マーチングバンド・バトントワリング連盟に登録し、連盟主催の大会への出場や、神奈川県のイベントや他県への遠征等、各種イベントの参加をし、活動するようになりました。
「BLOOM」とは英語で「開花」「花」「栄える」という意味があり、綺麗に咲き続ける花のように華やかにいつまでも勢いを失わないチームにしたいと言う思いが込められています。


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(P142)
1996年に結成された山形県初の一般マーチングバンドです。山形県のほぼ中央、紅花と卓球と雛祭りで有名な河北町を本拠地としています。創設当時は親子バンド(地元小学校金管バンドOGOBの受け入れ先として出来ました)として活動し、年々学生の割合が増え、2004年からは県外からの参加者が出始めました。
2007年にジャパンカップに初出場し、山形県大会、東北大会と進みました。対外的な活動や講習会にも積極的に参加しています。
2008年度の新入団員も募集しています。連絡はホームページから→http://ip.tosp.co.jp/i.asp?I=mcrp


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(P140)
加藤学園高等学校吹奏楽部ブルーウィングスは、1980年に顧問の前田先生により創部されました。吹奏楽コンクール中心の活動を続けてきましたが、より活動の幅を広げようと1988年マーチングバンド・バトントワリング大会に参加するようになりました。
1991年には静岡県代表として全国高等学校総合文化祭、香川大会に出場。翌年には日本のバンドとして初めてアメリカのポートランドで行われているローズパレードに厳しい選考を経て出場しました。同時に行われたバンドフェスティバルではディビジョンⅡに出場し第二位に。その年、マーチングバンド・バトントワリング全国大会へ初出場し銀賞を受賞。
アメリカ遠征を機に、当時の青いユニホームが世界に羽ばたけるようにとの思いを込めて「ブルーウィングス」のバンド名をつけました。
吹奏楽とマーチングの両立を目標の一つとし、吹奏楽で楽器の基本的な奏法、音程やバランスの取りかたを身につけ、マーチングで部員の意志統一・多彩な音楽表現を目指しています。


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(P138)
キニックハイスクールは、1957年位からマーチングバンドとして始まりました。主に横須賀のベースの中で、軍に向けて活動していますNFLでのハーフタイムで見られるように、ハイスクールのアメリカンフットボールの試合でハーフタイムに演奏しています。
バンドメンバーは15歳から18歳までで、約50名で活動しています。現在は3名の中学生も一緒に活動しています。
指導は来日3年目の音楽教師のパーカー先生で、バンドの指導をはじめてからだいたい2年になります。少しずつベース以外でも活動の幅を広げて、昨年はマーチング協会の関東大会やジャパンカップにも参加しました。


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(P136)
吹奏楽部の創立は昭和40年11月。平成3年度よりマーチングに取り組み現在に至っています。吹奏楽コンクールでは過去10回、九州大会出場を果たし、またマーチングにおいては吹奏楽連盟のコンテストで九州大会出場13回を数えます。平成16年から18年まで3年連続全日本マーチングコンテストに出場し、18年には金賞を受賞しました。昨年度はマーチングバンド・バトントワーリング全国大会にも九州代表として初出場を果たし、金賞を受賞しました。コンクールやコンテストで好成績を上げるに伴い、広範囲に渡って演奏する機会が増えてきているそうです。「練習は笑顔で」が大切なモチーフとのこと


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(P134)
横浜インスパイヤーズは1982年に誕生し、メンバーは社会人と学生で構成されており、週1回の練習では趣味の枠を超え、真剣に且つ積極的に取り組んでいます。
2007年は25周年ということもあり、DCJに注力し取り組み、みごとチャンピオンを獲得しました。また2005年からは「Hot Corps Night」を開催し、エンターテインメント性も見せています。5回目となった2008年2月の公演では過去最多の来客数となりました。
2008年シーズンは更なる飛躍及びパワーアップを目指し、スタッフ及びアレンジャーを一新し、これからの活動をスタートすることに決定しました。2008年度のメンバーも募集中とのことです。


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第3号のコンテンツ紹介の続きです。
今回からは12団体を総力レポートしましたband informationのご紹介です。トップバッターはサンタクララバンガードです!

(P130)
1967年3月の初めに創設された西海岸の有力団体で、後に続くマーチングの芸術的昇華に多大な影響をあたえてきました。先駆者として多くの“初めて”を残しています。有名な「ボトルダンス(屋根の上のバイオリン弾き)」でガード全員によるダンスの始まりとなりました。88年『オペラ座の怪人』のエンディングでメンバー全員が姿を消すというマジックをはじめ、翌89年のDCI最高得点98.8ポイントは2002年キャバリアーズに破られるまで、実に13年間を守り続け、我々の記憶に残る数々の名演を披露してくれました。97年から3ヵ年計画で順位を確実に上げて99年に優勝。94年から2004年までに常にトップ6入りを果たし、2004年には往年のサンタクララを思わせるようなクラシックの大曲をレパートリーに取り上げて見事に3位を獲得。2007年には40周年を迎え、その栄光の歴史は輝き続けています。


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(P120)
DCJ会長の荻原隆久氏とダイナスティジャパン㈱社長横田定雄氏の8ページに渡るスペシャル対談です!今後のマーチングがどうあるべきかを、昔のお話も交えながらお話ししていただきました。楽器のこと、DCIのこと、DCJのことなど大いに語っていただきました。とても読み応えのある内容です。



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(P116)
Individualでもご紹介いたしました梶山宇一さんは、2004年6月、日本マーチングバンド・バトントワリング協会愛知県支部理事長、関根清和氏より「日本のマーチング発展のため、アメリカでDCIの審査方法を学び、審査資格を取得してきてくれないだろうか。」というお話しを頂き、2ヶ月間アメリカに渡りました。DCI JUDGE CLINIC(DCI審査方法勉強会)と呼ばれる会に2日間出席し、アメリカ全土から集まった200人以上の審査員と共に、その年の審査方法を勉強しました。その後、3回のトライアルジャッジ(見習い審査員)を経験し、実際に、リアルタイムテープ審査をしました。そして、最後に、フロリダ州、オーランド市で開かれた、JUDGE’S COLLEGEにおいて審査員の免許を取得するためのテストを受け、後日、DCI審査員としての認定書を取得されました。その2ヶ月間に学んだことを、皆さんにお話しいただきました。


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(P112)
舞台(ステージ)の世界でもブラストをはじめ楽器を取り入れたステージも多くなってきています。少ない人数でもメッセージを発信して何かを伝えられるステージの魅力が、マーチングを始めるきっかけになっていければと願い、今回、舞台とマーチングの関係を日本の最先端でご活躍のクリエーター、劇団四季音楽監督の鎮守めぐみさんと、マーチングプログラムコーディネーターの大川勝己さんのお二人にお話いただきました。

鎮守めぐみ Megumi Chinju
劇団四季 音楽部
ジェネラルマネージャー
■profile■
東京芸術大学作曲科卒
在学時より伴奏ピアノストとして劇団四季に参加。

大川勝己 Katsumi Okawa
プログラムコーディネーター
アレンジャー、ドリルデザイナー、Drum Corps Japan 公認審査員
■profile■
創価大学ロイヤルキルティーズで活躍後、米国バークリー音楽大学パフォーマンス科に学び中退。現在、神奈川県立湘南台高校吹奏楽部The White Shooting Starsなど多数の団体を指導。


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アレンジャー
トロンボーンプレーヤー

「僕だからこそできる事がある」(P110)
幼稚園の頃からピアノを習い、小学校で金管バンドクラブに入りトランペットを始めました。中学の吹奏楽部ではチューバ、高校ではトロンボーンを担当。高校3年生の時に学生指揮者になり独学で編曲を始めました。
高校卒業後は消防士になりその傍らで消防音楽隊に所属。マーチングとは高校の時に出会い、とにかくカッコイイと思い、卒業後はHAMAMATSU WILD WINDSにも入隊し6年間在籍しバリトンを担当。
高校でアレンジをやってみたのをきっかけにもっとちゃんと勉強したいと思いプロのアレンジの先生に個人レッスンを受けました。高校卒業後2年目の時、母校の定期演奏会のマーチングのアレンジを依頼され初めてアレンジを本格的に始めました。
HAMAMATSU WILD WINDSを辞められてからは地元のビッグバンドに入りました。
そして10年やった消防士の仕事を辞め、専門学校に入り、トロンボーンと、作曲とアレンジの勉強をされ、今年卒業されました。クラシックとポピュラーのレッスンを受け、そこで学んだことは吹奏楽にも、マーチングにも、全てに活かせることで、音楽の捉え方や聴こえ方が変わり、音楽がまた楽しく、好きになったそうです。様々なジャンルで活動している藤下さんだからこそ出来ることがあると思うし、今後はそれを活かした活動を展開していきたいとおっしゃっています。


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マーチング・ドラムコーで活躍する7名の方々をご紹介させていただきました。
本文ではとても勉強になること、励みになることなど沢山お話してくださっていますので、是非読んでいただきたいと思います。

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パーカッションインストラクター
パーカッションアレンジャー

「一人一人との出会いが枝分かれ」(P108)
中学でドラムを志望して吹奏楽部に入部するも、希望者が多すぎてコントラバス担当に。しかしマーチングの大会にも出ていた部だったので、マーチングのときだけパーカッションを担当。高校でも吹奏楽を続けパーカッションパートに。パーカッションで音楽短大に進学。その後音楽の専門学校に編入。その頃は完全にマーチングからは離れていたそうですが、中高で学んだマーチングを活かしたいと思いGENESISに入団。まだ結成したばかりのバンドだったので共に成長していくことができたということです。
学校を卒業後、同じ学校のお友達の依頼で中学校のマーチングの指導を始めることになりました。その後、一人一人との出会いが枝分かれし、小学生、中学生、高校生、一般バンドなど色々な団体の指導、アレンジをされてきました。
日頃指導をしていてあまり「マーチング」の指導をしているという意識がないという勝本さん。「音楽」の指導をしている意識の方が強いとのことです。結果ばかりにとらわれるのではなく、音楽の楽しさ、演奏することの楽しさを一番感じて欲しいとおっしゃっています。


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Drum Corps World Writer (Japan)

「オールドスタイルが好き」(P106)
ドラムは11歳から始めて高校生までやっていました。1974年に「パープルランサー」という団体を観てドラムコーに興味を持ち、15歳の時、ニューヨークにあるドラムコー「GAUCHOS Drum & Bugle Corps」に入団。18才まで所属。12th Grade(日本の高3)のときリバプール高校のドラムラインを教え、音楽のアレンジもしました。
1983年にGAUCHOがCadets of Greeceと合併し、Cadets of Upstage New Yorkとなるが1シーズンで解散。その後ランシーさんはアメリカ海軍に入隊。軍の中のドラムコーに所属。1983年に軍人として来日。21年勤務した後退役。息子さんがキニック高校に入学したのを機にマーチングにボランティアとして関わることに。
ドラムコーワールドに記事を書くようになったのは、スティーブ・ベッカー氏に「日本にもドラムコーをやっている団体があるよ」とEメールを送ったことがきっかけだったそうです。完全なレポートをアメリカ人に対して紹介するために書いているとのこと。オールドスタイルの日本のマーチングが好きなので、今のままでいて欲しいとおっしゃっています。


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インストラクター

「記録よりも一生記憶に残るショウ」(P104)
中学校では「吹奏楽部に入ればラーメンが食べられる」との誘いの一言で入部し、一生の恩師となる古山久文先生に出会いました。高校で入部した吹奏楽部はマーチングと両立していたので、そこで初めてマーチングを知りました。大学進学で東京に出てヨコハマ・インスパイヤーズに所属。大学1年生のときDCIを観戦し、真のDrum Corpsを初めて見て感動し、DCIで演奏することを夢見て、大学を1年休学し渡米。Velvet Knights Drum&Bugle Corpsのキャンプに参加。その年VKは大した成績ではなかったものの、土屋さんにとっては記録よりも一生記憶に残るショウとなったそうです。
帰国後、インスパイヤーズで2度全国大会で演奏した後引退し、その後は学校関係や一般団体を指導されています。
コンサルタントの意識を持ったインストラクターが増えれば日本のマーチングやドラムコーの将来は更に期待できるのではとおっしゃています。


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Saxophone プレーヤー

「色んな音楽を体験できたことも
自分にとっては大きな経験」
(P102)
関東学院マーチングバンドに6年間在籍し、そこでの恩師広岡徹也先生と出会いなくしては今の自分は存在しないという上杉さん。その後先生のアドバイスを受け洗足学園音楽大学に入学。そこで4年間音楽漬けの毎日を送りマーチング以外のさまざまな音楽を体験できたことも大きな経験だったとおっしゃいます。
大学在学中にビックバンドを結成し、JAZZ科の仲間や「Yokohama INSPIRES」のリードトランペッターの方等、歩んできた環境の全く違うメンバーがお互いに刺激し合えたことも楽しかったそうです。そのビックバンドのサックスセクションを活かしたもう少しコンパクトなバンドとして結成したのが現在もご自身のバンドとして活動していらっしゃる「Generation GAP」です。ここ数年は俳優の藤木直人さんのバンドメンバーとしてツアーに出るなどのご活躍をされています。



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