水月光庵[sui gakko an]

『高学歴ワーキングプア』著者 水月昭道 による運営
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文科省の「若手研究育成」、「事業仕分け」で縮減を求められる。異議あり!

2009年11月14日 | 庵主のつぶやき
本日13日(金曜)、行政刷新会議(議長・鳩山首相)が行う「事業仕分け」に、文部科学省の「若手研究育成」が対象として取り上げられた。


結果は「縮減を求む」、ということで、若手研究者たちにとっては相当に怪しい空気が漂ってきた。学振の特別研究員、ひいてはCOE枠等で雇われているPD・特任講師なども、うかうかしていると、おまんまの食い上げとなるかもしれない。


縮減を求めるサイドの意見は、集約すると、概ねこうなる。

「就職困難な若手研究者への生活支援的意味合いが強いので、税金を投入する必要性や意味をそれほど強く感じない」


現場の悲惨さを、どれほど知った上で発言しているのだろうか。あるいは、知っていて、10万人に迫ろうかという「ノラ博士」たちを見捨てるつもりなのか。

若手研究者は、業界が抱える構造的な問題に巻き込まれ、「仕事が見つからない」状態に置かれているだけなのだが、個人の問題として放置されようとしている。(拙書『高学歴ワーキングプア』で、あれほど声を大にして構造的問題だと訴えてきたのに、力が抜ける思いだ)


個別の意見には、耳を疑う種類のものも多数あった。ここでは、博士問題(ポスドク・オーバードクター問題)が、「社会問題」であるとは、全く認識されていないようなのだ。


「本来なら別の道があったのではないのか(間違って博士課程に進学したのでは?)」
「進学すれば就職がないことは明白だったはず。そんなこともわからずに博士になった者に税金での支援が必要なのか」
「なぜ、博士だけを支援しなければならないのか。学卒でも就職できてないものは多い」
「支援などしてやっているから、(いつまでも大学に残り)産業界とかにでていかないのではないか」
「大学院重点化で地方の小さな大学まで博士課程を作った。仕事が見つからない博士が増加するのは当然だろう(それでも支援するのか)」
「ドクターのセーフティネット(雇用対策)に過ぎないのではないのか」


高等教育界では、悲劇的な雇用問題が起きているのに、「本当に力のある者は競争を勝ち抜いて正規雇用される」というような趣旨の発言もあった。

毎年、五千名近い無職者を生みだし、その総数が十万人にのぼろうかという事態が発生しているのに、である。仕事が見つからない博士たちは、能力が足りないとでもいわんばかりだ。


だったらなぜ、そうした博士たちの多くをわざわざ非常勤講師として雇い、大学で開講する講義の大多数を担当させるといったことが横行しているのか?


本当のところは、能力が高いにもかかわらず仕事が無い博士を、「人材があぶれまくっているのでこれ幸いと安く買い叩いている」、というのが真実のはずだ。

博士号を有する者が、90分授業を月に4度行ったとして、対価はわずかに三万円程度しか得られない。これでは、大学生の家庭教師以下のレベルである。さらに、こうまでして大学の教育に貢献しても、中高年になってしまったら彼らはアッサリと捨てられる。おじさんや、おばさんとなったこの研究者たちが、社会に再就職する道など、ほとんどないのが現実だ。


超・超買い手市場のなかで労働ダンピングが堂々と行われている。それでも、「社会問題ではない」というのだろうか。博士個人の問題では決してなく、だからこそ、若手研究育成のための予算が、今、最も必要なものの一つとして計上されているのではないのか。それは、有能な若手博士たちを、むざむざ腐らす悲劇を少しでも防ぎ、大学内においてわずかでも有効活用するための役割を担っていたはずだ。

それにも増して、一体、文科省は、どうして「優秀な若手博士」が数多く誕生している事実を述べなかったのだろうか。現在の若手研究者の業績と、過去に若手だった(現在の)先生方の業績等を比較するなどしてみれば、その数について「差」を量的に視覚化できたはずである。


大学院重点化により、研究環境の裾野を広げた結果、競争人口は激しく高まり質の良い博士が量産されている。この点について、文科省は自信をもって説明すべきだった。重点化で予想外の出来事だったことは、ただ一つ。民間に新規需要が発生しなかった、という点である。研究環境を欧米並にする土壌作りについては、確かに成功しているはずだ。問題は、そうやって二十年近くをかけて改良した環境において、やっと育ちあがってきた優秀な博士たちを活用しようとする場が、日本社会に未だ創出されないことである。


結果、大学教員市場では未曾有の人余りが起き、優秀な人材にもかかわらず正規雇用の道は開かれず、任期付きの契約教員として労働に従事させられ、ある刻限が来るとアッサリと捨てられる、という負のサイクルが維持され続けている。雇用期限が来た者は、それまでのキャリアにかかわらず、全く異なる分野に仕事を探すことになるが、多くが見つからず、フリーターなどのバイトをしてしのぐこととなる。


働く人の元気をとことん吸い尽くす、そんな世界が、高等教育市場の現実となっている。文科省の若手研究支援の予算は、そんな砂漠に落ちる一滴の水となっていたのだが、どうやら無駄とされてしまったようである。

加えて、まことに残念なのは、「友愛」を謳う内閣サイドの人たちから、「弱肉強食」を推奨するかのような発言が信じられないほどにポンポンと飛び出したことだ(何かの間違いであって欲しいと願わずにはいられない)。


雇用問題は、いまや、日本中どこの現場でも発生している。

博士問題は、その代表的なものの一つであり、長らく放置され続けてきたものの一つでもあるのに、政策的な希望の灯があたる可能性は、このままではほとんどないに等しい。博士だって、「友愛」を切実に欲している。それも、長らく欲し続けている。


最後に、若手研究者たちは、決して生活支援を本予算によって施されていたわけではないことを強く述べておきたい。

少子高齢化というメガトレンドに直面する大学業界は、人件費抑制のために、専任教員の雇用を極限までしぼっている。現在、正規に雇われている教員の多くは40代以上であり、20代・30代の研究者はほとんどが非正規雇用状態にある。


しかも、人余りのため、高度な能力を有するにもかかわらず安く買い叩かれている。大学でのさまざまな研究・教育活動に多大なる貢献をしているにもかかわらず、ほぼタダ働きをさせられている人間が、どれほどいることか。


若手研究支援費は、本来、給与をもらってしかるべき研究活動を行っているにもかかわらず、構造的問題によりほとんど支払われないという現実のなかでもがき苦しむ若手研究者に、わずかではあるが対価を支払うという役割を果たしているのである。


断じて生活支援などをもらっているわけではない。


「若手研究育成」(予算)に対する認識は、今回の場合、あまりにも不適切であったと言わざるを得ない。民主党に期待を寄せるものの一人として、まことに残念である。

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