水月光庵[sui gakko an]

『高学歴ワーキングプア』著者 水月昭道 による運営
※お仕事連絡メールに一両日中の返事がない場合は再送願います

益川敏英先生 高学歴ワーキングプア問題を語る

2010年06月12日 | 庵主のつぶやき
2010年05月16日に明治大学で開催されたシンポジウム「高学歴ワーキングプアの解消を目指して」に飛び入りで参加してきた。得るものの多いシンポだった。以下に、益川敏英先生(ノーベル物理学賞 2008年受賞)のご講演を中心とした報告を行う。

まず、先生は、「いまの高学歴ワーキングプア問題は、実は新しい問題ではない」と切り出された。いつの時代にもあったことが、現代という時代のなかでいままた深く採り上げられるようになった、と。

思えば、昭和三年あたりの世界大恐慌のさなかは、「大学は出たけれど」という言葉がはやった時代だったし、1970年あるいは1980年代頃の新聞を眺めても既に博士の就職問題に関する記事がぼちぼち見つかる。確かに、高学歴者が就職できない時代というのは、過去からずっと浮かんでは消えを繰り返してきた。だが、それらと現在との間には、ひとつだけ見逃してはいけない大きな違いがある。過去に発生した同様の問題は、ある意味自然発生に近い形であったが、現在の高学歴ワーキングプア問題は完全に人為的であることだ。いわば「人災」にも等しい。

それはさておき、まあ就職問題は当時からあったそうで、大学を出たけれども勤める場所がなく、みんな苦しいといった状況。そんななか、一人だけ私大にツテをつけてそこに就職を決めるなど、抜け駆けする輩もでできたそうで、当然、やっかむ声や〝けしからん〟との声があがる。実は、ここが大事みたいで、先生はとにかく「自分が苦しければ〝声をあげる〟しかないでしょ?」、と。

この場合、たとえば、不満の〝声があがった〟ことがきっかけとなり、(就職の平等性確保のため)公募制度をつくろうなんて動きにも繋がったようで、「こういうの悪くないでしょ?」と仰るのだ。

他にも、学生がぶつぶつ言いながらもそれを前に進む力にかえた例として、「海外に展望を見いだそう」なんて盛り上がった結果、実際に、日中素粒子研究交流なるものが始まったりしたという。もちろん、流動研究員制度などを政府に作ってもらえるよう働きかけることも片方で抜け目なく進められたそうだ。

「問題が発生したなら、それに対応する形で声をあげたりして、一つ一つ解決策を導いていくしかないのではないか」。つまり、目の前に起こる出来事は予測不可能な場合が多々あるので、難題が発生したら一つずつ地道につぶしていくしかない。これが益川流の考え方の基本のようだ。長い研究者人生のなかからにじみ出てきた教訓にも見える。

学生の進路指導に対するガイダンスをそもそも大学が行っていない時代で、自分たちは、若い頃、独力で(就職先を含む進路を)探して進むべき道を決めていくしかなかったことも、影響していたかもしれないと、先生は振り返る。たとえば、素粒子やってて、ちょっとほかにも勉強の手を広げてみると「宇宙物理のほうに興味が湧いた」なんてことは普通で、そうした場合、新しい興味に従って、身軽にそういう勉強ができるところに移っていったりする人も珍しくなかったという。目の前で常に揺れ動いている物事に対し、柔軟に対応することこそが生き残るコツ、なのだろう。

博士の就職問題は根深いもので、簡単には解決できないという視点を含みつつも、先生は、「苦境にある人たちに『自分たちのことを真剣に考えてくれ、行動し、支えてくれる人が確かにいるのだ』という心の支えや信頼感を持つことができるサポートを、教員やそのほかの人たち皆ですることが大事」とも、仰る。

自らを振り返れば、奨学金を使う形での互助会のような仕組み作りも行ったそうだ。借りられる人が借りて、互いに仲間内で融通しあう。あとで、金が入るような仕事についたら、返してもらう。今の人が聞いたら腰を抜かしそうな話ではある。でも、先生はこう続ける。「そういう、仲間内の団結があったし、またそういうことを通して絆が深まりました」
利他の精神を発揮することにより、自らも力が得られるということだろうか。

もし、抜本的な解決をのぞむなら、政府なりを動かすしかない。が、それを悠長にまっている暇はない、とこちらにも力を込める。なぜなら、院生の意欲が減退し続けるからだと、先生はそこに強い懸念を示す。だから、彼らのこころが折れないように、まわりが何か動いてみせることが大事で、結局それが救いにもなるという。そうすることで、彼らは間接的に心が支えられる、とも。

「これは(高学歴ワーキングプアの問題は)基本的には、社会の決意の問題なのです」

資源に恵まれない日本にとって、人作りこそが大事であるはずだが、それには金がかかる。これまでは、国が成長するなかで個人や家庭だけで、その部分を受け持ってきた。だが、成長減退期に入った我が国で、それは不可能なところにまできている。格差が広がり、かつての中産階級も低所得層へと転落し、家庭にはもうお金がなくなってきているからだ。社会が、公的な資金を用いて人材育成を行うことについてどう考えるのか。ここが磨き抜かれなけねば、我が国の将来も危うくなるはずだ。

公的な研究資金の投入に関して、だからよく議論することが大事だと先生は持論をぶつ。「どういう研究だから、どれくらいの予算をつけて、研究を進めるのを許すか」が大事になる、とも。

現在は、「研究を進める前に『これくらいの人間が欲しい』となり、そうすると『これくらいの予算が必要(欲しい)』となるので、それは、過剰生産につながる」と、問題も指摘する。

「これをやる、この方面の研究をやることは重要なことなのだ」という社会的コンセンサスを作ることが、本来は大事なことなのにそれが出来ていないと嘆く。現状は、役人さんが喜ぶ計画書を作成し、お金をもらうことに腐心する研究者ばかり、と顔を曇らす。

また、(大学院重点化という政策で)作り出した人材(博士)に対しては、PLO法の精神にのっとって、生み出した教授に責任がある!、などの責任感とその所在をもっと明確にしていく動きが社会に広がるべきだと訴える。

自身のことで言えば、「よくポストを紹介してほしい」と大勢からお願いされるそうだ。だが、そこにも見過ごせない問題が隠されているのだという。紹介すれば、「その社会的地位があなたの今にふさわしいものですよ」、というような格付けを一方的にしてしまう危うさもあるから「悩むのです」。若い研究者はこの先、どのように変化し飛躍していくかわからないのに、下手をすると芽をつぶすことにもなりかねないと懸念するのだ。

かつて先生自身が、北陸の大学に応募したときのこと。「あなたは優秀すぎるから」と言われて断られた。今から考えると、まるで、お見合いで断りの返事がなされる時と全く同じなんだが、体よく断られたことに、気づかず、ちょっといい気になって信じてしまった。それで、次に公募に出して決まったところが、京大だったそうだ。そんなことが関係しているみたいだ。

今、自分の歩んできた道を振り返ってみると、結果的には、自分は日の当たるポストを歩んできたけど、「なんでなのか」はよくわからない、と笑ってみせる。だけど、とにかく、がむしゃらにできることに手を出し続けたことは確かだとも。公募にせよなんにせよ、とにかく一生懸命だった、と。「そういう姿が、仲間にも力を与えるんじゃないでしょうか」

今いるところが狭すぎてパイの分け前が手に入らないのなら、ほかに進路を見つけ、そこに「新しい居場所を見つけることもありだと思います」。素粒子したいから、「ぜったい素粒子!」とこだわる姿勢は「かえって危ないと思います」。

転職ということだって視野に入れてもいい、とさらりと言ってのける姿には驚くばかりだが、先生はつとめて本気である。そういう身軽さが大事だし、それもありというメッセージを上手に伝えるシステムも必要になるだろう、と。

学生は、いまいるところにこだわろうとするから、それが一番危ない。そこから離れ、精神を自由にしてあげるサポート体制だって必要だ。追い求めていた道を変更することには、ネガティブに捉えられがちだが、決してそうではない。人生にはいろんな可能性があり、どの方面でそれが開花するかは誰にもわからない。だから柔軟に変わり身(柔道でいうなら受け身)をとれるように、自由な発想と精神を若い人たちがもてるようになる「体制づくりこそが絶対に必要でしょう」。

決して、失敗したから、うまくいかないから 転職というのではないのだ。新たな可能性をみつけだすための転職という意味なのです、と先生はココを強調された。

自分はこうなるだろう、なんて勝手な思いこみが、硬直をもたらし失敗の遠因になる。自分はどうなるかわからないが、可能性を常に追いかけよう、そのときそのときに必要な対処を的確にしていこう。「そんな心がけが生き残る秘訣であると思います」

自分の考えていることは、いつも再検討する必要がある。もし、それでも正しいと信じられるのなら、行動してみる。さすればかならず、仲間があらわれる。信念をもって歩めば支持してくれる人がいる、と先生は会場にいる人たち全てを見渡して力を込める。

「私の全人生は遊びです。そもそも学問というものは肩肘はらなくても十分楽しいものです。だから、こういう成果をあげなきゃ、賞をとらなきゃ、なんて思いで学問をしたことはありません。たとえば、大学生などに伝えたいことは、レポートを提出しないといけないからなどの〝義務感でやる〟のは学問の楽しみをスポイルしているのではないかということです。そうではなくて、気がついたらやっていた、なんていうのが本当に学問する、ということではないでしょうか」

赤い糸はつながっているわけではないが、(もし、これだと思えるようなものに)出くわしてしまったなら信じて突き進むしかない、と先生は最後に仰った。自分の場合は、それが今の学問に結果的に繋がった、とも。それぞれの人には、それぞれのご縁があり、そこを大事にすることで自分なりに得心できるとのメッセージが私には伝わってきた時間だった。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする