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draw_or_die

everything will be worthy but cloudy

久しぶりに

2014-05-09 12:34:56 | 最近読んだ本
月と6ペンス/サマセット・モーム

 私がチャールズ・ストリックランドという男に出会ったのは、ストリックランド夫人のパーティーを通じてだった。夫人は、私のような若い作家を集めて、たびたび社交的なパーティーを行っている。彼は、証券取引所の仲買人の仕事をしていた。私はそのパーティーで少しだけ彼と話をしたが、その当時の彼は、話下手で、面白くのない、退屈な人間だと感じた。
 そんなある時、彼は突然妻も子供も捨ててパリへ行ってしまったという話を聞いた。きっと浮気でもして駆け落ちしたのだろう。夫人は、私にパリへ行って彼を説得してほしいと頼んできた。パリで見つけた彼は、浮気などはしておらず、汚い安い宿に泊まり、絵を描いていると言った。
 話をしているうちに、彼には戻る気はなく、その話を聞いた夫人もついには夫をあきらめ、彼の事はもう知らない、と、復縁するつもりもないらしかった。

 あれから5年。ストリックランド夫人はタイピストの事務所を構え、社会的にも経済的にも自立していた。私のほうは作家的な行き詰まりを感じ、パリへ移住しようと考えていた。そこで私は、チャールズ・ストリックランドという画家の噂を聞いた。いつの間に彼は有名な画家になっていたのか。私は画家の友人を通じ、ストリックランドに久しぶりに会いにいくことにしたのだった…。

 家庭も、安定した収入もある40歳の男が、なぜ突然すべてを捨てて絵を描き始めたのか。そんな謎めいた男の人生が、作家である私の視点で語られる。まあ男というものは、ときに自分の趣味世界だけに没頭したいという時もあるだろう。もちろん、できることなら仕事や家庭も捨てて、ただひたすらに何かに打ち込みたいという欲求が。そういうのって、べつに分からなくもないですよね。

 彼に再会して分かったことは、彼は描いた絵を誰に見せることもなく、ただ自分のためだけに作品を作り続けているという。そんなことってありえるのだろうか?主人公の私が作家だからこそ、その感情はよく理解できる。『世間に認められたいという欲望は、おそらく、文明人にもっとも深く根差した本能だ。…』
 とてもシンプルな事なんだけど、こうやって文章に表されると、なるほどなと実感させられてしまう。元々の作家の作風というのもあるんだけど、現代語訳されたこの本は全体的に読みやすくて、やっぱり古典は新しい翻訳で読むに限ります。

 反社会的で自分を顧みず、ひたすらに破滅的な人間であるストリックランド。その災いは、彼の友人にも害を及ぼしていく。友人の奥さんを寝取ったり、挙句にその奥さんは自殺してしまったり。そういったパリでのひと悶着のあと、彼と別れてしまい、それが最後に見た彼の姿となってしまう。

 小説の最後の部分は、ストリックランドがタヒチで過ごした晩年。彼の死後私はタヒチへ行き、ストリックランドの最後の数年間の断片的なエピソードを聞く。
 どうやら彼は、タヒチにようやく心を落ち着けられる場所を見つけたらしい。誰にも干渉されず、思う存分に創作に没頭できる場所。タヒチに渡った時点で、彼は画家としていくらかの名声を得ていたらしい。けれども、相変わらず世間の事はまったく感心にないといったストリックランド。その身体がハンセン病を患っているのも気に留めず、ただひたすら、自分の芸術のために描き続けた壮絶な人生…。

 それとは対照的に、彼の知人や私の友人は、皆口をそろえたかのように「ストリックランドの絵にそんな価値があるなんて知らなかった。持っていれば、今頃お金持ちだったろうなあ」と、すごく俗っぽいことを話す。あるいは、別のたとえもある。優秀な医師としてのキャリアを期待されていたが、ある日突然アレクサンドリアへ行ったきり、戻らなかった私の友人。彼が去ってくれたおかげで、ナンバー2だった医師は今や大病院の院長。
 つまりは、個人が感じる幸福と社会的な(相対的な)幸福は異なっている、ということですね。
『…彼は本当にしたいことをしたのだ。住み心地のいい所での暮らし、心の平静を得た。それが人生を棒に振ることなのだろうか。成功とは、立派な外科医になって1万ポンド稼ぎ、美しい女と結婚することだろうか。成功の意味はひとつではない。人生に何を求めるか、社会に何を求めるか、個人として何を求めるかで変わってくる。…』
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