Dollyの*ラウンド*ダンスに夢中 ーI Was Made For Round Dancin' 

ラウンドダンスにどっぷりハマってしまったDollyの「Sweet&Lovely」なダンス三昧の毎日!

またまた「長安24時」

2021-06-20 16:42:41 | 中国ドラマ

「長安24時」片尾曲も興味深い。
李白の「短歌行」にメロディーをのせて、趣がある。ドラマが終わっても、エンドロールをしばらく眺めてしまう。

 

白日何短短,百年苦易滿。

蒼穹浩茫茫,萬劫太極長。

麻姑垂兩鬢,一半已成霜。

(人の寿命は幾何ぞ、長い人生を得ることは難しい、だから知友と共に行楽を楽しもう)

白日というものどうしてこんなにも短いのだろう、朝は夕べを待たないのだろうか、百年というのもつかの間で、忽ちにして満ちてしまう。

天を仰ぎ見れば、どこまでも蒼蒼茫茫として、終極する事は無く、天地が初めて形するの時、萬劫を経るも、太極は無極で、終始依然足れども、白日のみは、忽ちに過ぎてゆくのである。

仙女麻姑でさえも、両鬢がたれて、一半は霜となり、さしもの仙人も、年の寄ることはまぬがれない。

天公見玉女,大笑億千場。

吾欲攬六龍,迴車掛扶桑。

北斗酌美酒,勸龍各一觴。

富貴非所願,與人駐顏光。

しかし、天公は玉女の投壷するのをみて,大いに笑われ、その笑われをときには、電光となって現れるといわれ、それは何時までも、何処にでも止まないものであり、今に至るまで電光は堪えることが無い。

我々は天公のようにならなければ年を取らないということはないわけで、そうなりたいということで、白日を追う六龍の馭者となって義和の車を廻らして東海のほとりにあるという芙蓉の木に白日を引っ掛けていつまでもその日を照らし続けるようにしたいと思うのである。

それから天上の星の中で、北斗七星は柄杓であるから、それを取って美酒を飲もう、そうして太陽を馭してゆく、かの六龍たちを呼びつけ、それに一杯ずつ酒を飲ましてやり、しばらくその場で休憩してもらい、太陽を動かぬようにする。

富貴功名というものは、だれしも希望としているが、自分は決してそう願ってはいない。ただ、長いこと人として顔色を留めて、歳をとらぬようにすればよいとするので、そのためには、太陽を馭し、暫しなりとも、六龍を留めて動かぬようにしたいと思うのである。

李白の詩は数多くあるけれど、この詩はこのドラマにドンピシャのチョイス。
特に後半の北斗のひしゃくで美酒を飲む・・・太陽を東海の芙蓉の木にに引っ掛けて・・のあたり
あまりにも壮大すぎて・・・李白の発想に驚いてしまった。
歳を重ねてみて、この詩の心境が少し分かりかけてきた。
書道サークルが始まったら、今度この詩をお手本に書いてみようと思う。