二百名山クジラのデンデケ放浪記

二百名山クジラ(ドラ猫)が歩く飲んだくれ放浪記です

カンチャナブリー2

2011-05-30 20:19:51 | 日記




ホテルでバイクを借ります♪200バーツ。ガソリンは満タン返しです。遂にあっちゃんとお別れです。今日は本田君がパートナーです。スクーターですがバカにしてはいけません。真っ直ぐな下り勾配では100km出ます(笑)ラオスでは鬱陶しかったけど、やっぱりフルフェイスにすべきですね。顔に当たる風圧で眼が痛いし、横を向くと鼻が潰れて息が出来ません(泣)郊外で給油します。科学の実験みたいな感じでおばあちゃんが入れてくれます♪勿論細かい数字なんかありません。大体こんなもん、の世界です。80km先にある「ヘルファイアパス」泰緬鉄道建設の際に最も困難を極めた場所です。一時間ちょっとで到着。陸軍のゲートを通して貰った先に博物館があります。私の認識不足でしたが、相当酷いことになってます。当時、連合軍の捕虜が六万人、プラス二十万人のアジア人(通称ROMUSHA)が携わり、それぞれ12800人と九万人が死んだそうです。頭が下がります。アジア人がこんなに関与しているとは…
博物館の裏手に下へ降りる階段があります。その先は遊歩道と書いてあるのを勘違いしたのか、ねーちゃん2人が裸足で歩いてましたが、石ゴロゴロですよ?かなり頑張りましたが、300m位先のパスまでは行き着けませんでした。(笑)
これは凄い!これを堀抜いたんですよ!ほぼ人力で。酷い話です(泣)








この先も遊歩道は続きますが、案内板は三時間かかるぞっと脅しますし、サンダルの底も剥げそうなので、止めておきましょう。
5km程手前に車が一杯停まってる公園みたいなのがありました。覗いてみましょう、滝だそうです。…おおっ、これは予想外でしたが、ここにも線路がありました。こっちは駅までありますっ。拾い物でした。








さて滝は?家族連れやガキ共のプールになってました(笑)
カンチャナブリー近くまで戻ってカオプーン洞穴。寺院の敷地内にあります。歩き方には無料、中は迷うので僧に案内を頼む事、とありましたが、きっちり20バーツ。中は案内板だらけでした。大戦中は、日本軍が倉庫として使っていたそうですが、今は仏像が様々安置されています。ま、それだけですが。








JEATH戦争博物館。捕虜収容所を再現した竹の建物の中にスケッチや水彩画が展示されてます。おおっ、フィッシュクリーニングがありました。昔から流行ってたんですね。これがくすぐったいんです(泣)
裏手にはこっそり日本人の銅像が。戦後、カンチャナブリーに戻ってきて学校などを作って再興を助けた方がいらっしゃるそうです。救いになります。
共同墓地の前には泰緬鉄道博物館。もうこの辺になるとこじつけ感がありあり。






第二次世界大戦博物館。訳わかりません。日本軍の発行した軍票の束が山となってます(笑)
屋上からの景色は良いです。後、日本軍が最初に捕虜に造らせた橋のオリジナルという触れ込みの木造構造物。十年前には無かった気もしますが…
うわっ、変な生き物を踏みそうになりました。誰ですか?君はっ








最後は橋を歩いてみましょう。昔より歩きやすくなってる気がします。鉄材は日本製ですね。
人通りが多いです。
チキンサラダは完全にチキンが主役です。サラダじゃないじゃん(泣)アナタ色は同じ。なんとかカレーにはしょっちゅう虫が飛び込んできて、その都度スプーンで排除します(笑)咳き込むくらい辛くて、汗だくです♪350バーツ。







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