さと姐さんの記事を見て ふと思った事。
あんな事からこんな事まで
人って千差万別だけど・・・
色恋に関してはさらに個人差が顕著ですね。
スタンダードって無いしな。「平均」や「多数」も意味が無い。
私は小学校から10代前半まで 男のいない世界に住んでた。
実際には同じ生活空間にいたのだけど、まったく視野に入っていなかった。
幼少の頃は幼なじみに男の子がいたし、普通に「一緒に」生きていたのだけど。
なんで男がいなくなったのか、記憶の糸をたどっても何も出て来ない・・・。
そして多くの女の子がそうであるように、発情期を10代後半から20代前半に体験した。
世の中が自分を「女」として扱うようになるわけで、これがものすごく新鮮で面白かった。
性欲とは違う、男と女の世界に対する欲求。
未知なものへの好奇心。
ただ、それだけのことなんだけど、それが私の発情期だった。
今思えば「けっこうもったいないことをしたな~」と、・・・思ったりもする。
何がもったいないかって、自分にとっての価値と、相手にとっての価値にギャップがあり過ぎたってことさ。
私はどこで植え付けられたのか、生まれつきそうなのか、
貞操観念ってのが頭の中をどっしりと占拠している。いや、貞操観念とは違う 独自の性に関する価値観か。
今じゃあこれって、とても不幸だと思う。
で、この貞操って言葉があるために 私は「清らかでない」行動をすることに快感を覚えたわけで。
それが大人なよーな気がしていた。
私の場合、「生理的な」欲求ってものは 行動を支配しない。
性欲は個人のもので、相手に対してそれが流出することはなかった。
男はモノではなく、人格のある「ヒト」だから。
人格を通り越して 欲求の対象となる事は無かった。
男とやりたいか、やりたくないかってったら、全然やりたくなんかなかったな。
「女として見られる」快感だけで充分だった。
そして、これは今でもそう。
べつに一緒の布団で寝てるだけで おなかいっぱい。
たま~~~に 本当に特別な、世界でいちばん大切な人と、共同の秘め事を楽しんでみたくなる事はある。
でも 男だろうが、女だろうが、性欲の強い人は存在する。
行きずりってのが好きな人たちだっている。
体と心は別。そんな人だって多い。
本能のままに快楽の海を漂う・・・な~んてことを楽しむ人が ちょっぴり羨ましかったりして。
私には無理。開放していないんじゃなくて、そういう欲求がそもそも無いんだもん。
美味しそうに ホヤを食べてる人を見ると、自分は嫌いだけどなんか羨ましくなるようなもの?(なんじゃそりゃ)
結局 この性に対する好みの組み合わせって 大事ってのはよくわかる。
性の不一致で離婚?あるかもね。
長く一緒にいないと、本当の性質って 出て来ないし。
ある1点で交わっただけってのも あるだろう。
奇跡的に私は 自分にぴったりの男をつかまえる事ができた。果報もんだ。
合わない男との生活って、苦痛だろうな。
お互い「無くて良い」ってのは、それはそれでぴったりなんだと思う。
性質が違うってのがいちばんやっかいなんだろーねぇ。
え?オチ?
この記事は「ふと思った事・私の場合」ってなもんですから。
ふぅ~。
あんな事からこんな事まで
人って千差万別だけど・・・
色恋に関してはさらに個人差が顕著ですね。
スタンダードって無いしな。「平均」や「多数」も意味が無い。
私は小学校から10代前半まで 男のいない世界に住んでた。
実際には同じ生活空間にいたのだけど、まったく視野に入っていなかった。
幼少の頃は幼なじみに男の子がいたし、普通に「一緒に」生きていたのだけど。
なんで男がいなくなったのか、記憶の糸をたどっても何も出て来ない・・・。
そして多くの女の子がそうであるように、発情期を10代後半から20代前半に体験した。
世の中が自分を「女」として扱うようになるわけで、これがものすごく新鮮で面白かった。
性欲とは違う、男と女の世界に対する欲求。
未知なものへの好奇心。
ただ、それだけのことなんだけど、それが私の発情期だった。
今思えば「けっこうもったいないことをしたな~」と、・・・思ったりもする。
何がもったいないかって、自分にとっての価値と、相手にとっての価値にギャップがあり過ぎたってことさ。
私はどこで植え付けられたのか、生まれつきそうなのか、
貞操観念ってのが頭の中をどっしりと占拠している。いや、貞操観念とは違う 独自の性に関する価値観か。
今じゃあこれって、とても不幸だと思う。
で、この貞操って言葉があるために 私は「清らかでない」行動をすることに快感を覚えたわけで。
それが大人なよーな気がしていた。
私の場合、「生理的な」欲求ってものは 行動を支配しない。
性欲は個人のもので、相手に対してそれが流出することはなかった。
男はモノではなく、人格のある「ヒト」だから。
人格を通り越して 欲求の対象となる事は無かった。
男とやりたいか、やりたくないかってったら、全然やりたくなんかなかったな。
「女として見られる」快感だけで充分だった。
そして、これは今でもそう。
べつに一緒の布団で寝てるだけで おなかいっぱい。
たま~~~に 本当に特別な、世界でいちばん大切な人と、共同の秘め事を楽しんでみたくなる事はある。
でも 男だろうが、女だろうが、性欲の強い人は存在する。
行きずりってのが好きな人たちだっている。
体と心は別。そんな人だって多い。
本能のままに快楽の海を漂う・・・な~んてことを楽しむ人が ちょっぴり羨ましかったりして。
私には無理。開放していないんじゃなくて、そういう欲求がそもそも無いんだもん。
美味しそうに ホヤを食べてる人を見ると、自分は嫌いだけどなんか羨ましくなるようなもの?(なんじゃそりゃ)
結局 この性に対する好みの組み合わせって 大事ってのはよくわかる。
性の不一致で離婚?あるかもね。
長く一緒にいないと、本当の性質って 出て来ないし。
ある1点で交わっただけってのも あるだろう。
奇跡的に私は 自分にぴったりの男をつかまえる事ができた。果報もんだ。
合わない男との生活って、苦痛だろうな。
お互い「無くて良い」ってのは、それはそれでぴったりなんだと思う。
性質が違うってのがいちばんやっかいなんだろーねぇ。
え?オチ?
この記事は「ふと思った事・私の場合」ってなもんですから。
ふぅ~。
いやあ、発情期のワタシってば妙な疑問がありましてね?
「世の中のおじさんやおばさんや
おじいさんやおばあさんって、今でもセックスしてるのかな?」
と・・・(余計なお世話だよね・笑)
「ん~これって今シタほうが楽しいもんなんじゃないんだろうか?」とも・・・(笑)。
そうして現在、パパさんとワタシは相性ぴったりの
「無くてもよい」派になってしまいました。
ほんとこればかりは人それぞれだよねえ。
あたしゃあ、ほんと悔いはないよ・・・。
セックスはその人なりの発情期にしたほうがうんと楽しいと思っております。
大人になったワタシには、セックスよりも楽しいことがたくさんあるんですもの
いや、でもうちも少ない方で「ぴったり」だと思います。
(平均なんて知らないけど、なんとなく)
食べ物でも「おいしい!」と思う人が食べるのがイチバンですよね。
発情期は美味しさを堪能できるのなら、おもいっきり耽るのもいいものかと。
私は発情期にイマイチ良さを理解できなかったから、この歳になって 良さを味わってます。(回数は多くない。←くどい)
やっぱ 発情期ってのは、そのことが頭を占める割合が大きいってことだしな。
私も今はセックス以上の邪念が渦巻いてます・・・