大学なのに義務教育のような授業だ――。財務省が15日の有識者らによる審議会で、一部の私大の教育内容を厳しく指摘し、私学助成の見直しを提唱した。
15日の財政制度等審議会(財務相の諮問機関)の分科会で主張した。定員割れに陥っている私大の授業例として、四則演算や方程式の取り扱い(数学)、現在形と過去形の違い(英語)などを挙げた。
財務省の主張に対し、文科省幹部は「目指すべき方向は同じ」としつつ、「定員割れしていたり、基礎的な学びを採り入れたりしている大学の教育の質が一概に低いとは言い切れず、一面的で粗い考え方だ」と指摘。
一体、何が「目指すべき方向は同じ」なのでしょう。
四則演算や方程式の取り扱い(数学)、現在形と過去形の違い(英語)
小学校や中学の義務教育でやるのを大学で、またやっている。
しかし、いっつも思うのが、こんな人間を何で高校に通し、卒業させたのか、
そして、大学入試は、どんなのだったのか、
確かに、50年前でも、私学の高校で自分の名前を漢字で書けたら通して、
ひらがなだったらダメなんていう所が有りました。
この50年間教育行政は、何をやってきたのでしょう。
子供の人数も減り、定員割れする学校も多くなっているのに、
大学の数は増えているそうです。
何故、増えているのか、誰が増やしているのか、それが問題でしょう。
まあ多分、これも、もんかしょうの利権になっているのでしょうね。
あまくだりさきを増やしたいのでしょう。
ひろゆきさんが言っていましたが、先生という職業は、
一般社会のサラリーマンが出来ない人間がする仕事だと、言っていました。
これは、かなり極論でしょうけど、一理あると思います。
私が、小学生の時に、こんなバカ共を教えるなんて、
死んでも嫌や、と思っていました。
実際、あの時代は、デモシカ先生だらけだったので、
馬鹿ども相手でも、できたのでしょうが、
今の時代に先生という職業をわざわざ選ぶのは、林修先生みたいに、
がっぽり稼げるのなら、まだ分かります。
現在の学校のように、授業以外の行事や、親との対応に手間がかかるのは、
果たして、これは先生がやるべき仕事か ?
それを、そんなにやりたければ、授業は、全部AIに任せて、
人間の先生は、そっちに専念すればいいんじゃないですか ?
本当に子供が大事と考えるのなら、欧米のように、子供であろうが、
国民の一人として考えて、子供の人権を国が守り、
親から引き離せばいいんです。
日本では、子供は、親の持ち物として定義されています。
現実として、どうしようもない親から子供を引き離し、国が面倒をみる。
そして義務教育は、留年させてでも、しっかり教育するべきです。
大学生になっているのに、四則演算なんて、
そんな状態の子供に気付かない親が、おかしいので有って、
親としての、義務を果たしていないのに、お金だけ出して、
大学に行かせ、大卒という、箔だけ付けれはいいと思っている。
そんな人間になるのが分かっているいるのに、見て見ぬふりをしていて、
それが果たして教育者と言えるのか。
そこに関わってきた大人共の無責任も甚だしい。
私らの時代は、まだとことん貧困が有りましたから、
勉強ができない者は、中卒で、すぐに働いて、
自分で生きていく能力を身に付けていた。
今は、親の世間体の為に、無理矢理、大卒という事にして、
問題の先送りをして、本人は義務教育さえまともに出来ないのに、
いっぱしの社会人になったと勘違いさせられて、
働きだすと、現実とのギャップが分かり、ドロップアウトしてしまう。
そして、下手をすれば、犯罪に走ってしまう。
そして、そのような人間が子供を作ってしまうから、
そんな事の連鎖が起こってしまう。
今の日本が停滞しているのも、義務教育をまともにやらず、
四則演算さえ出来ない大人をいっぱい作ったんですから当然だし、
そりゃ、税金をいくら取られても分からないのは当たり前でしょう。
そして、物事が理解できないまま、全てを先送りにして、
問題を解かなくても、丸暗記ができれば、
賢いなんていう人間を作っただけなんですから、
会社の組織運営である、ガバナンスなんて、ガバガバになるのも当然だし、
お隣の国から見れば、物欲と性欲だけの人間なんですから、
ハニトラ、マネトラだらけになるのも、当然の帰結でしょう。
テレビを見ていると、そこに、食欲まで加えたものを垂れ流しています。
それには、高邁な理念なんて、微塵も有りません。
本来、万博は、他の国のいろんな、その高邁な理想を見に行く所であり、
金銭的や人的な失敗をあげつらっていても、なんの意味も無いはずです。
それは、運営側の問題であり、出て頂いている国々とは関係ないし、
観客にも関係のない事です。
あそこまで、マスコミが、大阪万博をディスるのは、
東京が、政治経済も含め、色んな意味で、
もうピークアウトしているからでしょう。
それだけに、ただの悪あがきのようにしか見えない。
まあ、四則演算ができなくても、政治家の先生にはなれますからね。