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楽しくいきましょう、神戸 大阪

いじめ 2

また、神戸の先生が、子供にハサミを突き付け、頭の中の脳はどうなってるのかなあ ?と言ったらしい。

私の時代は、体罰は先生に限らず、周りの大人全員が子供達全部にやりまくっていた。
瞬間的に手が出ていた、あいさつがわりであったり、ただ気に入らないと言うだけで取りあえず、殴っておこう、みたいに日常であった。

どこから、手が飛んで来るかもしれないから、危なそうな大人が近くにいると、常に気を張って、よけれるように、身構えていた。

周りには、そんな危ない大人だらけだった、それだけに、日常がサバイバルである。
その上に、あっちこっちに、ノラ犬、ノラ猫、ノラ人間がいた。

気を抜いて歩いていると、その全部に襲われる、たかられる、お金をねだられる、噛みつかれる、意味なく命令される、ひっかかれる、突き飛ばされる、人間だけじゃなく犬や猫にですよ 。

そのお陰で、自分の立ち位置、人およびワンコ、ニャンコとの距離感、考えている事や気持ちを読む。
ヤバイ気配を感じると、そこから素早く離脱する、というのが自然に出来るようになる。

私が思うに、現代の日本人は、日常が楽になり過ぎ、自分以外のものとの、緊張感、距離感、が読めなくなって、そこら中で、祖語が生まれまくっている。

動物として、他のものとの、コミュニケーションがうまく出来なくなっている。

言葉は人間同士のツールであって、SNSなどで今は、簡単につながるが、そこから先の言葉のツールを駆使するが拙い。

本来の動物としての、面と向かって対峙して、五感をフル活動させて感じ取るのが、全く出来なくなっているように見えます。

人間の五感は、今でも野生動物と同じように感覚器は感じ取っていると言われる。

生きるのに危機がなくていい社会をどんどん作り上げてきたから、常に気を張る必要がなくなってきて、無駄なことに労力を使わず、脳がリミッターをかけ、脳の処理を減らしている。

そして、その空いた処理能力を、人間の楽しい事に使うようにして進化してきた。

その余った能力を使わず、何もしない、ただ楽をするようになったら、昔から言う生ける屍、みんな、大好きなゾンビになりました。

しかし、本当に脳までゾンビになったら、楽になるんだけど、日がな一日、アーーと言いながら、そこら辺を散策し、日焼けも病気も気にしなくていい。

生きてる人間をみつけたら、何故か感情がよみがえり、ムカついて、追っかけまわし、しゃぶってあげたくなる。

私が念願かなってゾンビになった折りには、若くて可愛いお姉さんだけを追っかけまわし、それ以外の人間は目の前ににいても見ぬふりをして、最後は、お姉さんに
、キャーと言いながらフルスイングのバットで頭をぶん殴られて、満願成就して晴れて地獄ではなく天国に行きます。

妄想が止まりません。

私は、ゾンビになっても、楽しめます。

話がそれまくりました。

えーと、なんでしたかなあ。
アカン、ゾンビになりかけてる。

もとい、無意識で五感が感じてしまっているので、本能の欲望が、邪魔をして、それが肉体としては、楽であっても、ストレスになってくる。

本来の人間は、そのストレスを頭を使って、楽しみに変えれる能力が有るはず。

私は、子供の頃、体の欠点、欠陥が有り、外に出れば、先ほどのように、容赦のない、あらゆる攻撃が、突き刺さってくるので、引きこもりぎみで妄想ばかりしていた。

そのお陰か自分を、いいか悪いか分からないが俯瞰して見れるようになった。

大好きなゾンビになるのが、目標、夢 ? ? ?






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