
先日、放送された「東京ディスコ伝説」(WOWOW)を見ました
という電話&メールが各方面の多くの人達から寄せられました。
私的に懐かしかったのは、佐藤さんかなぁ。。。
ツバキ・ハウス時代から知っているだけに、久々に拝見出来て懐かしかったです。
佐藤さんの上司でホシナさんという女性部長がいて
ニューヨークのディスコでビクターの本多さんに紹介されたのを覚えてます。
当時の佐藤さんは、そんなホシナ部長の絶大なる信頼を得てましたね。
さて番組で私的に気になったのは“新宿ディスコ殺人事件”
これは1982年6月に起きた事件で別にディスコの中で殺人事件が
起きた訳でもないのに、大袈裟に当時のマスコミは、このような呼び名で
連日報道を続けてました。
この事件は御存知な方も多いと思いますが、歌舞伎町東宝会館6Fの
ディスコ「1+1」で犯人が女子中学生2人をターゲットに絞り、
「1+1」を出た後、ゲーム・センターでナンパして
千葉方面に車で連れ去り、最終的に殺してしまったという凄惨な事件でした。
また“犯行に赤いスポーツカーを使用した”というのが
個人的に許せませんでした!
この時、ディスコ側は中学生を入店させていたという事実が
大きな社会問題となり、番組でも映像紹介されていたように
警察の大規模な一斉取り締まりが実施されたのです。
当時、ニューヨーク・ニューヨークにも警察の人達が頻繁に出入りしてました。
まあ、一番集客数の多いディスコに重点を置くのは当たり前ですよね。。。
ニューヨーク・ニューヨークは、この時、かなり協力的対応しました。
殺人犯人の手配書を店の入り口&レジ、トイレ。
さらにDJブースにも張りました。写真は、その模様を撮影したモノで、
番組の中では、手配書の部分がアップになっていました。
手配書の上は“まっちゃん”というSAM(TRF)達と仲の良かった
踊りの大好きなスタッフで現在、銀座でバーテンをしてます。
その横の赤シャツの男が私で、さらに、その横が東店長です。
この時の東さんは33歳ですが、パンチ・パーマのためか、妙に貫禄あります。
また、これは今となっては笑い話ですが、当時のニューヨーク・ニューヨークの
DJスタッフの私以外の2人。つまり、ジン赤沢とケニーは
警察に呼ばれ、いろいろ尋問されたとのこと。
理由は彼等が犯人の髪型と似ており、さらにサングラスをしてた。
ただ、それだけで疑われたようです。まあ、それぐらい警察も広範囲に
あらゆることを視野に入れて捜査してたんだと思います。
でも、彼等は、その犯行時間はニューヨーク・ニューヨークにいたので
アリバイ成立。私は犯人にないヒゲがあり、サングラスもしてない、
そしていつも赤シャツのため最初から対象外だったようです。
「赤シャツ毎日着ていて良かった…。」とホンのちょっぴり思いました。
参考までにジン赤沢は、その後、レコード会社に入社、小柳ゆきなどを
手掛け成功。ケニーも音楽プロデューサー&コーディネイターとして活躍中です。
東さんの特技は警察&お役所関連の人達と仲良くなることでした。
この時も捜査状況を逆に、いろいろ聞き出してましたが、
結果的に犯人は捕まりませんでした。
というか、ある日突然、捜査本部が解散されたようです。
そんな訳で、様々な憶測や噂が広まりました。
でも、もう一つ間違いなく言えることは、この新宿ディスコ殺人事件が
契機でディスコが下火になったのではない! ということです。
この時、ディスコが下火になたのは日本だけではなく
全世界な傾向でした。まあ、映画「サタデー・ナイト・フィーヴァー」で
異常にディスコが盛上り過ぎたために、そのリバウンドで急降下。
そして決定的だったのは、ディスコ・ヒット曲が出なくなったことです。
(そうですよね? 吉岡正晴先生!)
だから、ニュー・ウェイヴなどのUKロックがディスコでも注目を
集めた訳です。これと同じ現象は70年代にも一度ありました。
音楽のソウル、踊りのバンプ、アフロ・ヘアーなどで70年代中期に
ディスコ・ブームを迎えた後、ディスコ・ヒット曲が一時減少、
ケントスのような50sロックン・ロールをかけてる時期がありましたよね。
という電話&メールが各方面の多くの人達から寄せられました。
私的に懐かしかったのは、佐藤さんかなぁ。。。
ツバキ・ハウス時代から知っているだけに、久々に拝見出来て懐かしかったです。
佐藤さんの上司でホシナさんという女性部長がいて
ニューヨークのディスコでビクターの本多さんに紹介されたのを覚えてます。
当時の佐藤さんは、そんなホシナ部長の絶大なる信頼を得てましたね。
さて番組で私的に気になったのは“新宿ディスコ殺人事件”
これは1982年6月に起きた事件で別にディスコの中で殺人事件が
起きた訳でもないのに、大袈裟に当時のマスコミは、このような呼び名で
連日報道を続けてました。
この事件は御存知な方も多いと思いますが、歌舞伎町東宝会館6Fの
ディスコ「1+1」で犯人が女子中学生2人をターゲットに絞り、
「1+1」を出た後、ゲーム・センターでナンパして
千葉方面に車で連れ去り、最終的に殺してしまったという凄惨な事件でした。
また“犯行に赤いスポーツカーを使用した”というのが
個人的に許せませんでした!
この時、ディスコ側は中学生を入店させていたという事実が
大きな社会問題となり、番組でも映像紹介されていたように
警察の大規模な一斉取り締まりが実施されたのです。
当時、ニューヨーク・ニューヨークにも警察の人達が頻繁に出入りしてました。
まあ、一番集客数の多いディスコに重点を置くのは当たり前ですよね。。。
ニューヨーク・ニューヨークは、この時、かなり協力的対応しました。
殺人犯人の手配書を店の入り口&レジ、トイレ。
さらにDJブースにも張りました。写真は、その模様を撮影したモノで、
番組の中では、手配書の部分がアップになっていました。
手配書の上は“まっちゃん”というSAM(TRF)達と仲の良かった
踊りの大好きなスタッフで現在、銀座でバーテンをしてます。
その横の赤シャツの男が私で、さらに、その横が東店長です。
この時の東さんは33歳ですが、パンチ・パーマのためか、妙に貫禄あります。
また、これは今となっては笑い話ですが、当時のニューヨーク・ニューヨークの
DJスタッフの私以外の2人。つまり、ジン赤沢とケニーは
警察に呼ばれ、いろいろ尋問されたとのこと。
理由は彼等が犯人の髪型と似ており、さらにサングラスをしてた。
ただ、それだけで疑われたようです。まあ、それぐらい警察も広範囲に
あらゆることを視野に入れて捜査してたんだと思います。
でも、彼等は、その犯行時間はニューヨーク・ニューヨークにいたので
アリバイ成立。私は犯人にないヒゲがあり、サングラスもしてない、
そしていつも赤シャツのため最初から対象外だったようです。
「赤シャツ毎日着ていて良かった…。」とホンのちょっぴり思いました。
参考までにジン赤沢は、その後、レコード会社に入社、小柳ゆきなどを
手掛け成功。ケニーも音楽プロデューサー&コーディネイターとして活躍中です。
東さんの特技は警察&お役所関連の人達と仲良くなることでした。
この時も捜査状況を逆に、いろいろ聞き出してましたが、
結果的に犯人は捕まりませんでした。
というか、ある日突然、捜査本部が解散されたようです。
そんな訳で、様々な憶測や噂が広まりました。
でも、もう一つ間違いなく言えることは、この新宿ディスコ殺人事件が
契機でディスコが下火になったのではない! ということです。
この時、ディスコが下火になたのは日本だけではなく
全世界な傾向でした。まあ、映画「サタデー・ナイト・フィーヴァー」で
異常にディスコが盛上り過ぎたために、そのリバウンドで急降下。
そして決定的だったのは、ディスコ・ヒット曲が出なくなったことです。
(そうですよね? 吉岡正晴先生!)
だから、ニュー・ウェイヴなどのUKロックがディスコでも注目を
集めた訳です。これと同じ現象は70年代にも一度ありました。
音楽のソウル、踊りのバンプ、アフロ・ヘアーなどで70年代中期に
ディスコ・ブームを迎えた後、ディスコ・ヒット曲が一時減少、
ケントスのような50sロックン・ロールをかけてる時期がありましたよね。
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