DISCO赤シャツ

ディスコ&クラブDJ歴43年、DJ松本みつぐ(RED MONSTER)のディスコな赤シャツNOTE

スーパー・ユーロビート Vol.160

2005-07-15 05:08:45 | Weblog
 本日、エイベックスのディレクターから、“スーパー・ユーロビート Vol.160”の
マスターリングが無事に終了したという報告がありました。
“スーパー・ユーロビート”シリーズのマスターリング終了報告を初めて聞いたのは
今から15年前の1990年。報告してきれたのは“スーパー・ユーロビート”の
初代ディレクイターである松浦勝人氏(現エイベックス社長)でした。
以来15年間、同シリーズは160組もCDを発売した訳です。
今回の選曲は、ユーザーから人気投票で選ばれた上位100曲であり、
曲順は、DISC1に100位から51位まで、DISC2に50位から1位まで
各々順番に並べて、ノンストップミックス収録しています。
DISC2のラスト・ナンバー、つまり、リクエスト第1位は圧倒的に2位以下を
引き離して、“ナイト・オブ・ファイヤー”(ニコ)でした。
(参考までに同曲は6年前の曲であり、第3次ユーロビート・ブームの発火点になった曲)
最近、お茶の間で話題の“恋のマイアヒ”(オゾン)は13位、私がリミックスした
“ツナミ・カム”は3位でした。(うれしいねぇ~。)
現時点で、これ以上、収録曲を暴露すると、後のお楽しみが、なくなるで
エイベックスの公式発表を待ってください。
参考までに我々(MST)は100位から76位までのノンストップミックスを手掛けています。
かなり、懐かしい曲も収録されています。今回のノンストミックス製作上で難しかったのは、
リクエスト順位で曲順を決定したために、昔の曲と最近の曲が入り乱れて並んでいます。
従って、昔の曲と最近の曲は、曲のテンポが、かなり違う(昔の曲は遅く、最近の曲は速い)ので
つなぐ時に、かなり苦労しています。
 この15年間のスーパー・ユーロビートCDは商品セールス的に、
いい時もあれば、悪い時もありました。現在は、はっきり言って最悪状態です。
そして、あまりにも、悪い期間が長過ぎます。
今週発売された“俄然パラパラ!・プレゼンツ・キャンパス・サミット2005”は
昨日(7/13付)のオリコン・デイリー・アルバム・チャート13位を記録。
このように最近、再び、パラパラ・ブームの兆しがあります。今回の特徴は、
福島を中心とした東北、大阪を中心とした関西、名古屋、三重、東海地区が好調。
しかし、東京を含む関東、九州はイマイチとか?
さらに今回のパラパラ・ブームは、前回、前々回のパラパラ・ブームの時と違って、
パラパラがブームになってもユーロビートCDのセールスにつながらないというのが、
大きな特徴です。事実、俄然パラパラ・シリーズCDの収録曲はユーロビートは半分だけで、
残り半分はトランスとテクノです。また最近、お茶の間でもパラパラ人気の“恋のマイアヒ”は
本来、トランス系のナンバーです。今回の160に収録した“恋のマイアヒ”は同曲を
ユーロビート・リミックスした作品です。
エイベックスとしては、「パラパラが流行れば、ユーロビートCDも売れる」という
これまでの法則を信じて展開してきただけに、少々、誤算状態のようです。
同社の洋楽部長もいわく、
「これでは本末転倒。もっと、スーパー・ユーロビートCDが売れてくれなくては…」
今回の“Vol.160”のセールス結果によっては、もしかすると今後の
スーパー・ユーロビートCDの存続問題に発展するかもしれません。
従って、今回のスーパー・ユーロビートVol.160には、パラパラDVDも付いています。
(きっと、エイベックス洋楽部としては、シリーズ存続を考慮した上の苦渋の選択だったと思う。)
しかも、コピー・コントロールを施していない良心的なCDです。
(私が同CDで書いた“ユーロビート通信”も読んでください)
私的には、パラパラ・ブームに左右されない、真のユーロビート・ファンの増加に期待したい。
このユーロビート不況の最大打開策は、“ナイト・オブ・ファイヤー”級の名曲が
再び誕生することです。しかし、なかなか生れないのも事実。
 いろんな意味で、今回の15年目という節目はユーロビート見直しの“いい機会”かもしれません。




天童のディスコな夜

2005-07-14 05:25:06 | Weblog
 7月10日(日)。蕨ディスコ・ナイトから数時間後。
私は飛行機に乗って山形空港に到着。即、天童の“メガトン”へ。
メガトンはカラオケ店です。イベントは2部構成。
第一部は午後1:00~5:00、
パラパラ・ユーロビートにトランスを交えたイベント。
10代の若者から20代後半が中心、平均年齢20代前半。
第2部は午後5:00~10:00、
80年代ディスコが中心。
20代後半から30代後半、平均年齢30代前半。
私は、第1部と第2部の両方のDJをしました。
御客さんでも20代後半の方で、両方に参加している強者もいました。
第1部は若さで勝負という感じ。天童にも渋谷風ギャルがいました。
第2部は天童ママさんチームの老練なるノリが光っていました。
天童ママさんチームとは、天童の旧温泉街でスナックのママ(オーナー)を
務めている女性達の集団。30代後半の彼女達はスナックのママであると同時に
母親として自分の子供達からも“ママ”と呼ばれているダブル・ママ。
DJを含むイベント運営スタッフに御手製“おにぎり”と
自家製の“イモ煮”“ダシ”という山形名産を
差入れしてくれました。私も思わず、頬張ってしまいました。
(イモ煮は2杯も食べてしまった!)
何か、温かい人情がイッパイの味でした。
天童ママさんチームは、東京下町の肝っ玉&人情“おっかさん”を彷彿させますが
大のディスコ&踊り好き! その老練なるノリは、まさに“遊びの達人”。
いや、天童だから“遊びの王将”と呼ぶべきでしょうか?

翌夜(7/11)、初めて天童の夜の街を訪れた私。
夜の天童、あちこちにある将棋の駒のオブジェと赤ちょうちんの列。
さらに温泉街独特の旅情。私、けっこう好きですね、こういう雰囲気。
ディスコと温泉が融合した感じで、いいですねぇ~!
居酒屋ノブさん(ここのマスター“ノブさん”も本当に温かい!)と
スナックSEED(ここのママは凄い!)に行きました。
初めてのお客さんでも温かく迎えてくれる天童の夜の街。
また、行きたいなぁ~! ディスコな温泉街の天童へ。

7月9日、埼玉県蕨市ディスコ・ジャパンにて

2005-07-14 04:16:03 | Weblog
 7/9(土)、蕨ディスコ・ジャパンでディスコDJ。
この夜、昔のニューヨーク・ニューヨーク初期時代の御客さんのHサンが
43歳の誕生日を迎えた。Hサンの娘さんは小学校6年生だったが、
かなり踊りがうまく、リズム感もいい。母親のDNAなのかな?
また、Hサンは、この夜。私が連れて来たS氏と20数年振りに再会。
HサンとS氏は、ニューヨーク・ニューヨーク時代のディスコ仲間。
S氏は年齢40代中盤、かつて、JG’S、杉本彩のマネージャーも経験。
2人とも、まさか、ニューヨーク・ニューヨークの次は、
20数年振りに蕨で再会するとは思わなかったはず・・・。
この蕨ディスコ・ジャパンのディスコ・イベントは、かなり面白い。
70年代の新宿歌舞伎町を体験した40代の御客さんが、たくさんいます。
70年代ミュンヘン・サウンド、キャンディ・ポップが全開です。
オカマ・ダンスがリアルに再現されます。みんさん、25年以上経過しても
体が無意識のうちに当時のキメ・ポーズで曲に反応しています。
もう、条件反射。大昔、理科で習った“パブロフの法則”を思い出した。
この夜は、ジュディ・チークス「メロウ・ラヴ」のリクエストが来た。
振返ってみると、70年代の歌舞伎町ディスコは
埼玉県だと、蕨、川口近郊のお客さんが、たくさんいました。
東京だと、板橋、北区、練馬あたりのお客さんが多かった印象があります。
千葉県だと、柏、浦安近郊がリクエスト・カードの住所欄に
よく書き込まれていましたねぇ~。
Hサン、翌朝、東京吉祥寺で娘さんのダンス・イベントのリハーサルが
あるのも忘れ、結局、朝方まで楽しんでいました。
このイベント選曲はミュンヘン・サウンド、キャンディ・ポップの他にも、
50s、70&80年代ソウル、ハイエナジー、ユーロビート、etc。
邦楽ではキャロル、フィンガー5、アン・ルイスが人気だ。
勿論、シーナ&ロケット「ユー・メイ・ドリーム」、サーカス「愛で殺したい」
などのニューヨーク・ニューヨーク定番も。
とにかく、お客さんの平均年齢が高いのが特徴だ!
特にディスコ・ジャパンの平井ママの「レッツ・ツイスト・アゲイン」の
熱いツイストは一見の価値あり。あなたも元気が貰えるはず。
次回の蕨ディスコ・ジャパンに私がDJ登場するのは、9月10日です。
現在も、私がDJしてる渋谷9LoveJ、新宿esでは
蕨、川口近郊の若者達が多い。これも、DNAのせいかな?