富山マイクロ親睦会を開催
令和5年9月、5年ぶりに「富山マイクロ懇親会」を開催しました。会はこれまでのうっぷんを晴らすかのような盛り上がり、世話人の私自身の体調不良のあり心配しましたが、皆さんの元気な笑顔を見て嬉しさを通り越しての感動でした。私と同じ病で悩んでおられる会員からも元気づけられたり、もうちょっと頑張らなければの勇気をもらいました。
この「富山マイクロ親睦会」の会員数は55名、既にお亡くなりになった会員数は34名です。(庶務課の皆さんを含む)
昭和38年頃、北陸の無線はマイクロウェーブとして活気を呈しており、富山統制無線中継所では無人局の保守要員として巡回担当者がおり、保守方法について仕事や飲み会でコミュニケーション図っていました。 その当初メンバーの諸先輩はすでにお見送りし、残された私たちが今、思い出として語り繋ぎ存続しているのがこの会です。この頃、全国でマイクロ局は100無線局と増え続け、電電公社の電話回線やテレビ回線網は「マイクロウエーブ」として花形の職場となりました。自ずと「富山マイクロ会」の名がつき一年一回の定例会となりました。「この会は」無線マンの男性だけの職場と思われますが、女性もいます。それは庶務課の皆さんです。この方々のサポートがなかったら何と味気ない職場であった事でしょう。無人局の草むしりも一緒にしました。懇親会も一緒にしました。その絆はしっかりと繋いでいます。亡くなった諸先輩のご家族、奥様も一緒に会員として総会に参加して頂いております。
今回のコロナ禍での歳月はあまりにも長く、久しぶりの集まりでしたが懸念・心配を吹き飛ばす皆さんの元気でした。心配事を抱えながら集まった会員の思いはこの「マイクロ」にあり「マイクロ」は会員にとって大きな「絆」としての存在を感じざるを得ません。終わりに、電友会報に掲載されている中谷忠義様、谷口秀来様の「電電建築あれこれ」は、無線中継所建設や白木峰無線中継所など、今は存在しない無線関係の施設について「富山マイクロ会」は思い出として懐かしく読ませて頂いています、会員の絆として嬉しく思います。 高江輝夫 記
マイクロ総会に集まった皆さん
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