goo blog サービス終了のお知らせ 

こじこじ

こじろうの写真や日々のできごとなど

クリスチャンでもないのに

2010-10-15 | 雑記
このまえ朝のテレビで日本在住の外国人に
日本の印象をインタビューしてて
日本の変なところや素晴らしいところ
いろいろ出てきてた。
そのうちの一人で
イタリア人(?)だったかが
結婚式について苦言を呈していた。
なんでクリスチャンでもないのに
教会で神に誓いますなんてことを
言うのだろうかという意見で、
これに関しては俺も常々、
絶対におかしいと思ってて
ちょうど最近も
それっぽいこと書いたものだから
そうだよね!そうだよね!って
テレビの前で思わず言ってしまった。

その人、結婚式でまるで自分は
イタリア(?)にいるのかと思ってしまったって。
自分以外はみんなクリスチャンじゃなくて
キリスト教の伝統や文化について何も知らないのに
ただかっこいいからって取り入れる様子に
「腹が立った」とまで言っていた。

変だなという感想を通り越して
不快に思う外国人もいるってことなんだよね。
もとが宗教なもんだから
ちょっと微妙な問題を孕んでるし
できればやめた方がいいと思うんだけど
もうすっかり日本人の間に浸透してるから
これが完全になくなるってことはまずないんだろう。

俺もやりたくはないけど
日本人の女の子の多くはたぶん
キリスト教式の結婚式にしたいと思ってるだろうし
嫁さんになる人の意向をあんまし無下にもできないし
自分が結婚式を挙げるとなったときも
結局、やっちゃうんだろうなぁ。

ネアカ式(4)

2010-09-22 | 雑記
ネアカ式では
ネクラを卒業した式の主役が
思い出の品や大切にしているものを
後ろ向きに投げ
それを見事キャッチした者が
次にネアカになれるとされている。
どこのアホが広めたか知らないが
そういうことになっている。

司会が呼びかける。

「この会場でまだネクラの方
 前の方にお集まりください!」

うぜー。
なぜ皆の前でネクラであることを
晒さなければならないのか。
シカトしよう。

「えー、ネクラの方!
 もう一人いらっしゃるはずですが。
 ネクラの○○様!○○様!
 いらっしゃいませんか!」

これ人権侵害だろ。
訴訟もんだぞ。

会場の注目が集まってしまい
俺は前に出ざるを得なかった。

俺が仕方なく前に出ると
Nは満面の笑みでアイコンタクトを送ってきた。

(お前に向かって投げるから
 絶対受け取ってくれよ!
 お前には俺みたいな
 ネアカになってほしいんだ!
 しょうもない人生は今日で終わりにして
 明日から幸せになってほしいんだ!)

うーーぜーーー。
こちとら一生ネクラで一向に構わんわ!

Nは後ろを向き、手に持っていたものを
ぽーんと放り投げた。
それはきれいな放物線を描き
Nの狙い通りに俺の手元に納まった。

みるとそれは本だった。
表紙のタイトルは

「誰とでも15分以上
 会話がとぎれない!話し方」

あ。これ、まじで買おうかと思ってたんだ。
ありがとうN。

意外にも嬉しかった。

ネアカ式(3)

2010-09-21 | 雑記
モスクでの礼拝が終わると
次は披露宴である。

スピーチは会社の上司一人だけだった。
他にいろいろあたってはみたが
Nのことを記憶にとどめている人は
あまりいなかったらしい。
数少ない友人にもあたってみたが
Nの友人は総じてネクラなので
人前で話すことを嫌がったらしい。

ようやく引き受けてくれたその上司も
わざとやっているのかと思うほど
Nの名前を言う前にいちいち
自分のてのひらをじっと見ながら
「えーっと・・・N君は」

俺は早くも涙腺が危なかった。

会場が暗くなり
Nが生まれてから現在に至るまでの
写真が大きく映しだされた。
すべて集合写真だった。
ネクラはアルバムに登場する機会が
集合写真くらいしかない。
それも一番前でもなく
かといって一番後ろでもなく
右端でもなければ左端でもない
もちろん真ん中では決してない
一番目立たない場所にいつも陣取っている。

俺の涙腺は崩壊寸前だった。

次のプログラムは両親への手紙。
何が楽しいのかしらないが
ネアカ式では両親に対して
手紙を読み上げることになっていて
これはネアカ式のひとつの山場である。

「お父さん、お母さん
 僕は今日、ネアカになります。」

うんうん。

「お父さんとお母さんの苦労も知らず
 ときには反発したこともありましたね。」

みんな通る道だよね。

「グレてしまおうかと思ったこともありましたが
 僕には一緒に悪さをする友達がいませんでした。」

ここで俺が我慢しきれず、泣いた。

グレることができるやつは楽だよね。
グレることもできず我慢してる人間が一番つらいよね。

話は高校時代の哀しすぎるエピソードに及ぶ。

「まだ高校に入って間もない頃
 学年で二泊三日の合宿がありました。
 僕の部屋のみんなは夜、部屋を抜け出して、
 女子のフロアに忍び込もうとしました。」

いいねぇ。若いねぇ。

「ところが先生に見つかってしまい、
 忍び込もうとした7人全員
 宿泊所の廊下で一晩中正座させられました。」

あるある。

「僕はその事実をだいぶ後になって知りました。」

え?

「なぜか部屋のみんなは
 僕が寝た後に僕だけ置いて作戦を決行したのでした。
 そういえば、翌朝、友達のキムラ君に
 『昨日よく眠れた?』と聞いた時
 『・・・うん。』と微妙な感じだったのを
 思い出しました。
 友達だと思っていたのは
 僕だけだったのかもしれません。
 何も知らされず部屋で一人で
 ぐっすり寝てるくらいだったら
 廊下でみんなと正座させられる方が
 ずっとましだと思いました。
 その先の長い高校生活に不安を覚えたのは
 言うまでもありません。
 このとき決意しました。
 いつかネアカになってやる、と。」

気付くと、Nの手紙に会場の全員が涙していた。

ネアカ式(2)

2010-09-17 | 雑記
会場のホテルに着くと
すでになつかしい顔ぶれが揃っていた。
みんな中学のときから全く変わっていない。
と言いたいところだが、
だいぶ体型が変わってしまったやつもいれば、
話している最中にどうしても
頭髪に目がいってしまうやつもいる。
なにはともあれ
俺たちは久々の再会を喜びあった。

式の開始を告げるアザーンが流れると
俺たちはホテル内のモスクへと移動する。
モスクに全員がそろったところで
いよいよ本日の主役Nが
ネアカな格好をして颯爽と現れた。
会場内がどよめいた。
何を着てもユニクロに見えると言われていたNから
今日は全くユニクロ要素が感じられない。
イケている。

「アナタハ、コレカラ、
 決シテ引キコモラズ
 誰トデモスグ友達ミタイニ
 ナレナレシク話シ
 友達ノ友達ハミナ友達
 ミタイニシテトニカクナレナレシクシテ
 デモネクラナヤツダケハ相手ニシナイデ
 イツモ集団ノ中心ニイルコトヲ
 チカイマスカ。」

イマームがNに問うと
Nははっきりと大きな声で
「誓います。」と宣言した。

Nよ、本当にそれでいいのか。

それからモスク内の全員が
見よう見まねでコーランを朗誦し
メッカの方角に向かって祈りを捧げた。 
イスラム教徒でもない我々が
なぜこのときばかりはアラーに深々と祈りを捧げるのか。
それを当然のように受け入れ
モスクでネアカ式を挙げることが
憧れの対象となっているというのだから
まったくもって日本人というものは不思議である。
かくいう俺も
モスクで祈りを捧げているとき
やはり厳粛な気持ちになっていくのを感じていた。

ネアカ式(1)

2010-09-16 | 雑記
ある日、郵便受けをのぞくと
中学の友人Nから招待状が届いていた。

「この春、ネアカになることにしました。」

まさか。
あいつだけは一生ネクラだろうと
みんなに言われていたNが
誰よりも先にネアカになるなんて。

ネアカ式なんて所詮茶番である、
俺はネアカになったとしてもネアカ式だけは
絶対にしないなどと普段意地を張っている俺でも
昔からよく知っている友人がネアカになったと聞けば
やはり素直にうれしい。
出席しないわけにはいかないだろう。

招待状が届いた3ヶ月後、
俺は新幹線に乗り、2年ぶりに故郷の街に戻った。

愛玩動物としての進化

2010-09-06 | 雑記
一週間だけ研修でお世話になった事務所で
ミニチュアダックスを飼っていて
そこは完全に犬中心で動いていた。
犬も自分のこと人間だと思ってるようで
客との打合せにも入りたがる。
人間の話聞きながら、よくわかってないのに
わかったような顔してる。
(俺と同じ。)

最初、犬を職場であんまし猫かわいがり(犬なのに!)
するのもどうなんかなぁと思ってたけど
ミニチュアダックスのかわいさは
犬の中でもナンバーワン(犬だけに!)なので
あのかわいい顔で足元に寄ってきて
ごろんとなってお腹を見せて
なでてーって仕草されると
ヨーシャョシャョシャ!
ヨーシャョシャョシャ!
この動物はねっ!こうすると喜ぶんですよ!

ムツゴロウになってしまうのである。

おまけに
珍しい珍しいって
知らない人にこんなになつくなんて珍しいわー
って事務所の人たちがみんな言うもんですから
そうでしょうそうでしょう!
動物は心の優しい人間がわかるって
よくいいますからねっ!

ますますかわいく思えてしまうのである。

美人の先生に一番なついていて(俺と同じ。)
その先生が数日出張でいない間
ずっと元気がなかった(俺と同じ。)。
先生が戻ってきた日、
しっぽ振って喜ぶかと思いきや、
なぜかつーんとしてご機嫌斜め。
「僕をおいていったでしょ。」
と責めているらしい。
単純に喜ばないそういうところもかわいい。
そしてかしこい。
単純に喜んでしまった俺より
よっぽど複雑なのである。

この犬には「過去」の概念というものが
しっかりあるということになる。
先生が帰ってきてうれしい「今」よりも
おいてけぼりにされてさびしかった「過去」を重視してる。
うちで15年前くらいに飼ってた
ビーグル犬はもっとおバカだった。
地面とドブ川との区別がつかず
地面の延長だと勘違いしてそのままダイブしていた。
この15年の間に犬は随分進化していたらしい。
個体差?いや、これは進化だと思う。
しかも明らかに「かしこさ」に加えて
「かわいさ」が進化の最重要項目に入ってきてる。
彼らもうすっかり愛玩動物なんで
狩猟のための能力は必要ない。
よりかしこくかわいい方が生存可能性が高まる。

基本的にはおりこうさんで
よく言うことをきく。
でもたまにいたずらをする。
で、注意されると
ホゲー?みたいなとぼけ顔をする。
決して完璧ではないが、そういう隙がまたかわいい。
俺にすごくなついていたかと思うと
次の日は全く知らんふりされたりする。
ぬぉーー!なんだこの揺さぶりは!
でもそこがたまらん!ってなってしまう。
まったく恐ろしいほどの進化であった。

一片の妥協もなく進むのって難しい

2010-05-14 | 雑記
とあるレストランで食事をしていたら
オーナーシェフがやってきて
「僕最近思うんです」と言う。
その人は中学のとき勉強がよくできたのだが
それで自分は才能があると思って
遊んでばかりいたらしい。
そしたら余裕で通ると思っていた高校受験に
失敗してしまったとか。
その経験で学んだのが
「いろいろな誘惑に負けずに
 努力できるというのも含めて
 その人の才能なんだ」ということ。

実は俺も
最近ずっと同じこと思ってた。
突然やってきてなぜこのシェフは
こんな話をしようと思ったのか。
これだから人間っておもしろい。

この業界にいるとよく
一片の妥協もなく突き進んできた人に
お目にかかれる。
朝起きて努力し
昼努力し
夜努力し
一日努力した満足感で
また明日も努力できる。
さながら努力の永久機関。

そういう人を見ると
いかに自分が妥協の多い人生を
送ってきたかをつくづく思い知らされる。
がりがり机に向かっているよりは
映画見たり本読んだり
ゲームしたりネットしてるほうが好きだし
だいぶ自堕落に過ごした時期もあったせいで
同期と比べて数年遠回りしている。

人生大概のことはやり直しがきくけど
取り返しがつかないこともどうやらある。
取り返しがつかないことをやってしまったら
それはそれとして
あとはもう気にしない!
どうでもいいや!
という形で折り合いをつけるしかないみたい。

興味本位で

2010-03-15 | 雑記
ウォシュレットには大抵「ビデ」という
ボタンがついてますが
あれは男子トイレの場合、
決して押されることのないボタンなわけです。

以前、男子トイレでこんな注意書きを見つけました。



「興味本位で使わないこと」

いや、使わねーし興味ねーし。

CDケースの歌詞カード入れるところのあれ

2010-02-21 | 雑記
基本的に日本人てだいたいまともな人の
集まりだと思いたいんだけど
必ずしもそうでもないのかもなと思ってしまうのが
TSUTAYAとかでCD借りたとき。
わざとやらなきゃあんなにまで
ボロボロにならんだろう。

じゃれついたのかと。
歌詞カードにムツゴロウばりにじゃれついて
よーしよしよしつって
この動物はね!こうすると喜ぶんですよ!って
べろべーろしないかぎり
あんなボロボロならんでしょう。
変態ですよ。変態。
ムツゴロウ。

CDの裏面にもなんであんな
ベタベタ指紋ついているのだろう。
じゃれついたのかと。
基本触っちゃいけない部分でしょ。
繊細なんだからもっと大切に扱えと。
女性のように扱えと。

女性のように扱えと。

あっ!つい。
つい、俺のジェントルマンな部分が
出てしまった。
隠そうとしても。

うん。
あととくにあれ。
CDケースの歌詞カード入れるところの
ツメみたいなやつ。

あれの破損率すごい。
あれ折るのを職業にしてるやつ
いるんじゃないの?

いや、原因はわかる。
普通に使ってれば折れないような部分が
なぜあんなに折れてるのか。
あれは歌詞カードをちゃんと全ページ
ツメの内側に納めない状態で
ケース閉じようとするから。
その状態ではケースが閉まんないはずだから
普通の人ならあれ?おかしいなって
ちゃんと歌詞カード入れなおす。
でもどういうわけか世の中には無理やり
エイッ!て閉じようとするアホがいるらしく
バキッ!といってしまうんだろう。
もう絶対アホ面だし。

なんで原因知ってるのかっていったら
俺もやったことあるからなんだけども。
エイッ!て。

大きい「エエェーー!!」出してますか

2010-02-08 | 雑記
大きい「エエェーー!!」出してますか。

もう1年ほど前になりますが
情熱大陸で医師、川原尚行氏の活動を
取り上げていました。

もとは外務省に勤務する高給取りだったのですが
赴任先のスーダンで
民族間の対立や貧困にあえぐ人々を目の当たりにします。
任期を終えた後、医者を必要としているスーダンの人々を
見捨てて別の地に行ってしまうことは簡単でしたが、
川原氏にはそれができませんでした。
外務省を辞めて、スーダンの地で診療所を開きます。
電気も水道もないところからのスタートでした。

村人の言葉を話し、
村人と同じ釜の飯を食べ、
村人と一緒にメッカの方角に礼拝。
そうやって村人の信頼を得ていきました。

診療所から遠く離れた村にも
川原氏は出張して診療を行います。

カワハラ先生が来た。

そう聞きつけた村人たちが
自分も診てほしい
俺にも薬をくれ
と、ひっきりなしに集まってきます。

患者の診療中、携帯電話の着信が鳴りました。

チャラッチャラチャラッチャラ
チャラッチャラチャラッチャラ

急患でしょうか。

と思ったら、ごそごそとケータイを取り出したのは
なんとスーダン人の患者。

エエェーー!!

ずっこけた。
電気ない、水道ない、
学校ない、自動車ない、
でもケータイある。
なにそれ。

電気ある、水道ある、
学校ある、自動車ある、
テレビゲームある、
ウォシュレットある
パソコンある、
でもケータイない、
という時代を我々は経験している。

発展の順序がまるであべこべだなと。