goo blog サービス終了のお知らせ 

こじこじ

こじろうの写真や日々のできごとなど

国家がよみがえるとき

2015-11-24 | 
フィンランド人の知人ができたので
フィンランドについて勉強したくなった。
『国家がよみがえるとき
持たざる国であるフィンランドが何度も再生できた理由 』を読む。
コメンテーターとしてよく見かけるようになった古市憲寿氏編集の
フィンランド人による論文集、のようなもの。
所々で入る古市氏のツッコミが小気味よい。
「本書の中でも論文1や論文9はやたら暑苦しい」
ってそんなん言って大丈夫なのだろうかと思う。

とにかく賞賛されがちなフィンランドだが
実際には理想郷というわけでもないらしい。
実は第二次世界大戦の敗戦国であり、
その後日本と同様に遅めの、しかし急速な工業化に成功したが
ソ連崩壊の煽りを受けて大不況を経験した。
目立った資源がなく、高齢化や若者の自殺率の高さが問題となっている。
世界一と言われた教育も今は順位を下げつつある。
なんだか日本と似ているのだ。

知人のフィンランド人は年に1度里帰りする。
相当遠いのではないかと思うのだが
ヨーロッパの中では最も日本に近いという。
一般的なメルカトル図法だと分かりにくいが地球儀でみると確かに近い。

里帰りのときの写真を見せてもらった。
親族所有の湖畔の別荘で一夏を過ごしており、
「俺こんなとこで何あくせく働いてるんだろう」と
劣等感を十分に感じさせてくれる内容だった。
ただ、特別富裕層というわけでもないらしい。
本によればフィンランドの人口は北海道とほぼ同じ500万人。
意外と少ない。これに対し、サマーハウス(別荘)は
国内に約50万もあるという。
親族の誰かが持っていればいいわけだから
かなりの人たちがサマーハウスで長い夏休みを過ごすことができるだろう。

王妃の離婚

2015-11-04 | 
高校1年生くらいのときだったか
佐藤賢一さんが『王妃の離婚』で直木賞を受賞した。
山形県出身で県内ではちょっと盛り上がったのもあって
試しに読んでみたらこれがかなりハマった。

ちょっとしたコネがあったので
『傭兵ピエール』
『カエサルを撃て』
『黒い悪魔』と立て続けに読んで
いちいちサインしてもらっていた。

『王妃の離婚』は時のフランス国王と王妃の離婚をテーマに
王妃の弁護に立つ弁護士の活躍を描いた作品で、
これを読んで「弁護士っていいかもしんない。」
と思ったのが今の仕事を目指す
始まりといえば始まりかもしれない。

さらにそのちょっとあとにドラマ「HERO」を見て
「検察官っていいかもしんない。」と思った。
とにかくミーハーなのであった。

『路(ルウ)』

2015-09-04 | 
特に意図したわけではないが移動中の新幹線の車内で読んでいた。
日本の新幹線が台湾を走るに至る過程を軸に
台湾人と日本人の過去と現在が交錯する。

人の縁は路のようなもので
往来はなくなったとしても確かに路は残っていて、
何かをきっかけにまた行き来が始まったりする。
国と国もまた同じで
日本の台湾に対する関心の薄さときたら
申し訳なくなるばかりなのだが
ある時期同じ国だった縁はなかなか消えないものではないかな。

整形前夜

2015-01-20 | 
穂村弘のエッセイは面白い。
初めて彼のエッセイを読んだとき、
同じ人種を見つけてしまったと思った。
しかし本業の短歌はよくわからないものも多い。

穂村氏自身が『整形前夜』で

「そもそも近代以降の詩歌とは、
 どんなに『わかる』ひとにも
 半分くらいしか『わからない』ジャンルなのだ。」

と述べている。歌人の穂村氏でさえ
わかるのは全体の6割くらいだという。

穂村弘の短歌にこんなのがある。

海光よ 何かの継ぎ目に来るたびに規則正しく跳ねる僕らは

これだけだと全くわからない。
『世界中が夕焼け』という本の中で
歌人の山田航という方が
「何かの継ぎ目」が生と死の間を思わせると
分析しているが
当の穂村氏の答えが予想外過ぎて衝撃的だった。

「この歌は『攻殻機動隊』のラストシーンですね。」

いや、確かにあるんだよ。
攻殻機動隊SACの2ndGIGの最終話で
タチコマの後に9課に配備されたウチコマに乗って
9課の面々が海沿いの道路を一列に走っていく。
道路の段差か知らないが
何かの継ぎ目に来るたびにちょっとだけ上下動する。
そういうシーンは確かにあるけれども
わかるかい!

攻殻機動隊は何回も見たけど
解説なしにさっきの短歌を読んで
「あぁあの場面ね」とは絶対にならない。
わかる人日本中で一人もいないんじゃないだろうか。

昨日、兄から短いメールが来た。
「オリガ 死んだな」

inner universeは本当にシビれた。
作品のイメージを損なわないどころか
あの歌が作品のイメージを牽引しているようなところがある。

ヒンドゥー教 -インドの聖と俗

2015-01-12 | 
三権分立では国家作用は立法、司法、行政に分けられるが
それぞれを定義するにあたって行政だけは
正面から過不足なく言葉で表現することが難しいため
積極的に定義することを放棄し

「行政とは、国家作用のうち立法と司法を除いたもの」

と定義するのが通説になっている。
これを控除説と言う。

『ヒンドゥー教 -インドの聖と俗』で
ヒンドゥー教の定義について面白い説明をしている。
ヒンドゥー教は開祖がなく、聖典もなく、
いつごろ成立したかも定かではない。
ヒンドゥー教を一言で定義しようとすると難しい。
そこで

「インド亜大陸に居住するイスラーム教徒、
シク教徒、ジャイナ教徒、仏教徒、
パールシー(ゾロアスター)教徒、
その他独自の信仰をもつ少数の諸部族を除いた、
全人口の大部分、おおよそ80パーセント強が
信奉している民族の多様な信仰形態の総称が
ヒンドゥー教だと言えないこともありません」

と定義する。お!これは控除説だ。

「女とは何か。それは男以外のものである。」

みたいなかんじで、なんかはぐらかされたような気がするが
とらえどころのないものを表現する上で、これは結構便利なやり方といえる。

愛と所有の概念

2014-04-11 | 
パウロ・コエーリョの『アルケミスト 夢を旅した少年』を読む。
これは何の本だろう。
ただの小説なのかと思いきや
自己啓発本のようでもある。
スピリチュアル本のようでもある。

読んでいてガツンときた箇所があった。

「彼は愛と所有の概念を区別しようとしたが、
 その二つを区別することができなかった。」

なんかいい。
これを使えば
わかるようなわからんような
それっぽいフレーズが量産できる。

「彼は失敗と逃避の概念を区別しようとしたが
 その二つを区別することができなかった。」

「彼は『私』と『宇宙』の概念を区別しようとしたが
 その二つを区別することができなかった。」

しかし具体的なものだとさまにならない。

「彼はカレンダーと消しゴムを区別しようとしたが
 その二つを区別することができなかった。」

ただの変な人である。

また、あまりに近い二つを入れてしまうのもよくない。

「彼は北斗晶とジャガー横田を区別しようとしたが
 その二つを区別することができなかった。」

それは無理もないな、と。

部下に自己啓発本を読ませるな

2014-01-18 | 
またもやってきた遠回しな説教
ボスからの自己啓発本である。

今回の本は『明日死ぬかもよ?』

「人は死ぬとき、多くの場合後悔する。
 もっと冒険すればよかったと。
 明日死ぬとわかったら
 今やっていることをやりますか?」

みたいなかんじの本だ。
いや、もちろんいいこと書いてあるんだけど
ボスから渡されるということはつまり説教なので
どうも癇に障ってしまう。
いつものように事務所内で俺だけ狙い撃ちである。
なぜなら俺にはパッションが感じられないからね!

しかしこの本は明らかに選択ミスだろう。
仕事なんてプライベートを充実させるための手段であって
仕事のやりすぎでプライベートな時間がつぶれるなんて
本末転倒だと思っているんだから
俺の場合「明日死ぬとわかったら 何をやりますか?」
という質問に対して「仕事」という答えは
何万番目にも挙がってこない。
「ボスからもらった自己啓発本を読む」は
永久に挙がってこない。

むしろボスにこそ問いたい。
「近々死ぬとわかったら
 休日も毎日夜中まで事務所で仕事しますか。
 名刺交換会行きますか。
 夜中3時までカラオケ行きますか。」

行かないでしょ。
一体この本の何を読んだんですか。

好きな車に乗り、
仕事は8時くらいまでで切り上げ、
帰ったら靴を磨いて眺め、
風呂にゆっくりつかりながらコーラでも飲んで本を読み
ときには勉強もして
休日は嫁さんと食事に出かけ、映画でも見に行き、
甥っ子たちとゲームして思いっきり遊び
自分のやりたいようにやってきた結果が今の俺なんだから
この本読んで
あぁ全く間違ってなかったぜ!
と確信したね。 

感想を聞かれると困るので急いで読み
翌日の午前中のうちに「ありがとうございました。」
と付箋を貼り、机の上に返却しておいた。
スピード返却することで
めんどくせえからこんなん二度と貸してくれるなと
やんわり伝える無言のメッセージにしたつもりなのだが
「そんなにすぐ読んでしまうほど面白かったか。
 さて次は何を読ませよう。」
になりそうなところがこわい。

『ハワイイ紀行』

2013-12-27 | 
結婚式、来年の1月、ハワイで挙げます。

今年の初めに事務所旅行でハワイに行ったときは
計画も資金も人任せであり
主体的にハワイを味わう覚悟が
希薄であったという反省がありました。
結果としてハワイの大らかさに驚き、飲み込まれ、
日本の田舎町に帰ってから全てがくすんで見えてしまい
しばらく「ハワイ鬱」とも呼ぶべき状態になってしまいました。
前回の反省を踏まえ、次回こそは
能動的にハワイを自分の中心で捉えたい。
そう考えています。

その一歩目として手に取ったのは
池澤夏樹の『ハワイイ紀行』です。
ハワイよりも「ハワイイ」
と表記したほうが現地の本来の言語に近い
らしいのですが、そのハワイイに
地理、歴史、文化、動植物、人物
あらゆる側面から迫る作品です。

人類はあらゆる土地にその生活範囲を広げていきましたが
ハワイは周囲4千キロ圏内に
人が住んでいるめぼしい島がないそうで
それにもかかわらず西洋人がこの島々を「発見」したとき
すでに30万の現地人がこの地に住んでいたそうです。
考古学的にはすでに5世紀ごろに
人が住んでいた形跡がみられるとか。

彼らが遥か遠方の島々と行き来できるほどの
航海術を持っていたことはほぼ間違いないのですが
西洋との出会いがあった頃には
彼らはすでにその高度な技術を忘れてしまっていました。
また、文字をもたない彼らは
自分たちが、いつ、どこからやってきたのかについて
神話などのおぼろげな遠い記憶として残しているだけでした。

そのおぼろげなところが
神秘的というかおおらかというか
この島のいいところでもあるのでしょう。

『その人脈づくりをやめなさい』

2013-11-12 | 
「これ、どうかな。」

さすがに嫌がってるのを察してか
ボスが遠慮がちに差し出してきたのは
商工会やらの各種の団体が合同で行う
来年の新年会の案内であった。

「これですぐ仲良くなれるってわけじゃないけど。」

わかってるなら、なんで持ってきたんですか。

2年前も行ったんだが
金はかかる、
実質食事はできない、
ただの名刺交換会に終わる、
人脈全くできない、
おまけに1月5日の日曜日に行われる、
と、何一ついいことがないイベントなのだ。

新年早々日曜のイベントに業務命令で行くからには
会費6000円負担してくれるんだろうか。
月曜は代休もらえるのだろうか。
とは、言わんよ。
言わんけど、他に同期の弁護士おるのに
なんでいつも俺だけが標的なの。

いや、わかるよ。
地縁のない俺に、人脈を作らせようというスタンスなのは。
他の人たちはうまくやってるけど
俺だけ不十分だと感じて心配してるのは。
その思いにはいつも頭が下がるよ。
それを無下にはできんよ。
でもその結果がなんでこの新年会なの。

とにかく名刺交換会ほど無駄なものはない。
だいたい地方政財界の重鎮方が一堂に会してる場で
俺みたいな若手が名刺何十枚配っても
憶えてくれているわけないじゃない。
だって俺自身が全く憶えてないもの。

『その人脈づくりをやめさない』という本がある。
著者は企業のコンサルティングを行い
膨大な人脈を築いてきた人物であり
かなりの説得力がある。

「パーティーで何十枚名刺交換したところで、そんなものは
 顔も名前も一致していないのだから無意味だ。」

「本気で人脈作りをしたいのであれば、
 一人と深い話をしなければ無意味だ。
 そしてたいていはその一人すら
 パーティーには参加していないものなのだ。
 本当に魅力的な人はパーティーなど参加せず、
 一人で読書するか素敵な誰かと映画鑑賞でもしている。」

諸手を挙げて賛同したい。

山賊ダイアリー

2013-09-24 | 
世の中に趣味というものは数多くあるけれど
狩猟だけは絶対にやることはないと断言できる。
親父はちょっと狩猟やっていたようで
山形の実家には大きなガンロッカーが
なぜか俺の部屋に置いてあった。
とにかくロッカーが邪魔くさいという印象しかない。
趣味で殺生というのもひっかかるし
狩猟後の解体のようにグロいのは無理。

スーパーで小アジが安く売ってたので
素揚げにでもしようかと大量にまとめ買いをしたことがあったが
その後うちに帰って下処理をしているうちに
一日に処理できる血と内臓の容量をオーバーしてしまい
気持ち悪くなって食えなかった。
とてもしょぼいのである。

でも全く知らない世界を見てみるのもいいかなと思って
本屋で手に取ったのが『山賊ダイアリー』の1巻。
面白くて止まらず、kindleで3巻まとめて購入してしまった。

同じ狩猟でも銃猟と罠猟とでは免許が違うこととか
空気銃と散弾銃の特性の違いとか
その他狩猟の細かいルールなどが
わかりやすく楽しく描かれていて勉強になる。

相変わらず自分で狩猟をしようとは全く思わなかったし
むしろやりたくない気持ちがかえって強くなったが
ハンターたちは農家なんかの要請に応じて
無償でカラスの狩猟をするなど
公益的な活動をすることもあるらしく
そういう要請があったら基本は断らないようだ。
ちょっと感心。
狩猟を趣味にしている人に対する
変な偏見はなくなったかな。