ほとんど日本病といってもいいくらい
日本を愛してやまなかったラフカディオ・ハーン。
彼の著作を読むと
日本が失ったものの大きさにちょっと驚く。
くすぐったくなるほど日本賛美ばかりなので
日本恋しで客観的な視点を
失ってしまっているのかと思いきや
とある村では、村人たちが
かなり見目の悪い連中であったと評したり
一応言うことは言っている。
客観視はできていたということか。
神道に関する考察はかなりはっとさせられるものがある。
哲学もなければ、道徳律も、抽象理論ももたない神道。
だがその「ない」ことによって
西洋の宗教の侵入に抵抗することができたのだと。
松江から出雲大社へと向かう途上
宍道湖を進む船の上でハーンは感じる。
「まさにこの大気の中に―幻のような青い湖水や
霞に包まれた山並に、燦燦と降り注ぐ明るい陽光の中に、
神々しいものが存在するように感じられる。
これが、神道の感覚というものなのであろうか。」
捉えどころのない神道というものを
ハーンは感覚的に理解していたらしい。
日本を愛してやまなかったラフカディオ・ハーン。
彼の著作を読むと
日本が失ったものの大きさにちょっと驚く。
くすぐったくなるほど日本賛美ばかりなので
日本恋しで客観的な視点を
失ってしまっているのかと思いきや
とある村では、村人たちが
かなり見目の悪い連中であったと評したり
一応言うことは言っている。
客観視はできていたということか。
神道に関する考察はかなりはっとさせられるものがある。
哲学もなければ、道徳律も、抽象理論ももたない神道。
だがその「ない」ことによって
西洋の宗教の侵入に抵抗することができたのだと。
松江から出雲大社へと向かう途上
宍道湖を進む船の上でハーンは感じる。
「まさにこの大気の中に―幻のような青い湖水や
霞に包まれた山並に、燦燦と降り注ぐ明るい陽光の中に、
神々しいものが存在するように感じられる。
これが、神道の感覚というものなのであろうか。」
捉えどころのない神道というものを
ハーンは感覚的に理解していたらしい。