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こじこじ

こじろうの写真や日々のできごとなど

『日本の面影』

2011-12-13 | 
ほとんど日本病といってもいいくらい
日本を愛してやまなかったラフカディオ・ハーン。
彼の著作を読むと
日本が失ったものの大きさにちょっと驚く。
くすぐったくなるほど日本賛美ばかりなので
日本恋しで客観的な視点を
失ってしまっているのかと思いきや
とある村では、村人たちが
かなり見目の悪い連中であったと評したり
一応言うことは言っている。
客観視はできていたということか。

神道に関する考察はかなりはっとさせられるものがある。
哲学もなければ、道徳律も、抽象理論ももたない神道。
だがその「ない」ことによって
西洋の宗教の侵入に抵抗することができたのだと。

松江から出雲大社へと向かう途上
宍道湖を進む船の上でハーンは感じる。

「まさにこの大気の中に―幻のような青い湖水や
 霞に包まれた山並に、燦燦と降り注ぐ明るい陽光の中に、
 神々しいものが存在するように感じられる。
 これが、神道の感覚というものなのであろうか。」

捉えどころのない神道というものを
ハーンは感覚的に理解していたらしい。

牡蠣礼讃

2011-01-11 | 
著者は宮城県三陸でカキの養殖業を営んでいる。
もともとこの人を知ったのは
中学の国語の教科書で
「森は海の恋人」を読んでから。
牡蠣の餌となるプランクトンが豊富な海を作るには、
森から供給される養分を含んだ水が不可欠ということで、
海の環境を整えるために
著者は森に植林をすることから始めた。
一見遠回りのように思えるが
長年の活動の結果、
三陸には豊かな海が戻ってきている。

「一冊で牡蠣のことが一通りわかる本」を
との要望を受けて書いたのがこの
『牡蠣礼讃』だという。
一冊まるまる牡蠣のことしか書いていない。

興味深いのは
幻の牡蠣「クマモト」を追い求める話。
米国人は食いもんに関して
サイズが大きければそれでいいと思ってる節がある。
けれど牡蠣は
「クマモト」という名の
五百円玉大の小さい牡蠣を好んで食べるという。
日本人は大きい牡蠣を好むから
牡蠣に関しては日本人と米国人とで
好みが逆転している。

もともとは戦後まもなくGHQの指令で
熊本から米国向けに輸出されたもので
それが海外でブランド化、
「クマモト」として定着したらしい。
日本ではその後絶滅したと考えられていたが
最近になって生息が確認された。

これを利用しないテはない。
今、本家日本での養殖に向けて
研究が進んでいるようである。

米国人はオイスターバーで
「オイスターショット」なる酒を飲む。
小粒の牡蠣を数個入れたグラスに
トマトジュース、スパイス、
そしてウォッカを注ぐ。
試してみたい。
今度東京行ったときに
この本持ってオイスターバーに行ってみよう。

わたしが・棄てた・女

2010-09-15 | 
昔誰かが言ってました。
文学作品は感性豊かな若いうちに
できるだけ読んでおけ、
ある時期を過ぎると読めなくなるぞと。

当たってる部分もあるんですけど
必ずしもそうとは限らないかなと
自分は思ってます。
ある程度経験積んでないと
感性だけでは追いつかない作品が
あるみたいです。

18、9歳のころ
友人に激しくオススメされて
遠藤周作の『わたしが・棄てた・女』を
読んだのですが、いまいちピンと来ませんでした。
当時の自分と主人公とで共通する部分が
一切なかったもんですから
全く心に響かなかったんですね。
友人に感想を言わなきゃならない義務感と
せっかく買ったからMOTTAINAI!
の精神だけで読みきった記憶があります。

でも最近になってこの作品を読み返す機会があり、
その緻密さに衝撃を受けました。
人間や人生というものを
恐ろしいほど捉えた作品だなと。

それもそのはずで
これは遠藤周作が
結核に罹り、その療養中に練った小説なので
自身の生と死について
とことん突き詰めた結果が
現れているんですね。
読めば読むほど気付かされます。


ちょっと思ったのですが
森田ミツの手首にできたアザ、
これってなんで手首なのだろうかと考えたとき
森田ミツの聖女としての役割から察すると
たぶん聖痕なんじゃないでしょうか。

カンタビ

2010-04-25 | 
買っちゃった。

どうしよう。最高にかわいい。
誰が一番かわいいかって
やっぱり菅野美穂さんだと思う。
若い頃よりも今が一番輝いている。

ソフィーナプリマヴィスタのCM。

いい。

「夕方の肌が好き!」を頭の中で

「でんじろうが好き!」に置き換えて

くはぁ~てなる。

「夕方差がつく-5才肌!」を頭の中で

「でんじろうが好き!」に置き換えて

くはぁ~てなる。

もうなんでもアリだよ!

ヰタ・セクスアリス

2010-04-22 | 
森鷗外の文章はどこまでもシビれる。
「金井湛君は哲学が職業である。」
最初の文からすでにかっこいい。



金井君は今までの人生で起こったエッチな出来事を
ちょっくら文章にまとめてみようと思い立つ。
金井君は架空の人物だけれども
多くの部分鷗外とかぶるので
ここに書かれていることはおそらく
ほとんど全部鷗外自身の性欲史なのだろう。

三島由紀夫はその著書『不道徳教育講座』で
こんなことを述べている。

「森鷗外先生の有名なる『ヰタ・セクスアリス』
を読むと、その性欲生活の淡々たることに
おどろかされます。
その中には、いろんな人物が出没するが、
女にもてるあまりに身を持ち崩すのは大てい
美男であって、『ヰタ・セクスアリス』の主人公
金井君は美男ではなく、かつ性欲も淡泊のほうだから、
何ということもなく、淡々たる性欲史を展開します。
すべては淡い水彩画のようなもので、
もちろんこれを書いた鷗外には、
『大体健全で知的な日本人の性欲史などというものは
 こんなものだ。自然主義の小説なんかは、
 油っこい外国人の猿まねをした単なる誇張だ』
という自負があったのでしょう。」

鷗外という人はワイセツを嫌って
淡々とした性欲史を綴ったが
この本はワイセツとみなされて
当時発禁処分をくらったのだった。

ロクス・ソルス

2010-03-28 | 

科学者カントレルが彼の邸宅
「ロクス・ソルス荘」に客人を招いて
邸内のオブジェや発明品について
説明を加えていくだけのお話。
なんですが、ひとつひとつの
エピソードがときに教訓めいていたり
グロテスクだったり感動的だったり
たいしたオチはなかったりと
バラエティーに富んでいて
飽きがきません。
短いお話がたくさん詰まった
オムニバス的小説になってます。

発明品の描写が細密すぎて
何が何だかわからなくなることが多々あって
若干ストレス感じますが
今オサレな小説読んでいる気がする
という陶酔感は味わえます。

フーコーとかダリとかに大変評価されているようで
ほんとはもっともっと深いらしいですが
あんまし深いこと言えそうにないので
このへんで。

哲学の教科書

2010-03-05 | 
たぶんこれは逃げだと思うのだが
来週までにじっくり勉強しなければならないことがある、
遊んでいる場合ではない、
でも勉強やりたくない、というとき
本屋で哲学の本なんぞ買ってしまう。
いや、遊んでないし!
これも広い意味で勉強ですから!
みたいな言い訳を心の中でしながら。


風呂で読んでいるうちにうとうとして
落としてしまってぐしょんぐしょんになった。

『哲学の教科書』
中島義道 講談社学術文庫

哲学者というのは誰でもなれるものではないらしい。
画家になるのに、プロスポーツ選手になるのに、
類稀なる才能が必要なのと同じく
哲学者になるにもある種の才能が必要とのこと。
その才能とは
「今」とは何か
「ある」とは何か
「わたし」とは何か
など、普段我々がなんとなくで済ませている問題に
つまづき、おかしくなるくらいもがき苦しみ
徹底的に懐疑することができること。
楽じゃないねぇ。

五重塔

2009-10-07 | 
「木理美しき槻胴、縁にはわざと赤樫を用ひたる
岩畳作りの長火鉢に対ひて話し敵もなく唯一人、」

で始まる幸田露伴の『五重塔』、
早くも冒頭の一文で読み切れるか不安になりましたが
慣れてくるとこの文章のリズムはやみつきになります。
声に出して読みたい日本語、というのが流行りましたが
『五重塔』こそまさしくそれでしょう。
この作品を世に出したとき露伴なんと24歳
う~ん、へこむ。なんかへこむよ。

さて、その『五重塔』、
谷中感応寺の五重塔建立をめぐる二人の大工のお話です。
一人は川越の源太、そもそも感応寺の本堂庫裏客殿を
見事に作り上げたのは他でもない源太であり
五重塔も当然源太が作るはずだった。
ところがそこに名乗りを上げたのが
もう一人の大工、十兵衛。
腕は確かだが愚鈍な性分ゆえに
「のっそり」と呼ばれ軽んじられている。
源太親方には仕事を世話してもらった恩もあるが
五重塔だけはぜひとも自分の手で作ってみたい、
日の目を見ないまま馬鹿にされて一生を終えるのは我慢ならない、
と、感応寺の朗円上人に涙ながらに直談判。
情に厚い上人は不遇の十兵衛を憐れに思い
望みを叶えてやりたいと思うが、本来ならこれは源太の仕事。
源太も腕は文句無し、世間の評価もはるかに高い。

「一ツの工事に二人の番匠、これにもさせたし彼にもさせたし、
那箇(いずれ)にせんと上人もさすがこれには迷はれける。」

さてどうなるのでしょうか。
十兵衛と源太、二人で仲良く?
そう簡単にはいきません。

アメリカの宗教右派

2009-07-13 | 
米国の大統領選挙前、テレビで
福音派(エヴァンジェリカル)について取り上げていた。
彼らは21世紀の今日にあってなお進化論どこ吹く風で、
聖書に書かれている言葉はそのまま
歴史的事実であるという信念をもっている。
また、学校や公共の場で宗教的な祈りや儀式を行うべきであるし、
妊娠中絶、同性愛については許されるべきことではない
とも考えている。
米国では彼ら福音派が一大勢力となっており
選挙において福音派の支持を得ずして勝利することは
難しいという。
福音派の資金提供を受けて創世博物館なるものも作られ
これが結構繁盛しているらしい。
展示内容はもちろん進化論真っ向否定である。

現代の日本で生活する我々にとって
彼らの信仰はとても異質なものに見えた。
以来、エヴァンジェリカルについて
書かれた本がないか探していたところ
見つけたのがこの本。



『アメリカの宗教右派』
飯山雅史 中公新書ラクレ

この本によれば、
アメリカは基本的に宗教国家なのだという。
米国では、神が現在の姿のまま世界を創造したという
天地創造説を信じている人は4割を超えている。
では残りの人たちは進化論をまっすぐに
信じているかというとそうではない。
進化論を信じる者のうち4割は、
地上の生物は進化によって生まれたが
その進化の過程は神によって導かれたものであるとして
信仰と進化論を融合させた考えをもっている。

他にも、
神の存在を信じる者90%、
死後の世界を信じる者70%、
悪魔の存在を信じる者65%など
全体的にあまり信心深くない日本人にとっては
衝撃的なデータが並ぶ。

福音派をどう定義するかにもよるが
多く見積もれば4割が福音派
少なく見積もっても成人人口の
4人に1人は福音派である。
聖書を字句そのままに解している人など
ごく一部の原理主義者かと思いきや
プロテスタント内のむしろ多数派を
形成しているのであった。

あの国は内政も外交も、
文学も音楽も映画も、
選挙における投票行動も、
宗教国家という視点なしには
理解しにくいことばかり。
この本を足掛かりにしてもう少し
勉強しようかと思う。

Journey of Souls

2008-12-08 | 
またでんじろうが変な本読んでるよ
と周囲からは冷ややかな目で見られました。

「死後の世界が教える『人生はなんのためにあるのか』」
(原題「Journey of Souls」)

という本です。
洋書を翻訳したものは
どうしても読むのを敬遠しちゃいます。
不思議なもので、どんなに平易な内容であっても
文章がすらすら入ってこないのです。
文章の書き方に対する根本的な思想のようなものが
日本語と英語とではやや違うようで、
英文を日本語に翻訳するとき
よほど慎重に訳したとしても
その空気の違いが出てきてしまいます。
翻訳した文章をそれと知らずに読んでると
すぐ気づきますよね?
あ、なんかおかしい、って。

そういうわけで読むのに少し時間が
かかりましたが、内容的には
興味深い本だと思います。

退行催眠で被験者の記憶を
生まれる以前にまで遡らせると
被験者は前世の記憶や、
前世で死んでからこの世に再び生まれ出でるまでの
プロセスを語りだす、とか、なんとか。

自分のような人間はこういう話をされると
すぐ信じちゃって「真理はここに」
などと悟りきった顔で言い出します。
もうすこし慎重な人は
退行催眠をかける際に誘導が入って
偽の記憶が作られるのではないかとか
もっともらしい説明を与えるのでしょう。
さらに疑い深い人は
一から十まで著者の作り話であると
考えるのかもしれません。

どういう立場の人であっても
「人はなぜ生まれてくるのか」
「人はどこから来てどこへ行くのか」
という疑問について全く考えたことのない人は
おそらくいないでしょう。

この本から読み取れるのは
現世は修行の場であるということです。
魂は地球外の惑星を含めた
いくつかの世界から学びの場を
選ぶことができるのですが
地球はその中でも特に過酷な世界らしいです。
肉体的な苦痛を味わうこともありますし
精神的にもつらいことばかり。
確かにその通りです。

それでもなお、魂にとって地球は
魅力的な世界らしいです。
苛酷な環境だからこそ学びも多く、
ひとつのことを成し遂げたときの
達成感はひとしおです。
なにかと難しい時代ですけど
こういう時代に、今いる場所に、
生まれてきたことには
ちゃんと意味があるようですよ。