昭和の名僧、山田無文老師の若いころのエピソードは
別の本で読んだことがあったのだが
老師自身の言葉で語られているものが読みたくなって
講演録の『自己を見つめる』を買ってみた。
正直、毛沢東の文化大革命の成果を無条件に讃えるくだりは
今日の目からみればかなり浮いてしまっている。
革命後の中国からは蠅が消えた、鼠が消えた、盗人が消えた。
自分のことは後にして、まずは人々のために奉仕する
「先公後私」の精神が行き渡り
まさに仏教の理想が革命後の中国において実現している、
というのだが、果たしてそうだろうか。
講演が昭和48年頃にされたもののようだから
文化大革命の実態がおそらく当時まだ明らかではなく
仕方がない面もあるので
とりあえず置いておこう。
山田無文老師は若い頃
厳しい修行の末に結核にかかったことがあった。
杖を突いて徴兵検査に行くと
「お前はもう用がない」と言われ
甲乙丙丁の丁とされた。
このとき体重は37キロ。
医者にももう駄目だと見放され
見舞いに来る友人もなく
一人孤独に死を待つだけ
ただ寝ているだけの日々を2年間過ごしていた。
ある初夏の日
久しぶりに縁側に這い出し
風の心地よさを感じているうちに
空気が自分を片時も休まず
育ててくれたことに思い至る。
空気といえばそれまでだが
そのとき、神とも仏ともいるような
大きな存在が自分を育ててくれていたのだと
その大きな力が生きろ生きろと励ましてくれているのだと
思った瞬間、涙があふれて止まらなくなった。
その感動に包まれながら下手な歌を作る。
「大いなるものにいだかれあることを
けさふく風のすずしさにしる」
下手な歌だと老師は言うけれど
素直に心に響くいい歌だと思う。
別の本で読んだことがあったのだが
老師自身の言葉で語られているものが読みたくなって
講演録の『自己を見つめる』を買ってみた。
正直、毛沢東の文化大革命の成果を無条件に讃えるくだりは
今日の目からみればかなり浮いてしまっている。
革命後の中国からは蠅が消えた、鼠が消えた、盗人が消えた。
自分のことは後にして、まずは人々のために奉仕する
「先公後私」の精神が行き渡り
まさに仏教の理想が革命後の中国において実現している、
というのだが、果たしてそうだろうか。
講演が昭和48年頃にされたもののようだから
文化大革命の実態がおそらく当時まだ明らかではなく
仕方がない面もあるので
とりあえず置いておこう。
山田無文老師は若い頃
厳しい修行の末に結核にかかったことがあった。
杖を突いて徴兵検査に行くと
「お前はもう用がない」と言われ
甲乙丙丁の丁とされた。
このとき体重は37キロ。
医者にももう駄目だと見放され
見舞いに来る友人もなく
一人孤独に死を待つだけ
ただ寝ているだけの日々を2年間過ごしていた。
ある初夏の日
久しぶりに縁側に這い出し
風の心地よさを感じているうちに
空気が自分を片時も休まず
育ててくれたことに思い至る。
空気といえばそれまでだが
そのとき、神とも仏ともいるような
大きな存在が自分を育ててくれていたのだと
その大きな力が生きろ生きろと励ましてくれているのだと
思った瞬間、涙があふれて止まらなくなった。
その感動に包まれながら下手な歌を作る。
「大いなるものにいだかれあることを
けさふく風のすずしさにしる」
下手な歌だと老師は言うけれど
素直に心に響くいい歌だと思う。