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アメノウズメノミコト

2007年02月10日 | Weblog
 先日、静岡浅間神社の中にある文化財資料館で
歌舞伎土人形の展示と講演会に行ってきました。
土人形は歌舞伎の場面場面を形作り、講演会では
それぞれの人形の歌舞伎の場面の説明を聞き、
楽しい時を過ごしました。
 展示された土人形は、明治初期から平成までの作品で
動作や顔の表情が印象に残りました。特に歌舞伎の衣装の色は
明治の顔料で画いた衣装と昭和、平成の染料で画いた衣装では、
当然違いがはっきりしていて人形が作られた時代を推測するのに
役立つそうです。
顔料では、弁柄の赤とかインディゴの青、それに緑青の緑、茶系は柿渋でしょうか
それぞれ色あせていて なんとも云えない風情を感じました。
反面、昭和、平成の染料はあざやかでしたがあまり見ませんでした。
多分、十年後も二十年後も色あせはしないと思います。

 講演会は、土人形それぞれの歌舞伎の場面の説明でした。
歌と踊りの技があって歌舞伎と言い、観客と役者の一体感が花道を作り(花道は
役者が客席の中に入っていくと云う意味と、もう一つは、観客がおひねりを投げる場所だそうです。)歌麿の美人画、写楽の役者絵と云う浮世絵の全盛に連がって
いったそうです。
 その講演の中で古事記に出てくるアメノウズメノミコトが歌舞伎の始まりだと
言っていました。
それは、天照大神が弟のスサノウノミコトの乱暴を嘆き 天の岩戸に隠れてしまった時、アメノウズメノミコトが裸踊りを踊って天照大神の注意を引き、アメノタジカラオーが岩戸を開いたと言う神話に基づいた話だと思われます。 
 
 アメノウズメノミコトは、月見里神社の主祭殿でありますので、後日、
本(アメノウズメ伝 鶴見俊輔著 平凡社)から引用させてもらいながら
書いてみたいと思います。






 


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