今日、朝日新聞の中野さんから電話をいただきました。
「江尻宿シャツ記事にするよ!」とうれしい電話でした。
その時、「何で江尻宿シャツなのですか?」と質問されました。
「地域ブランドとして“江尻宿”を清水銀座にも自治体にも
輪を拡げてゆきたい」と答えました。
それはそれでまちがいではないのですが、時間が経って
よくよく思い直してみると 最初は江尻宿の風景にあつたシャツを
作りたい、という想いだったように思います。リュックを背負って
東海道江尻宿から府中宿にに向かう人たちを見ていて、(私も歩くのが好きで、
江尻を起点にして興津、由比、蒲原へ行ったり、反対に府中、丸子へ
よく歩きます。)自分ならもし、江戸時代の柄のシャツを着ている人と
出逢ったらうれしいだろうな・・・、と思い、絣とか定式幕柄を
思いついたのだと振り返ってみたりしました。
さて、最初に思いついたのが、この絣柄の江尻宿シャツです。
似肖屋では、最初に布をイメージしてから作品のデザインを考えてゆきます。
ですから、例えば当初、鯉口シャツをイメージしていても織りあがった布を見て
オープンシャツに変更することはよくあることです。
写真がそのシャツです。鯉口シャツからオープンシャツに変更した訳は、
ただ単に、“鯉口シャツでは祭りにしか着ることが出来ないからもったいない”という理由からです。
しかも、出来上がったシャツの胸ポケットが派手なので、絣柄にしようとか、
デザインもいくつか変更しました。
ですから、写真のシャツは、少し変更して2~3日うちに出来上がってきます。
全ての工程を“メイドインジャパン”で、そしてその中に“和”とか、
“日本の歴史”を付け加えるデザインが出来ればこれに増す喜びはありません。
私は、いつもそんな気持ちで布を見つめ、服のデザインを考える様にして
おります。
皆様がシャツを着た瞬間、"和と歴史”を感じていただけるように
いつも願っております。
“東海道江尻宿シャツ”どうぞ手にとってご覧ください。
あやかりやの自信作です。
「江尻宿シャツ記事にするよ!」とうれしい電話でした。
その時、「何で江尻宿シャツなのですか?」と質問されました。
「地域ブランドとして“江尻宿”を清水銀座にも自治体にも
輪を拡げてゆきたい」と答えました。
それはそれでまちがいではないのですが、時間が経って
よくよく思い直してみると 最初は江尻宿の風景にあつたシャツを
作りたい、という想いだったように思います。リュックを背負って
東海道江尻宿から府中宿にに向かう人たちを見ていて、(私も歩くのが好きで、
江尻を起点にして興津、由比、蒲原へ行ったり、反対に府中、丸子へ
よく歩きます。)自分ならもし、江戸時代の柄のシャツを着ている人と
出逢ったらうれしいだろうな・・・、と思い、絣とか定式幕柄を
思いついたのだと振り返ってみたりしました。
さて、最初に思いついたのが、この絣柄の江尻宿シャツです。
似肖屋では、最初に布をイメージしてから作品のデザインを考えてゆきます。
ですから、例えば当初、鯉口シャツをイメージしていても織りあがった布を見て
オープンシャツに変更することはよくあることです。
写真がそのシャツです。鯉口シャツからオープンシャツに変更した訳は、
ただ単に、“鯉口シャツでは祭りにしか着ることが出来ないからもったいない”という理由からです。
しかも、出来上がったシャツの胸ポケットが派手なので、絣柄にしようとか、
デザインもいくつか変更しました。
ですから、写真のシャツは、少し変更して2~3日うちに出来上がってきます。
全ての工程を“メイドインジャパン”で、そしてその中に“和”とか、
“日本の歴史”を付け加えるデザインが出来ればこれに増す喜びはありません。
私は、いつもそんな気持ちで布を見つめ、服のデザインを考える様にして
おります。
皆様がシャツを着た瞬間、"和と歴史”を感じていただけるように
いつも願っております。
“東海道江尻宿シャツ”どうぞ手にとってご覧ください。
あやかりやの自信作です。