庶民の感覚

昭和33年生まれの感性。

人という生き物

2013年08月20日 | 独り言

人とて一匹の生物に過ぎない。
それも考えるということを覚えた時から、生物としては1つの欠陥生物かもしれない。
他の生物は何をするにつけ自然に逆らわずにその生涯を終える。
自然と波長合わせず生きることができるのは人類だけ。
人の立場に立てば知性とか知能とかかっこいいこといますが、それはあまりにも横柄な姿勢のように思う。自分には欠陥としか思えない。
この事に気付かない限り、人類の成長、生存はないかもしれない。


1970年大阪万博

2013年08月19日 | 独り言

テーマが「人類の進歩と調和」当時12歳の少年が想像した世界は、
国境がなく、金もなくみんな仲良く、自分に合った仕事をし幸せに暮らしている社会でした。
1000年遅くこの世に生まれてきたかった。その時には夢に描いた世界が広がっているでしょうか?


一家に1台車が必要だったのだろうか?

2013年08月18日 | 独り言

昭和40年代。公共交通機関が整備された日本で一家に1台車が必要だったのでしょうか?

欧米諸国の猿真似でしかない事は普通の大人であれば理解していたはずなのに、
車の普及が進むにつれそれまで身近で済ませていたものが、不経済な形に変わっていき資本が少数の個人または企業に集中し始めたのである。

この時点(1億総中流社会)で国民がもう少し賢ければ(まともな教育がなされていれば)、格差のない日本独自の安定した社会が実現していたであろう。

 


続・流れ者の国

2013年08月15日 | 独り言

ユーラシア大陸の東のはての島。
それぞれの地域でそれなりの人の世に見切りをつけ、日の出る方に希望を託し移住を続けてきた民族、それが今の日本人のルーツではないでしょうか?

勿論縄文人をルーツとする先住民がいましたが、争いを好まず東北地方や北海道に移って行ったようです。
言うまでもなく多くの人種の血が交わされています。
自分の身の回りの人を少し注意深く見てください。
気がつきませんか?多くの血が交じっていることに。