海外協力隊への応援歌

青年海外協力隊はじめJICAボランティアを心から応援しています。
2010年1月帰国、イエメン、青少年活動隊員より

あるメールより

2005-10-30 | Weblog
 「人相手のことは、良い人同士でもなかなか難しい面もありますから」
 なるほど。当然なようでつい忘れていることだ。だから人間なんだよな。

アテンド

2005-10-28 | business
後輩に、アテンドの依頼がきた。といっても、タイ語のできる人におもにディナーの間隙をうめる通訳がわりに同席してほしいというもので、車の手配やらホテルの部屋への差し入れや料理メニューのアレンジなどの面倒なことはいっさい他部署とタイで手配するという気楽なアテンドだ。後輩の、はじめてのアテンドにしては願ったりかなったりの内容になった。外へ出る用事をつくりたいと思っていたところで、しかも月初第3営業日の翌日という、これ以上のタイミングはない。後輩にはラッキーだし、私もほっとした。

工程にはほぼ2日同行となる。工場も2つ見学することになっており、まさにこういう日程を組みたかった。世の中うまくできているものだ。

私も出張で席をあけるので、もう一人の後輩に2人のいない間の留守番を頼んだ。2日くらいなら、彼女1人でまわせる。彼女のいざというときの安心のため、海外用の携帯とパソコンは申し込んでおいた。連絡をとれるようにはしておく。が、おそらく、彼女の裁量で判断できないようなことは起こらないだろう。あったら私もボスに相談しなくてはならないくらいだと思う。どうしても不安なこと以外は自分で解決していい、と言っていく。彼女が考えて理由があってした決断ならば、ミスはあとからでもカバーできるし責任もとれる。そのかわり、迷ったがこういう判断でどうした、という概略は教えておいてもらう。迷わなかったものは報告の必要はない。

自分の仕事もあるので、自分がいなくてもチームがまわっていくようになると本当にありがたい。会社は人で持っている、と実感している。

fragile

2005-10-26 | business
今日、はじめて輸出チームのミーティングをする。いろいろと内容を考えたが、今日の目的は、スケジュールの確認とどうしてもやってもらわなくてはならない数字の報告を仕組み(ルーティン)にすることを知らせることに絞ることにする。

出張に行きたがっている後輩に、出張予定スケジュールを出したらモチベーションになるかとも思ったが、もう少し、彼女が自分で自分の業務を把握して自分でまわせることが見えてきてから計画しようと提案することにする。能力が高いとついもっともっとと要求してしまうが、まだ引継ぎをはじめて3週間だということを思い出して、急ぎすぎないようにしないと。さすがに相手も人間だから。

正直言って、自分の仕事も精一杯だ。引継ぎきれないところへ次の仕事が引き継がれる。受ける仕事はすぐにでもはじめられるので受けとるが(うまくできるかどうかは別としてとりあえず説明をきいたら受けられるという意味で)渡すほうを徐々にというとつまり自分のところに仕事が一時的に増える。もともと年内は山場だと思っていたので計画通りではあるのだが実際なってみるとちょっと嘆きたくなる。もう嘆いてるか。自分でつっこんで苦笑。

派遣の子と後輩と、今はどちらが仕事をしているかといえば明らかに派遣の子だ。順位というほど大げさではないけれど、後輩には早く派遣の子に追いついてもらおう。派遣の子の仕事ぶりはそうそう追いつけるようなものではない。

このブログを読んでくれた友人が、最近の私にはおおらかさがないと言ってくれた。怖いもの知らずだった20代からどんどんこわいものに怯えるようになってきたようだと。本当に、いつからか、いつもなにかに怯えているようになった。ノイローゼにならないように気をつけなくちゃ。20代のときに口癖だった(そしてたまにおこられた)「ま、いっか」を、もう一度使ってみるか。

ノイローゼ

2005-10-23 | business
 寝ても覚めても会社のことばかり考えることはできる。いくらでも考えたいことがあり、やりたいことはきりがない。それらは非常に魅力的で面白い(interesting)。たとえば人間関係がうまくいっていなくて会社を辞めたいと思っているときでも、仕事の内容のことを考えるのは面白かった。

 だが、これを続けるとノイローゼになる。これが皆にあてはまるかどうかはわからないが、私自身は経験上精神的にやられてしまう。といっても、自分でおかしい、と思う程度の精神の不健康だから、それをノイローゼと言うのは大げさかもしれないが、まあ、おかしくなるのは間違いない。だから、寝る前も朝起きたときもすぐに仕事のことを考えはじめると、いかんいかん、とほかのことを考えるようにする。どうしてもそこに考えが行ってしまうときは、15分なり30分なり決めて紙に書き出しそれで仕事は忘れて気持ちを切り替えることにしている。

 9時から5時半まで集中して一生懸命やってなんとか終わる程度の仕事が、仕事のあるべき姿だという持論が固まったのは最近だ。一年ほど前だったと思う、尊敬する知人が自分の働き方について「9時から5時半まで馬車馬のように働いて、公私をきっぱり切り替えていた」というのをきいて、これだと思った。馬車馬という言葉にはかなり語弊があるが。彼女は知的な教養ある編集者で、フル回転で馬車馬のように働いていたのは彼女の脳みそだ。

 仕事のことを考えているといっても、今は部下のことが最大の関心事なので、はっきりいってあまり考えても意味がない。部下は人間で、私の思うようにいかないことは最初からわかっているからだ。目標や大枠の設定などはまた別の機会に話を譲るとして、とにかく、今はこのプレノイローゼ傾向を避けるべく、今日は街へ買い物に出かける。

社員、派遣、インターン

2005-10-23 | business
 今までに、インターンとなら一緒に仕事をしたことがある。一人はアメリカにいるとき、大学の卒業単位に必要なインターン経験先を探しており、こちらは猫の手も借りたいほどの忙しさだったので来て貰った男の子、もう一人はつい最近、秋に大学を卒業後、入社が決まっており、春まで遊ぶのもなんだからと来て貰った台湾の女性。インターンには、自分の仕事の一部を手伝ってもらいながら、会社やある部署の全体像を大雑把に把握できるようなプレゼンをひとつ作らせて1ヶ月から数ヶ月のプログラムを考えればよかった。

 今回、部下は入社3年目の社員と社会人経験はほぼ10年近くなりうちの会社に2年あまりの派遣の2名となった。二人とも女性。はじめての部下が女性二人というのは私には非常にありがたい。

 この2人について考えたとき、いろいろな迷いが出てきた。今はまだ少しずつ解決中というところだから、このブログに書き綴っていきたいと思う。

 まずひとつ答えを出したのは、派遣に対する考え方。結論は、社員との区別はしない。彼女は社会の宝であり、うちの会社の利益はそれについてくるものだと考えることにした。

 たくさんいるマイボスの何人かに探りを入れたところ、うちの社員ではないのだから育てるということを考える必要はない、と言われた。セミナーに行くこと、うちの会社の工場を見せること、マーケティングの基本的な考え方を知ってもらうこと、打ち合わせに出すこと、社外の取引先に紹介すること等々、細かいことから大きなことまでいろいろあり、それぞれに経費がかかり時間もとる。育てる必要はないという考え方はよく理解できる。

 ただ、自分がそんなに割り切って彼女と社員を区別できるかに自信がなかった。私はとにかく2人の部下が、自分たちの能力を最大限発揮して、自分たちで会社をよくしていく、社会をハッピーにしていく、という手ごたえのある仕事ができるような環境を整えるのが自分の使命だと思う。その環境を考えるのに、派遣のキャラクターを考えると、区別は不要だと考えた。だから、これは、私の派遣に対する結論なのではなく、「その派遣社員」に対する結論といえるかもしれない。

 工場見学にも行かせる。セミナーにも行ってもらう。会社の経費、時間?これよりリターンの確実な投資なんてない。

 辞めてしまうリスクも考えた。が、これは社員でも同じことだと考えることにした。自分だっていつ辞めるかわからない。ただ、明日から来ません、というようなコミュニケーションの悪い職場にしないようにしたいと思う。

 派遣の部下に対する考え方を書いてみた。ここで一旦ペンを置き、社員のほうについてはまたおいおい書きたい。

女性管理職

2005-10-23 | business
 職位だけは管理職になって何年かたった。この秋初めて部下を持つ。「部下の気持ちはみながわかるが上司の気持ちは上にならないとわからない」ときいたことがある。部下のことを考えるとき、部下というより仲間という気持ちだが、私の描く彼女らのジョブ・ディスクリプションで、彼女らのこの一年が有効になるか無駄の多いものになるかと思って考え始めたら、彼女らのためになるようにと必死になっていた。

 部下熱気球理論は、住友銀行からアサヒビールに移りスーパードライという大ヒット商品を出して同社を起死回生させた樋口廣太郎の持論だったと思うが、部下はいつも熱気球のように上昇しよう、上昇しようとしており、その障害になっているのが雲ならぬ上司だから、その障害を取り除いてやればいくらでも会社のために上昇しつづける、というものだったと思う。

 この、障害にならないようにするために行き着いたキーワードは「無私」だった。(これはこれから変化するかもしれない。)

 自分の能力は限られている。能力の限界なぞ毎日のように感じるし、若い人たちの優秀さにはいつも目の覚める思いだ。能力は社会の宝だ。部下には対等の仲間として対峙し、その能力をどんどん伸ばし、熱気球がどんどん上昇するのを助けられる上司になりたい。

 以下、2006年3月1日追記:
 このブログを読んで、久しぶりに「無私」という言葉を思い出した。おそらくこのときはまだ「無私」と意識しなければならないほど、我の強い仕事のしかただったのだろう。5ヶ月後の今、無私を意識することはない。意識しなくても無私で仕事をするようになっていることに気がついた。最初の意識が浸透したのか自然に働き方が変わったのか。チームはきちんと日常をまわし、日々の変化に対応し、成果を上げている。小さな小さなチームだが、堅固でまさに大きな売上を支えている。部下はどんどん成長している。0からはじめた仕事が一人でできるようになりそれがだんだん速くなりあいた時間で応用の仕事も取り込めるようになってきた。もう一人は今少し自分の働き方を模索しているようだ。勘がよく手際もよいので仕事にはまったく問題がないから、これからどう手を伸ばしていくか、自分で納得する答えを見つけたらいい。