海外協力隊への応援歌

青年海外協力隊はじめJICAボランティアを心から応援しています。
2010年1月帰国、イエメン、青少年活動隊員より

ビジネス哲学

2007-02-22 | business
 会社員をはじめてから10年くらいたった頃、まわりからの指導を自分なりに咀嚼してビジネス哲学を5つにまとめた。

1.バランスのとれた正義感
2.正しいことを貫く勇気
3.感情を克服した理性
4.人間が感情で動くことを理解するあたたかい人間性
5.ほんの少しユーモアを加味した柔軟性

 そしてビジネスの判断の基準を企業が「限りなく発展しつづける」ことができるかどうかに置いてきた。

 これが、最近どうもしっくりこなくなった。普遍的な内容ではあるが窮屈になった。自分のあり方にしか考えが及んでいないからだと思う。次なる哲学の模索をしているうち、やはりトルストイの童話に戻るのかと思い始めた。戻るというのは、この5ヶ条をセットアップする前、トルストイの童話のひとつである「イワンのばか」を拠り所としていたからだ。長くなるので省略するが、「イワンのばか」の誤用により破綻をきたしそうになったため、ビジネスの基本を見直して先ほどの5つに集約したという経緯がある。その後この5ヶ条は長い間自分の指針となってきた。会社員として、ビジネスマンとして、道や判断を誤ることのないよい指針だったと思う。が、先にも述べたように、最近の自分の仕事には少し合わなくなってきた。そして最近の私のビジネス哲学は「全員の幸せは矛盾なく成立し得る」にシフトした。当面これで世界に挑戦しようと思っている。この根本がトルストイの童話にある。

 トルストイの童話にはたいへん現実的なビジネスの具体例が含まれている。私がよく読むのは岩波文庫の童話集「イワンのばか」だが、収録されている話のうち、粉挽き屋の話や「人にはどれだけの土地がいるか」などは、ビジネスマンだけでなく、企業がどこまで触手を伸ばすか、どこまでを自分たちの守備範囲とするか、仕事を発展させるために信頼できるビジネスパートナーの存在がいかに重要か、の事例そのものだ。本家の「イワンのばか」はさすがに理想論に見えるが、それでも人間が人の間でどう存在するべきかを行動にした場合の事例を示しており、トルストイの見つけた究極の理想世界が今すぐにも実現できるのではないかと錯覚するほど具体的で説得力がある。「全員の幸せは矛盾なく成立し得る」という一見現実離れした哲学が「イワンのばか」を読むと本当に可能な気がしてくる。

共通言語

2007-02-20 | business
 他部署や他社に依頼したり相談をして一瞬で的確な答えがかえってくるとさすが相手はプロだと感心する。なかなかほしい答えがかえってこないのを目にすると、思わずかわりにきいてあげようか、と言いそうになったりする。

 違いはちょっとしたことで、おそらく共通言語を使うからだ。単純な例でいくと、輸出でコンテナの話をするとき40フィートドライコンテナや20フィートコンテナがあり、うちの場合は主に20フィートドライコンテナになる。相手と話すときに相手がたとえば40フィートコンテナをイメージして話をした場合、途中で話がおかしいぞ、と気づいてからその認識をあわせなくてはならないとそれまで話した時間が無駄になる。これはあくまで例で、ここまで初歩のことでつまづくことはないが。どれが、どこまでが相手との共通言語か、というところがおそらく経験と勘なんだろう。

 あとは運もある。担当者を探そうと知り合いに電話をしたところたまたま離席中で、かわりに電話をとった人が「それは私が担当です」ということがある。助かった、話が早い、と一気に話がすすんだりする。

 下手な鉄砲を数打っているだけかもしれない。3つに1つうまくいけばいいほうで、あたった1つで話をすすめうまくいかなかった2つはきれいさっぱり忘れていくといったところか。試行錯誤が許されるのも会社のいいところだ。

甘い?

2007-02-01 | business
 3人の輸出チームで2倍の輸出量を見据えた業務の効率化、標準化をすすめてきた。昨年実際取扱量はほぼ2倍となったが、ちょっとした投資をしてシステムを改善し、輸出業務自体は今年さらに2倍になってもなんとか対応できる。これで私はしばらく自分の営業担当や、昨年若干手荒な部分の残ったシステム改善に着手できる、2007年前半は、この懸案や保留事項を完成させて後半はさらに2倍の輸出に耐える体制を考える予定だった。

 と思いきや、そうは問屋がおろさない、同じ部署内から輸出チームにそんなに人がいるのか、という話が出ていると聞こえてきた。輸出チーム3人、私は営業担当も持っているがそれをやりくりして輸出にほぼ専念していたからなんとかなっていたのであり、2名の派遣社員は庶務も請け負っているので、実質人員数としては2名とちょっと、というところだ。これで対応できる体制をつくりあげたから対応できているが、それがなかったら今頃輸出はパンクしているか、もっとコスト高になっている。というところまでは見てくれない。走り続けなければならないのは会社員の宿命だとは思うが、よくまあ次から次へと他人の業務に要求してくるものだ。

 昨年、部内のほかの人より残業も休日出勤も実際に多かったのでほかの人にもう少し手伝ってほしいと思ったこともあったが、ほかの人にはほかの人の担当があり、皆がそれぞれの持ち場で責務を果たしているのだから自分も文句を言わずに責務を完遂しようと腹をくくり残業も休日出勤もした。自分が忙しくてほかの人には余裕があるように見えるということは、ほかの人が私を見ても同じことを思うかもしれない。本当に忙しいかどうかはお互いの仕事の内容が違うのだからわからない。考えても仕方のないことだ。そして私は本当に忙しかった。そこで、自分は自分の役割を果たすことに専念し、ほかの人はその人の役割をその人なりに精一杯果たす、という暗黙のうちのお互いの承認で一緒に同じ目的に向かって仕事をしていると信じることにした。

 忙しいと被害者意識が出て他人や自分以外に対する不満が募ることは組織ではありがちだ。私もそれに何度か陥りそうになった。自分の責務はきちんと果たしていれば会社としては別に問題ないが、このような被害者意識を持ったまま責務を果たすのは人間の毎日としてはつらくなる。部下にこのような被害者意識を許すような管理をしている上司のマネージメントも悪いとは思うが、社員自身も自分が被害者意識に陥らない自己管理をしたほうがいい。

 大切なのは職責を果たすことだから、それに必要なことはするしかない。部下や仕事のマネジメントだけでなく、上司や先輩社員の感情への気遣いも、と考えたりするところがまたハナにつかないように、などと考え出すときりがない。人間の感情はどうしようもない。腹をくくって果たさなくてはならない職務内容に専心することにする。