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隅田川旧跡 梅柳山 隅田院 木母寺 梅若堂

2007-08-12 12:46:31 | Weblog
防災拠点建設事業の為現在の地に、移転されたとき、木造建築が消防法により、許可されなか為に防火ガラスの建物の中に安置することになり、現在はガラス越しですか見ることが出来ません。しかし保存を考えるには、良い条件ですが、味気なさも感じるところです。

梅若塚に供養の為念仏を唱える為の御堂です、貞元元年(平安中期・976年)層の忠円が梅若丸の墓所がを築き、翌年、念仏堂が築かれたと言われています、現在では、当時の規模と様式がどの様なものか、想像すら出来ないのですが、木母寺の起源なのです。

当時、京の都では、隅田川の情報は少なく遠くの地で別世界で有ったようです。京の都の社会状況に比べ、おおらかな環境ではと思わせます。隅田川の地形は、島が点在し水系が複雑に流れ広大な風景だったようです、隅田川の東岸は、下総の国、西岸は武蔵野国との国境が隅田川でした。このあたりは奥州街道の道筋があり旅人は、渡し舟で往来しました、重病の梅若丸が打ち棄てられたところが、この渡し場付近と言われています。西岸には、関屋の里と言う里が合ったようで、梅若丸最期を見取ったと言われる里人は、関谷の里人ではと考えられます。西岸は、砂利の原でそこに脚草が生えるようすで、広大な風景だったようです。

予断ですが浅草の語原は浅い砂利原に脚草が生える様をさして、浅草となずけたと言う説もあります。

梅若堂は規模と様式については、資料が少なく、推測の範囲ですが、念仏堂と言う目的から現在の規模と様式と思われます。梅若どうを見ると、奈良大野村、大野寺の念仏堂を、思いが重なります。


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