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隅田川 七福神 弁財天 長命寺

2007-08-24 23:28:24 | Weblog
向島花町の一角に目立たないお寺である。山門を入ると、すぐ幼稚園の建物がある、奥のほうに、新しい本堂が見える、何だこんなもんかと、思いながら本堂に向かって進む、本堂にお参りを済ませ、振り返ると何か白木の小さな建造物がある、これが「般若水」井戸だった、長命水である。

「長命水の由来」徳川三代将軍家光公が鷹狩の際、腹痛を起こし長命寺の住職が庭中の井戸水(般若水)を加持し、その水で薬を服用したところ、痛みが治まり、長命水と命名され、寺号も常泉寺を長命寺と改号されたと云われている。
流れ落ちる清らかな、水を見ると、言われをなるほど感じてしまう、雰囲気がある、本堂の裏手に進んでみると、歌碑や俳句碑が多く、清楚なたたずまいな境内で、山門の前から見た印象と全く違う寺である。
長命寺の由来は、寺伝よると「当寺は元和元年頃の中田某の壇郡寺なれば、その頃の建立に係るものならん」とあり、「元和二年(1615)頃とされています」村内一字の道場として小庵が存在していたと思われる。石文によると「いにしへは宝樹山常泉寺と唱し道場なり」長命寺の説明から抜粋、
本堂は安政二年の大地震で焼失その後明治なり麻布の武家屋敷を移築し仮本堂したが、大正十二年の震災で、焼失しかし本尊、弁天像、芭蕉像は難を免れた、現存です。

江戸時代は、多くの人々が見物に訪れたようである、享保年間(1716~1736)徳川吉宗が堤に山桜を植えたことから、花見の名所であったようである。大昔は、文人墨客が好む感性豊かな所あったようですが、明治以後、向島花町が栄、戦後は、近くに、はとの街が栄え、向島は、時代の集積のような場所である、明治以後の向島は、表は庶民の世界と裏は色町の世界が混在して、共存し生活していた街である、下町と簡単に言うのだが、庶民の住み生活の法則、「気っ風」が確立されたところが、下町と言うのではないかと思う、昔下町でも今は、下町とは、言えない街もある。向島は、気っ風を忘れずに、残ってほしい。
長命寺は、粋で気っ風を此れからも残してはしいと思う。


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