ねこの気まぐれ散歩

ねこの気まぐれ散歩にようこそ

隅田川七福神 三囲神社 恵比寿神・大国神

2007-08-26 14:41:05 | Weblog
三囲神社は、浅草駅から吾妻橋を渡り隅田川沿いに、徒歩15分程で着く、なにやら暗い雰囲気の神社である、境内は、構っている様だが何か殺風景な雰囲気だが、長い歴史の中で、変革の状況を感じさせる、大和の神社仏閣も最近観光ブームで、変貌して心を忘れられた、場面に直面する。まだ三囲神社は、訪れる者の心が癒される部分がある。
江戸時代は、この辺は黒松が多く、隅田川沿いの神社仏閣の境内には、黒松が生えていたのだが、三囲神社も古い松の木が無い不思議である。

三囲神社のおもむきと違い、本殿前の左右の狐様が、表情がふくよかで、暖かく向かい入れてくれた、真に人の心を和ましてくれ、ご利益を授けてくれるような面差である。又本殿裏のお稲荷さんの御狐様は、精悍な姿である、左の御狐様は社を守る為精悍な目で、訪れる者を見据えている、右の御狐様は、子狐を抱き訪れる者に話しかけてくる、子狐の姿は、母親の愛情に守られ幸せそうな様子がうれしい。境内全体には、まとまりの無い情景だが、この神社の良さであるのかも知れない。

当初は、現在地より隅田川の下流、牛島神社の向こう側にあった、その当時は、隅田川の堤の上に一の鳥居が立ち、その前に船寄場が有り船で訪れる人も多かった様である、長い参道を抜け本殿が有り、参道は松並木で松が多く植えられてたようで、多くの信仰を集め訪れる人が大変多かったとの事で、鬼平犯科帳の一場面に三囲神社の情景が、描かれている。元禄六年の旱魃の折付近の農民が太鼓を打ち鳴らし雨乞いの祈願したところ、翌日、雨が降り、その事で信仰を集めたようである。
光井家が享保元年に社殿の造営と社地の拡張をした。三越本店の屋上に分霊が奉られている。三井家と深い関係が有り、三井家の加護ににより現在に至る。創建は、不明で、近江三井寺の僧、文和年間「1352~1355」源慶が弘法大師建立の荒れ果てた、御堂を再建したと云われている、元亀年間「1570~1572」焼失天正年間に再建、のち慶長年間、隅田川築堤の為現在の地に移転

隅田川の地形は、特に江戸時代に変貌し、隅田川の両岸の大規模な干拓事業により姿が劇的に変貌を遂げた、現在の墨田区、台東区の地形が形成された、三囲神社の当初の状況を記したが、干拓事業が完成した後で周囲は、当然一面の田圃であった。干拓事業の結果、政治的安定と川幅が狭くなり、橋の建設が可能になった事から、両国の大橋を掛けた。


最新の画像もっと見る