ねこの気まぐれ散歩

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向島七福神 気まま巡り

2007-08-26 19:39:39 | Weblog
隅田川七福神は、日本で初の七福神巡りのコースです、現在では全国で数千カ所もありますが、間違いなく最初の七福神である、日本初の隅田川七福神を廻って見ましょう。

七福神は初詣だけではなく、四季を通して楽しめます、御利益も一緒です、平素は、訪れる人も少なくゆっくりと拝観ができますし、七福神を拝観しながら途中にある旧跡などを見ながら、歩んでみては、如何でしょうか、通常は南から始めますが、今回は、北から始めてみたいと思います。


「多聞寺」(七福神・毘沙門天)

最初は、多聞寺から始めます、東武伊勢崎線、鐘淵駅下車、鐘淵駅前商店街と言う狭く古い商店街に入り進む、この商店街は、鐘淵紡績の工場があった当時は、毎日女工さんが2千人以上通勤で通り、盛況だたそうで、今は、なごりと言えば数件古い店が有る程度で、面影は無い、だが何か懐かしい気分になる商店街である、商店街からさらに細い道を抜けると、徒歩で10分ほどで、多聞寺に着きます。参道入り口にに阿弥陀さまと子育て地蔵さまが居られる。茅葺の山門は墨田区の指定文化財に指定されています、境内に入ると左手に狸塚が有る、右手には、墨田区登録文化財指定の六地蔵があります。 
 次は、木母寺に進みます。


「木母寺」 

七福神では無いが、梅若伝説で有名な、木母寺を拝観して見ましょう、多聞寺の裏手に出ると堤通り出ます、防災団地が通りの向こう側に見えます、団地と隅田川の間が白鬚公園になっています、その公園を南に進み大きな歩行者用の陸橋を越えると左手に木母寺が目えてきます、多聞寺から徒歩で10分ほどです、白鬚公園の中にり、周囲には、いつも花が咲き、静かなたたずまいです、梅若伝説の由来の寺である、羽黒山忠円が貞元元年に梅若丸の供養の為に墓を築き、御堂をたてたとされている、大田道灌や徳川家の由来も有る寺である。やはり七福神では、無いのですが、歴史の古い、
 隅田川神社に進みます。


「隅田川神社」

木母寺から南に向い、徒歩3分程で着きます、隅田川神社は、七福神では無いが、歴史が古く、水神様と呼ばれ明治5年に隅田川神社改名された、昔は、隅田川の中州に立地し、大水でも流されず、海事に携る者から厚い信仰を集めていました、創建当時の地形と現在の地形は、変貌し浮島であった痕跡は全くない、水神様だけに、狛犬では無く、狛亀なのである。 初詣は、なかなか良いものです、除夜の鐘が鳴ると神殿の前で参拝者にそれぞれ御払いをして頂けます、初詣の頃一の鳥居の右手に有る白梅が、この頃に数輪花を咲かせる、  
 次は、白鬚神社に向います。


「白鬚神社」(七福神・寿老人) 

隅田川神社から徒歩で10分で着きます、昔は白鬚大明神と言い天歴5年(951)に置かれたとされています。社殿は、戦災の難を逃れたのですが、テロの放火により全焼してしまいました、江戸時代は、すぐ前の隅田堤に石段があり、石段の下に、一の鳥居が立ていた、現在でも石段の跡が遺されている、神楽殿も無かったようである、昔付近は、茄子の産地で、寺島茄子として有名でした。 
 次は、向島子育地蔵に向います。


「向島子育地蔵」  

白鬚神社の前の堤跡の道を1分程歩くと着きます、地元の信仰を集め、素朴な地蔵さまである、毎月四の日が縁日で、昔は大変賑やかで、今でも縁日には、多くの御線香と蝋燭が上げられています、夜になると境内に明かりが灯され、風情のがる、御堂は代々守られ、現在六代目だそうである、縁日の日に御参りすれば六代目様のお話が聞けるかも。 
 次は、向島百花園に向います。


「東京都立 向島百花園」(七福神・福禄寿尊) 

白鬚神社の一の鳥居を出て左に進む車が、すれ違いができるかどうかの狭い道で、下町の風情が残る道筋です、徒歩4分ほどで着き、入り口に、木造の受付のの建物が有る、入園料を払い、福禄寿堂に進む園内でも隅の目立たない場所にあり清楚なお堂である。帰りに園内の茶店で一休みをするのも良いのでは。   
 次は、長命寺に進みます。


「長命寺」(七福神・弁財天) 

向島百花園を堤通りに戻り南進むこと徒歩で15分程で着きます、鍵盤通りに面しています、天台宗延暦寺の末寺で、徳川三代将軍が鷹狩来たおり腹痛をおこし、そこに住職が加持した、庭の井戸の水で薬を飲んだところ、腹痛が治り、そこで井戸の水を長命水となずけ、長命寺の寺号を与えられました、本堂の前に長命水の井戸が有ります、清らかな水が流れ落ちて、霊験を感じます。境内には、庚申地蔵菩薩像や歌碑が多く有ります、最近「木の実なな」の歌碑が作られました。 
 次は、弘福寺に向います。


「弘福寺」(七福神・布袋尊) 

長命寺の隣で、黄檗宗で、中国色の強い禅宗の御寺です、創建は延宝六年81673)です、山門や本堂は、中国禅宗の寺院の様式で重宝感が有り、境内は、禅宗の御寺らしく、りんとした雰囲気で、勝海舟が坐禅をしたそうです、七福神の布袋尊は、中国で実在の人物だそうです。 
 次は、三囲神社に進みます。


「三囲神社」(七福神・恵比寿神・大国神) 

弘福寺を出て鍵盤通りを南に進み、徒歩5分ほどで着きます、三囲神社は、の御稲荷様で、社殿の前、両側の御狐様の面差しが穏やかで、福々しい表情で素晴らしい、社殿左手奥に恵比寿と大黒天が奉られている神社が有る。社殿裏の稲荷の御狐様もなかんか良い姿である。
 これから隅田公園を抜けて吾妻橋進見ます。


「水戸徳川家本邸跡」  

隅田公園の枕橋の近くに、邸宅跡の門柱が遺されている、関東大地震の時に全焼し東京府に寄贈され墨田公園となりました、堤通りの様子が現在と違い、狭く舗装もされておらず、枕橋も簡素な橋でした、北十間川の川幅も現在より狭く、のどかな場所であったそうです。
 次は、吾妻橋に進みます。


「アサヒビール本社ビル」

枕橋を渡ると墨田区役所です、そこを隅田川沿いのテラスの方向に進むと、ビールのジョッキの形をテーマにして造られた、アサヒビール本社ビルの前に出ます、アサヒビール直営のビヤホールも有り、又アサヒビール本社ビルの上部の泡の部分に、レストランも有り展望が良く料理もまあまあで、つかれを取る一時を過ごすのはいかがでか、吾妻橋を渡れば、浅草の町です、元気があれば浅草の散策も良いのではないでしょうか。

隅田川七福神の神社仏閣に付いては、別の頁で紹介しています、ご覧下さい。


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