久しぶりに谷崎の『陰翳礼讃』を読み返したところ、
頭注として、おもしろい記載があるのに気づいた。
中世日本の雑学資料集とでもいいたい『拾芥抄(しゅうがいしょう)』。
この本には、呪文や厄除の歌が載っている。
『陰翳礼讃』ではこの拾芥抄から、
夢を見たときの呪文、
夜路で死人に逢ったときの歌、
人魂を見たときの歌、
鶴が鳴いたときの歌、
などを紹介している。
このなかで、私は
「夜路で死人に逢ったときの歌」というのに、引っかかった。
次のような歌だ。
タマヤタカヨミチ我レ行クオホチタラチタラ待チタラ黄金チリチリ
国会図書館などが、ネットで『拾芥抄』の画像データを公開しているので、
現物を見ることができるが、
確かに本の諸頌部第十九というページに、
このとおりの歌が載っている。
(片仮名表記もそのまま)
「タマヤ」は「魂や」、
「タカヨミチ」は「高夜道」、
「オホチ」は「大路」ではないかと思ったのだが、
それだと、
魂や高夜道 我れ行く大路たらちたら 待ちたら黄金ちりちり
と、五七五七七のリズムにのらない。
では
霊屋たか 夜道我れ行く大路たら ちたら待ちたら 黄金ちりちり
こちらだろうか。
こんなことを考え出すと、何日でも
あれこれと楽しめるのだが
ここではまあ、内容は、はしょってしまう。
多分、古典の先生がすでに、
黄金チリチリの歌意を解明なさっていることだろう。
私が引っかかったのは、
このような歌が本にあるからには、
昔(拾芥抄は鎌倉時代のものらしい)、夜道で死人に出会う体験が、
頻繁とまでいかなくても、
さほど珍しくはなかったのではないかという点だ。
『拾芥抄』を読んだ人々のうち何人かは
その後、夜道に転がった死体を見つけ、
「タマヤタカヨミチ…」と歌を唱えたのではないか。
もしも、ふらふらと夜道を歩いていて、
思いがけずに死人と遭遇したら、
私も高らかにこの歌を吟じようと、
バチ当たりなことを考えたりもするが、
さて、そうしたことが今の世にあるかどうか。
いやいや、それより、
最近めっきり忘れっぽくなったジジイが、
それまで、「黄金サラサラ」を憶えていられるか。
そのほうが問題だ。
これに関連してもう少し書きたいので、
夜道の死人のつづきは次回また。
★★★

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頭注として、おもしろい記載があるのに気づいた。
中世日本の雑学資料集とでもいいたい『拾芥抄(しゅうがいしょう)』。
この本には、呪文や厄除の歌が載っている。
『陰翳礼讃』ではこの拾芥抄から、
夢を見たときの呪文、
夜路で死人に逢ったときの歌、
人魂を見たときの歌、
鶴が鳴いたときの歌、
などを紹介している。
このなかで、私は
「夜路で死人に逢ったときの歌」というのに、引っかかった。
次のような歌だ。
タマヤタカヨミチ我レ行クオホチタラチタラ待チタラ黄金チリチリ
国会図書館などが、ネットで『拾芥抄』の画像データを公開しているので、
現物を見ることができるが、
確かに本の諸頌部第十九というページに、
このとおりの歌が載っている。
(片仮名表記もそのまま)
「タマヤ」は「魂や」、
「タカヨミチ」は「高夜道」、
「オホチ」は「大路」ではないかと思ったのだが、
それだと、
魂や高夜道 我れ行く大路たらちたら 待ちたら黄金ちりちり
と、五七五七七のリズムにのらない。
では
霊屋たか 夜道我れ行く大路たら ちたら待ちたら 黄金ちりちり
こちらだろうか。
こんなことを考え出すと、何日でも
あれこれと楽しめるのだが
ここではまあ、内容は、はしょってしまう。
多分、古典の先生がすでに、
黄金チリチリの歌意を解明なさっていることだろう。
私が引っかかったのは、
このような歌が本にあるからには、
昔(拾芥抄は鎌倉時代のものらしい)、夜道で死人に出会う体験が、
頻繁とまでいかなくても、
さほど珍しくはなかったのではないかという点だ。
『拾芥抄』を読んだ人々のうち何人かは
その後、夜道に転がった死体を見つけ、
「タマヤタカヨミチ…」と歌を唱えたのではないか。
もしも、ふらふらと夜道を歩いていて、
思いがけずに死人と遭遇したら、
私も高らかにこの歌を吟じようと、
バチ当たりなことを考えたりもするが、
さて、そうしたことが今の世にあるかどうか。
いやいや、それより、
最近めっきり忘れっぽくなったジジイが、
それまで、「黄金サラサラ」を憶えていられるか。
そのほうが問題だ。
これに関連してもう少し書きたいので、
夜道の死人のつづきは次回また。
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