球団創設に当たり、石本秀一監督が掘り当てた樋笠一夫は三十歳のとんでもない原石だった。一九五〇(昭和二十五)年、ルーキーながら21本塁打、72打点
とチーム二冠王。その輝きは、翌年移籍した巨人で「代打男」の代名詞を欲しいままにし、五六年に記録したプロ初の代打逆転満塁サヨナラ本塁打で頂点とな
る。
樋笠の広島入りの動機をひと言で語るなら「おとこ気」である。香川県善通寺市にある尽誠学園高で野球部監督をしていた樋笠の前に四九年十二月、
戦前金鯱で鳴らした投手の中山正嘉が石本監督の命を受けて現れた。「おれは三十二になるが、今度広島にできる球団に入団する。男は三十歳で勝負だ」。この
誘いに樋笠は心を決めた。続きは こちらで
本当に当時は色んな事があった。特に選手を集める事は、石本さんでさえ苦労した。
一年で広島を辞めてしまった。半年後巨人に復帰したのだが、流石に何で4番バッターがとなり、巨人からは、山川武範がトレードされる事となった。今も昔も巨人はお騒がせ者だ。その山川さんは峠を越してはいたが、カープでも主力を勤め、カープ初のサイクル安打を打つことにもなった。
それにしても、当時は気骨のある面白い人がいたものだ。今では、ありえない話だ。
樋笠一夫氏死去-87歳
プロ野球の元巨人外野手で、史上初の代打逆転サヨナラ満塁本塁打を記録した樋笠一夫氏が2007年6月17日に死去していたことが16日、分かった。87歳だった。(合掌)