Being on the Road ~僕たちは旅の中で生きている~

日常の中にも旅があり、旅の中にも日常がある。僕たちは、いつも旅の途上。

美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/下野探訪記 第2回

2021-08-19 20:25:58 | 旅行

2021年の記録

 

カトリック松が峰教会は、宇都宮らしい大谷石建築の美しい教会だ。

 

 

2回目の緊急事態宣言が解除となり久しぶりの帰宅。すでに季節は春になっていた。自宅のある栃木県内を散策した数日間の記録。

 

 

子供の頃、グリーン車は憧れだった。正直なところ、自分自身がグリーン車に乗れるようになるとは思わなかった。僕が出世して、金持ちになったのではなく、普通列車にもグリーン車が連結されるようになり、グリーン料金もリーズナブルになったというだけのことだ。日本社会そのものが、この半世紀で豊かになったということだ、異論はあるだろうが。

 

 

茨城県との県境の町・二宮(現在は真岡市に合併吸収されている)の道の駅。国道293号線沿いの桜並木と用水路沿いの菜の花が見られる。二宮の地名の由来は、薪を背負い本を読みながら歩く金治郎像の二宮尊徳である。

二宮尊徳は、江戸後期の1823年、小田原藩主大久保忠真より疲弊し荒れ果てた桜町(現在の二宮町物井、真岡市東郷の一部)の再興を命じられ、桜町に赴任し、以後26年間に渡り、桜町を拠点として周辺地域の復興に携わった。

 

 

宇都宮聖ヨハネ教会聖堂は、1933年(昭和8年)竣工の鉄筋コンクリート造平屋建、外壁全体に地場の宇都宮市大谷町産の大谷石を使用している。2012年(平成24年)、宇都宮市指定文化財となる。

 

 

以前にも紹介したカトリック松が峰教会は、1932年(昭和7年)竣工の大谷石建築としては現存最大級のロマネスク・リヴァイヴァル建築である。1998年(平成10年)に国の登録有形文化財に登録されている。各地の教会を巡礼して感じることは、カソリックの教会(聖堂、天主堂)は、荘厳な建築が多く感じる。数ではプロテスタント(日本聖公会、日本基督教団)が優り、こぢんまりした美しい教会も多い。もちろん、教会に貴賤はない、山中の掘っ立て小屋の教会でも、そこが信仰の場であれば、心をふるわせる“気”がある。

 

 

しもつけ風土記の丘の南方にある琵琶塚古墳の周囲は、菜の花畑になっている。

 

 

 (現在は鹿沼市に合併吸収された) 旧粟野町にある東高野山医王寺には誘われて行った。手入れが行き届き、視覚的に美しい寺院だと思う。

 

 

【メモ】

3月21日に緊急事態宣言が解除され、4月12日から新型コロナワクチン高齢者接種開始された。このままコロナも終息に向かえばといった希望は、呆気なく打ち砕かれる。緊急事態宣言が解除とともに東京都の新規コロナウィルス感染者は増加に転じ、4月25日には、3回目の緊急事態宣言が発令される。

 

 

旅は続く


美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/彩の国散策物語 第3回

2021-08-15 17:46:08 | 旅行

2021年の記録

 

隣接する深谷市のレンガを使用したゴシック様式の熊谷聖パウロ教会礼拝堂。

 

 

2月下旬になると東京都の新規感染者数も200~300人台/日となり、感染は収束に向かっているものの、依然として緊急事態宣言下。自主規制の「定期券区間+徒歩」を破っても良い理由はないが、破って散策に出た。県内であるとか、毎週のように出張していた群馬県に行く途中であるとか、といった類は、言い訳にならない。開き直って言うと、僕の放浪癖は、病的なレベルであることを認めざるを得なくなった。あらためて、世間様と自分自身に陳謝!

 

 

熊谷の教会巡礼が、唯一無二の目的であるものの熊谷情報を検索していると、熊谷からJRと分岐する秩父鉄道で蒸気機関車(イベント列車)が、緊急事態宣言下の今日も走っていることを知った。しかも、ちょうど教会に行く時間帯である。元々鉄道車両は、嫌いではない、と言う訳で、教会へ向かう途中の踏切でシャッターをきった。(一方でイベント列車などの見せものは好まない)

 

 

正直なところ、鉄道写真撮影ウン十年といった人の作品と比べるなどおこがましいレベル。僕の写真は、風景、建物、スナップ・・・そのいずれも“作品”ではなく、“記録”にすぎないと思っているので、蒸気機関車の写真も、単なる記録以上の何ものでもない。

 

蒸気機関車そのものは、自宅のある栃木県でも休祝日に運行している。(真岡鉄道、東武鉄道鬼怒川線) また、既述したように仕事でまめに行く高崎を起点に上越線、信越線でも運行している。目が慣れてしまったこともあるし、綺麗すぎて、残念ながら感激はない。

 

2015年に住んでいた中国遼寧省北票市の隣町(といってもオンボロバスで山を越えること2時間以上)の阜新市の炭鉱専用線の蒸気機関車が、僕が見た最後の完全実用蒸気機関車である。子供の頃に実用の蒸気機関車を見たことはあったが感激した。下の3枚は、その時の写真だが、PM2.5何のその、といった風情だ。阜新炭鉱で採炭された石炭は、写真の後方に霞む石炭火力発電所で使用される。地元経済を支える石炭産業に異を唱える人民がいる訳がないのだ。(といっても、この1年後、ディーゼル機関車に転換された。) 蛇足ながら、当時の僕が携わっていた仕事は、産業用集塵プラントの製造だった。

 

 

熊谷聖パウロ教会は、1919年(大正8年)竣工、平屋の単廊式会堂で、外壁の要所に尖頭アーチ窓とバットレスを配置する。南北壁に設けられた三連窓は、三位一体を表現している。屋根は、創建時の洋瓦から日本瓦に葺き替えられているが、1223年(大正12年)の関東大震災や第二次世界大戦終戦前夜、1945年(昭和20年)の熊谷空襲にも耐えて、当時の姿を残している。

立教大学礼拝堂および校舎や日本聖公会川越教会を手掛けた建築家ウィリアム・ウィルソンによる設計である。

2005年(平成17年、国の登録有形文化財に礼拝堂と門が登録された。

 

カトリック熊谷教会は、歴史的な建造物でないが、暖かさを感じる。

 

 

【メモ】

2月21日に栃木県足利市西宮町の山林で火災が発生した。近隣と言うほどではないが、自宅と同じ栃木県、避難地域に友人知人はいなかったものの他人事ではない。今までは、山林火災というと海外の話だった。鎮火まで23日間、被害額 約3200万円。たばこの不始末が原因と推定される。

 

2月28日に愛知、岐阜、大阪、京都、兵庫、福岡の6府県の緊急事態宣言が解除され、残る1都3県も3月21日に解除された。1回目の時と比較すると緊張感のない緊急事態宣言下であったものの、東京都の新規感染者数は、緊急事態宣言発令後に下がった。今になってふり返ると、人流抑止効果のあった最後の緊急事態宣言だったのかもしれない。

 

 

旅は続く


美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/東京散策倶楽部 第9回

2021-08-14 13:01:51 | 旅行

2021年の記録

 

聖オルバン教会は、質素な山小屋のような木造平屋で、軽井沢にでもありそうな建物である。

 

 

2度目の緊急事態宣言下の散策は、「定期券区間+徒歩」と自主規制をしていた。2月の教会巡礼の記録。

僕の定期区間は、京浜東北線蕨駅から東京駅。行動範囲は狭いようで広い、“徒歩”というのがくせ者で、僕は目的があれば、4、5キロ歩くのは苦にならない元競歩選手だ。(友人曰く、「競歩選手の『歩いて行ける』は、徒歩圏じゃない。プロボクサーの拳が凶器なのと同じだよ。」)

 

 

東京タワーの麓、飯倉交差点近くの高台に聖アンデレ教会と聖オルバン教会が、並んで建つ。どちらも英国国教会を祖とする日本聖公会の教会である。(丸の内にある僕の会社から約3キロ、僕の足で約30分。)

聖アンデレ教会は、1879年にイギリス海外福音伝道会の宣教師アレクサンダー・クロフト・ショー(避暑地としての軽井沢を広めた方です。) が、福沢諭吉の援助を受け、芝公園に最初の教会を建てたことに始まりました。当初、礼拝堂は英国人会衆とシェアしていましたが1952年、英国聖公会から「敷地内に英語礼拝のための聖堂を建てたい」という申し入れがあり、新たに建設された礼拝堂が聖オルバン教会である。

 

聖アンデレ教会の現在の建物は、1995年(平成7年)に建て替えたものである。

 

 

聖オルバン教会は、チェコ系アメリカ人アントニン・レイモンド(大正末期から日本で活躍し、戦時中は一旦アメリカに帰国していたが、戦後占領軍の一員として再来日)の設計により1956年(昭和31年)に竣工した。なお、聖オルバン教会は、礼拝のすべてを英語で行っている唯一の教会である。

 

 

カトリック浅草教会は、明治初期から明治後期にかけて東京6教会で最多の信徒数を誇った歴史のある教会である。現在の聖堂は、1987年(昭和62年)竣工。1992年(平成4年)に台東区の建築景観賞を受賞。聖堂にあるステンドグラス「誕生・十字架の死・復活」(ジャック・グリュベール工房1929年製作)は、旧聖堂から移設されたものである。(JR秋葉原駅から850メートル)

 

 

浅草聖ヨハネ教会は、1929年(昭和4年)起工、1955年(昭和30年) 改修のゴシック風意匠の鉄筋コンクリート造2階一部3階建て、日本聖公会(プロテスタント)の教会である。(カトリック浅草教会から1.2キロ、JR御徒町駅まで1.8キロ)

 

 

【メモ】

2月12日、東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長が、女性蔑視発言の責任を取って辞任した。

女性蔑視に限らず性差別は、許されるべきものではない。しかし、性差別は我々の意識の深層にまで浸透していることは、歴然とした事実である。何も、日本人に限ったことではなく、アメリカ人だって同じだ。高校生の時からアメリカに住み、アメリカ人と結婚した友人(女性)に聞いても、「ある、ある、ない訳ないじゃない」といった答えが返ってきた。確かにアメリカに女性大統領は存在しないし、バイデン新政権で副大統領に就任したカマラ・ハリスは、史上初の女性副大統領である。

じゃぁ、日本と欧米の違いって何か?

「性差別は存在する、しかし、それを容認するようなことを口外してはならない。」 

まさに「それを言っちゃお終いよ!」なのである。

もちろん、口外しなければ良いというものではないが、既述のように性差別は、男女の区別なく意識の深層にまで浸透している。性差別思考の呪縛からの開放の第一歩が、“口外タブー”だと僕は思う。

 

 

旅は続く


美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/東京散策倶楽部 第8回

2021-08-09 16:09:31 | 旅行

2021年の記録

 

東京ジャーミイは、“東洋一美しいモスク”と言われるだけに何度見ても美しいと思う。

 

 

緊急事態宣言下、東京メトロ千代田線沿線の用事に託けて、不道徳にも東京ジャーミイとニコライ堂をチョイ見してきたときの記録。

 

 

過去のブログでも紹介している東京ジャーミイは、日本最大のイスラムモスクであるとともにイスラム教やトルコの文化を紹介する「トルコ文化センター」が併設している。緊急事態宣言下、閉鎖されている宗教施設が多いが、感染対策(検温とアルコール消毒)を実施して、開館していた。今のところ、イスラームに改宗する意思はないが、イスラームのことを学びたい旨の話をすると、快く書籍を山ほど頂いた。(ステイホーム中に学習しなくては・・・)

 

東京復活大聖堂(ニコライ堂)も東京ジャーミイ同様2021年5月1日付のブログで紹介しているので、詳細は割愛するが、ロシア正教の流れをくむ日本ハリストス正教会の聖堂である。

※イイスス・ハリストス(イエス・キリストのギリシア語読み)

多くの宗教施設と同様、東京復活大聖堂の門は、堅く閉じられ、鉄格子の外からシャッターを切った。(下段は、ニコライ堂伝道会室)

 

 

【メモ】

2021年1月8日に第2回緊急事態宣言発令される。3月21日に全国で解除されるまで、2ヶ月以上におよぶ緊急事態が続く。この頃から“緊急”の緊迫感が徐々に薄れ始める。

また、北陸地方の豪雪により高速道路上で数百台のクルマが24時間以上に及ぶ立ち往生となり自衛隊に災害派遣の要請が入った。

 

 

旅は続く

 


美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/東京散策倶楽部 第7回

2021-08-03 22:14:11 | 旅行

2020年の記録

 

外壁をタイル貼りにリニューアルした西片町教会。

 

 

 

 

コロナ禍の2020年も最後の日を迎えた。11月に入りジリジリと増え続けた東京都の日ごとの新規感染者数は、12月31日に1353人を数え、千人を突破した。2度目の緊急事態宣言が発令されるのは、年が明けた1月8日のことだが、僕は帰宅を自粛した。海外で年越しをしたことは何度もあるが、忘年会もなく、日本にいながらのひとり年越しは、ちょっと寂しい。

 

ほんとうは、TVやネットを見て、自室に引きこもるのが、“正しい日本国民”なのだろうが、フラフラと自転車で街に出てしまった。自転車という選択は、対コロナ感染対策としては、まぁまぁなのかもしれないが、交通事故リスクを考えると、褒められた話ではない。

 

 

日本基督教団根津教会は、1919年(大正8年)に「本郷福音教会」として竣工された。木造平屋建て切妻造で、外壁は下見板張りとし、切妻の妻面に窓を開けた尖頭アーチのデザインとなっている。2001年(平成13年)に国の登録有形文化財に登録されている。

 

 

西片町教会も根津教会同様の日本基督教団の教会である。1935年(昭和10年)竣工のゴシック様式の木造2階建てだが、タイル貼りになって木造の風情は感じられない。レトロ建築マニアには、不評のようだが、年月の経過とともに味がでるものと、僕は長い目で見たいと思う。

 

 

日本基督教団本郷中央教会は、建築物よりも内部に設置されている日本最初のパイプオルガンの方が有名のようだが、1929年(昭和4年)竣工の鉄筋コンクリート造3階建塔屋付会堂も国の登録有形文化財に指定されている。

 

 

日本基督教団弓町本郷教会は、1927年(昭和2年)竣工の教会堂である。褐色のレンガを貼ったような外壁に縦長の半円アーチ窓が整然と並ぶ。しかし、レンガに見えるものはコンクリートブロックで、昭和初期に数多く建てられた中村式鉄筋コンクリートブロック、いわゆる“鎮式ブロック”である。(設計:中村鎮)

蛇足ながら、日本基督教団の教会が4つ続いた。文京区南東部地域に日本基督教団(プロテスチント)が、根を張っていたのだろうか。

 

 

東京諸聖徒教会礼拝堂は、1931年(昭和6年)竣工の鉄筋コンクリート造建築である。(設計は米国人建築家のバーガミニ、施工は清水組) 東京空襲時に屋根部分を焼失していますが、戦後復興された。コンクリートの量感のある外観が特徴的で、2004年(平成16年)に国の登録有形文化財に指定された。

 

 

日本基督教団小石川明星教会は、偶然通りかかって見つけた教会で、歴史的な建築物ではないが、これも神の思し召しか。

 

 

【メモ】

冒頭に記述したように東京の新規感染者数は、1000人を突破した。2020年最後の記録となったが、どうにか周回遅れで執筆していた弊ブログも次回から2021年の記録となる。何とか、暑い間に“現在”にたどり着ければと思う。

 

 

旅は続く