
9月1日は「防災の日」。
関東にいるとどうしても、被災地の人たちのことが実感しにくい環境にあるのかなと思ってしまいます。
なるべく、忘れないようにと心掛け、ネットや社会の動きについては気にかけるようにしているけど、わたしは、その地を体験したことがありません。
東北の震災から8年。
あれほど大きなものでなくても、ここ数年、たくさんの地域で河川の増水や氾濫、大雨・土砂崩れによる被害がつづいて、いまもなお、被災地と呼ばれるところで生活を余儀なくされている人がいるという現実。
実は、過去に「建設コンサル」というちょっとあまり世に知られていない業種の会社で仕事をしていたときがあります。
しかも、この水害や震災にとても密着した部署ではたらいていたんです。
その当時は、資料を作成すること、そのコンサルに必要なデータを集めること、そこからグラフをつくること、図面とにらめっこや過去の仕事をまとめることなど、内容のことはよくわからないことが多かったのですが、離れてから、どこかで何かがあると「また忙しくなるのかな」と、ふと思い出したりしたものです。
そして、これは思い出したくなかったことかもしれません。
わたしがよく資料を作成してたものの中に、東北の防災システムや防災倉庫などの設置に関わるものに携わっていたんです。
その会社から独立した人の仕事を手伝ってたときは、この関東にある大きな川の「もしものとき」のシミュレーションをして、そのベースとなる資料作成をしていました。
こうゆうことをしていても、自然の猛威には、敵わないときがあります。
それが「想定外」というもので、けど、きっと完ぺきに守れるものなんて、つくれないんだとも思います。
こんなわたしですが、自宅に防災グッズがありません。
しかし、国は「もしものとき」に3日間生きていられるように、いろんなところに備えを用意しててくれてることは知っているんです。
このように「防災の日」という日に、何をしたらいいのか?
たくさんの困っている人を横目に、けど、じぶんの生活で精いっぱいのとき、何もできないことに悔やむことなのか?
よくわからなくなるけど、自分が選んだ道はまったく無関係な職種で、ただ、友人や尊敬する上司が、そうゆう仕事をしていることに関わっているということは、ちょっと誇らしく感じてしまうこともあります。
直接何かの助けになるようなことは、わたしにはできないけど、この「もしものとき」があったとき、真っ先に仕事がなくなる職種なんだけど、生きていく先の「希望」となるものだから、わたしにとっては、もう一度、初心に戻る日になるのかもしれない。なんとなく、今日のことについて書き始めたんだけど、思いがけない着地になりました。