№24 【断トツに面白いダンスポ】
■アジア主義の生誕=美しいアジアの私たち 宋教仁の日記
(ダンスポ新聞社 2013-06-18 08:30:54 )
美しいアジアの私たち「序詞」
すべてに縛られて
なすこともなく過ごした青春よ、
心がせんさいなばっかりに
おれは生活を失ってしまった。
ああ! 時よ来い、
すべての心の燃える時よ。
(アルチュール・ランボー 「最も高い塔の歌」 高橋彦明訳)
【美しいアジアの私たち1】 全世界のパトリオットよ 日本原郷(沖縄)から届く歌を聴け!
以下に掲げるのは、辛亥革命に於いて孫文と並んで大きな役割を果たした革命家宋教仁[1882年4月5日―1913年3月22日(30歳)]の1906年12月2日の日記です。翻訳したのは政治思想史家の橋川文三氏。橋川氏は中国文学者竹内好に中国語を学び、下記の資料も自身で翻訳した上で、「北一輝と宋教仁」(1973年)という論文の中に挿入した。
アジア主義は空虚な理想ではない。アジアが獲得すべき唯一の生産的で価値ある思想である。それはこの資料を見れば分かるはず。クドクド余計な説明は要らない。さっそく、集中し気合を込めて読んでみて頂きたい。
アジア主義の理念が生誕し、美しいアジアの私たちという概念が実質を獲得した記念すべきその日を、宋教仁はヴィヴィッドに描き出している。我々は皆この日に戻って再出発すべきなのだ。
日本人だけでなく、在日の人も、中国人も、トルコの方もみんな読んでほしい。左翼も右翼も読むべきだ。アジア主義以外にアジアの未来はない! 美しいアジアだけが信じるに価する唯一の思想だ。ほかには何もない!
アジア主義の生誕、美しいアジアの到来をここに告げよう。
「〔明治三十九年〕十二月二日、晴、九時宮崎氏〔滔天〕とともに民報一周年記念大会〔於神田錦旗館〕に赴く。
すでに開会してかなりたったころで、門前には千人以上が立っており、入ることもできない。脇の窓からすべりこんで入り、会場の横の方から見ると、万場すでに立錐の余地もなく、中に入ろうとしてもとてもできそうにない。
それでまた外へ出て暫くぶらぶらしていたが、いいことを思いついたので宮崎氏を引っぱって正面から押しわけて入ることにした。
自分は前に立って大声をあげ〈 特別招待の来賓が見えました。どいて下さい! 邪魔しないで下さい! 〉とどなると、みんな身体をよじって路をあけてくれたのでやっと入場できたが、演壇の後に来たころにははきものがなくなっていた。
ちょうど孫逸仙氏が社会主義の演説をしていたが、拍手の音が万雷のようで細かいところは聞き取れなかった。孫逸山はさらに将来の憲法はたんに三権分立をまねすべきではなく、孝試験、観察権を加え、みなこれらを独立させて五権分立とするのがよい云々と演説した。
孫逸仙の演説が終ると章炳燐がそれにつづき、その次は日本人来賓の池学吉氏、北輝次郎氏、萱野長知氏、宮崎氏らが順次演説した。自分は通訳を一回だけやり、あとはみな田梓琴と山西某君が通訳をした。
それがおわると、さらに会員の演説者が数人あり、拍手と万歳の声が入りまじってほとんどいたたまれないほどのさわぎだった。大別して誰かの提案で『民報』経費のカンパを言い出したところ、全員賛成し、すぐに金を出すもの、名簿に署名するもの何百人ともしれなかった。
暫くしてようやく散開となった。散開のとき『民報臨時増刊号』の引替券を一枚ずつ渡したが、合計すると五千余枚であり、そのほか券を渡さなかったもの、場外で入場できなかったものを合わせると恐らく一万人はいたであろう。
かってなかった盛会であった。人々の趨向がこれでもわかるというものである・・・」
橋川文三はこの日記の引用のすぐ後に付け加えて云う。
――-この『民報』一周年記念大会は、中国革命史上でも記念さるべき出来事であったが、北一輝の伝記上のことがらとしていえば、彼が恐らく生まれて初めての公開演説を行った機会としても記憶される。(略)当時二十四歳の青年「社会主義者」であった北と中国革命との因縁はこのあたりから始まることになる。当時、宋教仁は二十五歳であった。(橋川文三「北一輝と宋教仁」)
北一輝 於:上海 暗殺された宗教仁の葬儀を取り仕切る
北一輝の初めての公開演説の内容はどのようなものであったか。引用によって説明しよう。「かれは『民報』の主張する君主専制政体の打倒に期待をよせ、「世界革命」をねがうがゆえに中国の革命にのぞみを託する、とのべて聴衆をわかせた」のである。(狭間直樹著『中国社会主義の黎明』岩波新書10頁)。
アジアは美しい。アジアのもっとも美しい日が、このように宋教仁によって記録され、橋川文三によって日本語に翻訳された。ここに出現したのはまばゆいばかりに美しい言葉のつらなりである。中国語も日本語も、アジア主義の理念の前では、その異なる存立根拠を解消されてしまっている。
いや、むずかしいことは言うまい。議論は無用だ。美しい日本の言葉、いやアジアの美しい言霊がここに在る。この言霊こそ「アジア主義」なのだ。
上に述べたことがよく分からなかった人も、もしこの歌を聴いて何かを感じたならば、その人は「アジア主義」を完璧に理解したのだし、「美しいアジアの私たち」の同胞として仲間入りを果たしたといえるのだ。 (文責:木川 喬)
【美しいアジアの私たち2】 山口百恵 夏ひらく青春
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