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好日27 戦後最大の思想家は誰か

2008年11月15日 03時05分30秒 | 好日21~45

 私の選んだ戦後思想家ベスト3とその最高傑作をここに提示して、その撰の妥当性に関する皆様の判断を仰ぎたい。

★一位 橋川文三 『昭和思想集2』(近代日本思想大系36 筑摩書房刊)

 橋川が亡くなったとき、吉本隆明は弔辞の中で橋川文三のことを次のように評している。「わたしはいまもじぶんを、おおきな否定とのり超えの途上に歩むものとかんがえています。こういうわたしの眼からは、橋川さんは、すでに歴史の方法をわがものとした完成の人と映り、羨ましさに堪えません」(『信の構造③全天皇制・宗教論集成』より) 

 もし橋川文三が、「歴史の方法をわがものとした完成の人」であるとするならば、そのことを証明する書物は、どれであろうか。それは『日本浪曼派批判序説』ではない。『批判序説』は橋川文三の出発点ではあっても、到達点ではない。

 わたしの考えによれば、橋川文三の到達点を象徴する書物は、昭和の思想的文章を橋川が撰した『昭和思想集2』(筑摩書房刊)である。橋川文三は怖ろしいまでの気迫を込めて、後世に残す形見として、これらの文章を撰んでいる。また橋川文三の解説文は、それ自身橋川の最高傑作でもある。

 藤原定家の最高傑作は、定家のあれこれの歌集ではなく、和歌の撰集である『小倉百人一首』であると保田与重郎がどこかで述べている。『小倉百人一首』はカルタになり、日本の詩歌の妙なる調べをこの国の家庭の隅々にまでもたらした。それが定家の最大の功績であると保田は述べた。同じような意味で、橋川の最高傑作は『昭和思想集2』である。

 橋川文三が戦後最大の思想家であることの証明おわり。

★二位 吉本隆明 『吉本隆明五十度の講演』紀伊国屋店刊

 吉本隆明の本質を、一言で述べるならば、彼は沈黙の意味を掘り下げていった思想家である。

「じぶんの組織とおまえの組織とは話が通じない、きみとわたしとは話が通じないということが、いわば、結合の唯一の契機であるようにおもわれます。いわば、この話が通じない部分にこそ、現在の体制からおいつめられた個人の、また集団の本音が、本質が存在し、またヴィジョンとして浮かびあがってくるからであります」(『吉本隆明全著作集 14』)

 吉本隆明がこのヴィジョンを提示したのは、昭和三十六年十一月十九日の講演においてであった。そして、まったく同じヴィジョンを、平成二十年七月の「芸術言語論」と題する講演でも述べている。曰く、「沈黙は自己表出であり、言葉は指示表出である。より重要なのは沈黙であり、言葉はおまけでしかない」。吉本隆明は同じ井戸をたゆまず五十年間掘り続けていたのである。

★三位 小林秀雄 「信ずることと考えること」(新潮CD)

 講演の名手小林にしては珍しいまでに感情をあらわにしている。その声は猛り狂っている。「信ずることと考えること」は小林秀雄の一番出来の悪い講演である。にも関わらず、この講演を活字に起こした『信ずることと知ること』は、小林の最高傑作である。最低の出来の講演が、なぜ最高の文学作品を生むのか。これが小林秀雄の晩年最大の問題性であり謎である。だが、私はその謎を既に解いた。



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3 コメント

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3人挙げると (和田)
2010-08-20 15:05:36
おじゃまします。
ダンボールさんの年齢がよくわからないのですが、たぶん私のほうが年上でしょう。
1 丸山真男
秀才だと思います。 大上段に論理を振り回すのではなく、分析しにくい事項について機能的な視角から分析している。マトリックスを使用したりしているのもレヴィ・ストロースの構造主義を想起させる。個人的に丸山教授同様、フルトヴエングラーのベートーベン第5交響曲にほれこんでいることも共鳴の理由かもかもしれません。 氏については多く語られているので今付け加えることは特にありません。

2 守本順一郎
ゼミ生ではないが、授業はよく出ていた。東大の松丸道雄教授が甲骨文字研究(多子族の解釈)から殷代社会の編成原理を複数部族の血縁擬制としていたことを知ってしばらく後、守本氏がアジア的社会を五倫などの血縁序列と血縁擬制で説明していることを知る。現在、氏の門下生で学統を継いでいる学者は、岩間一雄氏しか見あたらず、竜虎といわれた雀部氏は、ニーチェに傾倒、西部の弟子、佐伯啓思に近い存在となり、孫弟子に当たる川田稔氏は柳田研究から前近代的な氏神信仰に暖かい眼差しを送るに至った。  むしろ論敵であったはずの丸山真男が最も守本順一郎を理解していた。 私は雀部・守本氏からウェーバーを学んだが、守本氏の基盤は大塚久夫の共同体理論とマックス・ウェーバーで補強したマルクス主義であり、政治思想を時代性で規定される全体と個の関係(媒介性)から敷衍するものであった。
私はそこから、自然・全体・個の関係から神道や皇道派の世界観の根は前近代的な血縁擬制であり、君臣一体・親子一体・夫婦一体・内鮮一体などの国体的標語の淵源でもあり、自我を処刑(消滅)させ体で覚えさせる錬成にも架橋する日本主義の中心だと考えました。 しかし、守本氏の体系は普遍主義的であるに止まらず、自己完結的なところがあり、隙間を埋め発展させるオプションに欠けていたように思います。 氏はカメラが好きで鳥瞰的かつ直線的理論を構築したけれども、支持者や世間的認知度は実績に比べて少なく、非常に低い。氏は近代医学を信じ、多量の薬を飲んでいたが成人病で早世することになる。 やはり、バランスが悪いか、補完すべきオプションに欠けていたというべきか。

3 橋川文三
大学に行って最初に読んだ本が氏の「超国家主義」。閉塞的な父母の血縁重視により引きこもり状態であった私は、朝日平吾・景山正治・磯部浅一などは畢竟、天皇を大和民族の宗家とする血縁イデオロギーに染まった輩で米軍の火炎放射器に焼かれて死ねばよいと考えていた。 だから、橋川氏の朝日平吾「死の叫び声」中「吾人は人間たると共に真正の日本人たるを望む」は「吾人は日本人たると共に真正の人間たるを望む」でも良かった、むしろその意味であるとの氏の記述が引っかかった。 「死の叫び声」では、その後「真正の日本人」について説明が続き、それは一君万民、私に言わせれば血縁擬制で薄められた血縁論理に相違ないと思われた。   最近、図書館で橋川氏の論考を読み返すと橋川氏はある人物の書いた文書を論理のみで理解するのではなく、そこに伏在する情動から建前の論理の影にある本音のようなものを探ろうとしていることがわかった。 これまで氏は日本浪漫派の出身だから皇道派的な論理を内在的に理解するというより結局前近代的なものに暖かい眼差しを注いでいるに過ぎないのではないかと疑っていた。 しかし、氏が葦津珍彦との天皇論争で「「国体」の自然化を戒める必要がある」などと論じていることを知りもっと氏の論理を知る必要があると考えた。 最近の保守の論調にはユングばりに「集合的無意識は遺伝する」と考え、歴史・伝統・文化の固定超越性を主張するものがある。
サルトルに反対の論陣を張ったとして保守派から持ち上げられるレヴィ・ストロースは著書で明確にユングの集合的無意識の遺伝論を非科学的と論難している。  橋川氏はユングではないと思う。 情動の底に潜む時代に流されつつも、もがく同時代人の実態と潜在意識を活写したかったのだろう。 一般人受けするアプローチだと思うが、氏もそれほど一般に流布していない。

さて、近代化に遅れた東アジアでは、被害者意識にまみれたナショナリズムなどが今後も各国が交流する障害になることが考えられる。  韓国では、橋川流の分析が歓迎されるかもしれない。 ダンボールさんの柳田は反近代との論、よくわかります。
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7年後の応答 (ダンボール)
2017-10-05 07:20:44
和田氏のコメントは七年前にも読んでいたが、問題提起が深く、どう答えようか考えている内に、応答の機会を逸してしまった。本日読み返したの良き機会と捉え、いささかの応答を試みたい。

まず和田氏は深い教養を保持せられている。その教養と見識からして、橋川の論調や思想について疑問を持っておられた。しかし、橋川文三を読み返してみて、もう少し橋川評価は慎重でなければならないと気付かれた。

つまり和田氏は、橋川文三に関して、否定的な評価から、肯定的な評価の方向へ、一歩踏み込まれた訳である。その評価変化の方向性はこの一文に込められている。

「最近、図書館で橋川氏の論考を読み返すと橋川氏はある人物の書いた文書を論理のみで理解するのではなく、そこに伏在する情動から建前の論理の影にある本音のようなものを探ろうとしていることがわかった」

ここに示された橋川文三理解は私には納得できるものである。まったく同感である。7年前の和田氏の橋川理解はその後どうなっているのか。切に知りたいと思う今日この頃である。

         2017年10月5日 ダンボール

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7年後の私の橋川理解 (ダンボール)
2017-10-05 07:52:45
上に、「7年前の和田氏の橋川理解はその後どうなっているのか。切に知りたい」と書いたけれども、7年後の私(ダンボール)の橋川理解はどうなっているのか知りたいと思う奇特な人ももしかするといるかもしれない。

そのような人の為に、つい最近橋川文三ゼミの同期生と交わしたCメール(ドコモだとショートメールと言うのかな?)での応答をご参考までに再録しておきます。

<2017/10/2>
友人:日本の政界が俄かに混迷をきたしています。保守の小池が民進の合併に際してリベラルを排除すると言う。となると中島岳志の唱えるリベラル保守はどうなる。

<2017/10/3>
私:橋川さんはリベラルという立場も保守という立場もとっていませんね。独学者であると述べたのみ。中島岳志の自称リベラル保守という政治的なスタンスは底の浅い思想ではないかと疑問に思っています。

<2017/10/4>
友人:中島岳志は、独学者としての橋川さんの仕事を世に知らしめただけで良しと思えます。残した課題は、私たちそれぞれが考えて行くほかありえません。

<2017/10/4>
私:おっしゃる通りです。独学の精神が深まることにより思想性の浅さが克服されていくのでしょう。


これだけの短い応答ですが、現時点での私と橋川ゼミ同期の友人の「橋川理解」の程を良く示していると思いますので、再録をさせて頂くことにしました。

コメントを寄せて下さった和田氏、ならびに橋川文三ゼミ同期の友人に、感謝申し上げます。
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