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【霊告日記】第二十回 連句入門   Fame Music Video

2014年11月14日 10時00分00秒 | 連句関連

【霊告日記】第二十回  連句入門  Fame Music Video
     
まえがき

私のブログではこれまで数多くの連句論を掲載してきたが、それらの連句論を読まれた方の中には、「連句はじっさいにはどういう風に作られているのだろうか?」という疑問を持たれた人もいるかもしれない。そこで今回は連句入門の記事を特集した。

第一部は私が体験した文京区関口芭蕉庵に於ける最初の連句会の模様である。連句の基本中の基本は<付け>という行為であり、連句の奥義もまたこの<付け>という行為なのである。前句を読んで次の句を付ける。この<付け>という行為についての解説である。

         東京文京区:関口芭蕉庵

第二部は連句に関していささかの経験を積んだ後に母校明治大学の現役学生の後輩たちと一緒に連句を巻いた。その連句作品を基に連句の作り方を解説したドキュメントである。いわば「連句実作の実況中継」としゃれてみた。

第三部は現代連句の歴史では画期的イベントとなった「座・連句」の紹介である。このイベントによって若い世代から大量の連句入門者が出た。

WEBでは文章は通常横書きになってしまう。連句は縦書きが原則である。散文は横書きでもそれなりに読めてしまうが文学作品とりわけ詩に関してはやはり縦書きでないと情趣が極端に落ちてしまうと感じるのは私だけだろうか。縦書きで連句を二巻公開できる運びとなったのは嬉しいことだ

さて以下の三つの文章を読んだあなたはすでに連句の"通"と言っても過言ではない。

第一部 私の体験した最初の連句会

 風信子の会の村野夏生さんと別所真紀子さんに招いて頂いて、私が初めて連句の座に連なったのは一九八五年の十二月でした。事前に『風信子』を送ってもらいそれを読んではいましたが、連句については私は何も知りませんでした。

 オモテでは事情もよく分からず様子を見ていただけですが、ウラにはいり、四句めの「ゴロンと生きてプツンと死んで」という滝田遊耳さんの前句に、私の出した最初の句は「花を餌に人魚釣る手に波しぶき」だったのです。村野夏生さんは「ウーン、波しぶきが余計だな。短詩では言葉をもっと惜しんで使った方がいい」とおっしゃて、私も「なるほど」」と思いました。「でも、いい句だから、どこかで使いましょうね」と別所さん。その日の捌きは別所真紀子さんが担当でした。結局、「花を餌にして人魚釣るなり」と短句になおしていただいて、ウラの8句目に、初めて私の句が入りました。前句は「ひょっとこの血を吐く酔もありぬべし」で、村野さんの句。

  ひょっとこの血を吐く酔もありぬべし   夏生
   花を餌にして人魚釣るなり         秀夫

 さて、ここからが実は、最初の付句について、というテーマの始まりなのです。連句は付けがたいせつである、このあたりまえのことを誰もが連句初心者に説明しようとします。しかし、私の考えでは、連句初心者は良い付けとは何であるかをいくら説明されても絶対に理解しません。そのように考える覚悟が連句人には、とりわけ実作者たる連句人には、この際、絶対に必要でしょう。初心者に最初から良い付けを期待するのは無理であって、初心者が出した句に良い付句を付けてあげて、そのことによって連句における「付け」ということの意義を悟らせるということが、唯一できるのではないかと思うのです。

 「さあ、いい句ですから、しっかり付けてくださいよ」と、別所さんがおっしゃって、風信子の会の連衆はその瞬間から、熟考の態勢に入りました。シーンとした中で、私の句「花を餌にして人魚釣るなり」への付句が考えられているのだなと思うと、なにしろ初めてのことですので感動的な思いに満たされたものです。その瞬間の記憶は、いまでもはっきりと残っています。私にしてみればこの句にいったいどんな句がつくのか、また付き得るのかは見当もつかなかったというのが、その時の実情でした。というより、そもそも、「付ける」ということがどんな行為であるかということはまったくわかっていなかったのです。

 別所さんから「さあ、付きましたよ」と見せられたのが、次の川野寥艸(りょうそう)さんの句だったのです。私は、実に意外な気がして、その鮮やかさに、本当に驚いてしまいました。

   花を餌にして人魚釣るなり      秀夫
  春うらら航空母艦坐礁する       寥艸

 こちらでは花を餌にして人魚を釣っている、ふと視線を移すと、巨大な航空母艦が坐礁している。空には飛行機。その機影に海中では人魚が泳ぐ。そして、それらすべてをひっくるめて「春うらら」である。季語が実に活きて使われている。どう考えても自分には出てこない発想だったので、寥艸さんに「すごいですね。驚きました」というと、寥艸さんは「いや、まあ仕方がない」とそれほどのものではないという調子の返答で、それには二度またビックリ。

 寥艸さん御自身はこの付け句をご自分の優れた付け句のなかには入れておられないかもしれませんが、私は優れた付け句としてまずこの付け合いを挙げたいとおもいます。「なるほど付けるってこういうことなのか。連句ってなかなか面白いなあ」と、連句初心者に、思わせたからでであって、連句初心者に対して誰もそれ以上のことができる筈はありません。
 


第二部 連
句実作の実況中継 半歌仙「喫茶さぼうる」の巻


   
      連句の会が開かれた神田神保町の喫茶「さぼうる」


  ←クリックすると拡大

  

 

 

 
第三部 画期的イベント「座・連句」


  ←表紙と中表紙

  ←イベントの解説

  ←会場で巻いた連句


       ※参考※ 【連句】連句に関する小作品集①~⑤

★フェイム(名声)に憧れる気持ちを失ってはならない。心はいつもまっさらの新人のままに!!!

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【連句】連句に関する小作品集①~⑤

2012年04月23日 10時06分00秒 | 連句関連

私は現在は連句の実作の場から離れていますが、あしかけ十年間に約百回ほど連句の座に連なった経験があります。そこから私が得た文学やコミュニケーションに関する知識については多大なものがあります。

以下は私の連句に関するエッセーの集成です。これが連句に関しての書き物のすべてではないですが、現代連句の本質に関する私の考えのエッセンスをまとめてあります。

 連句に関する小作品集①~⑤⇒ 一括表示

=== 連句に関する小作品集①~⑤    目次 ======

半歌仙「卵50個」の巻&留書
アンドロメダへの招待状
連句的精神とは何か?
連句の周辺

連句ルネッサンス計画

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※参考「連句・わが初学時代」⇒http://blog.goo.ne.jp/dan5dan5/e/4b914d513b958d46a3013f22ff19c0b8


連句・わが初学時代

2008年09月16日 17時14分55秒 | 連句関連

         <1>

 私が連句を始めるきっかけとなったのは、長谷川如是閑賞の授賞式で別所真紀さんと出会ったことだった。授賞式の懇談会で、「この後で、友人が授賞を祝ってくれることになっているので、よかったら一緒に行きませんか」と誘って頂いた。授賞式の会場だった新宿の京王プラザホテルからタクシーに乗って新宿歌舞伎町のバー・ナルシスに着くと、そこに待っていたのが当時風信子の会の代表者の村野夏生さんだった。

 村野さんからは、連句をやっているという言い方ではなく、俳諧の連歌をやっていますという自己紹介を受けたように記憶している。俳諧の連歌と言われても何のことかよく分からず、(今でもよく分かっていないけれども、それはまた別の話)、最初は俳諧=俳句と勘違いしていた。話の途中で、どうやら俳句のことではなさそうだと、やっと気づいた有様であった。

 バー・ナルシスでの、別所真紀さん・村野夏生さんとのその日の語らいは、今も大切な記憶として胸に残っている。

 後日、お二人からは別々に風信子の会への招待状が届いた。その際に別所さんからは会の同人誌『風信子』を送って頂いた。掲載されている何巻かの連句作品を読んでみて、「これなら自分にも作れる」と思った。これが私が連句に出会った瞬間である。昭和六十年十一月のある日のことであった。


           <2>

 私が後にインターネットを始めた際に「ダンボール」というハンドルを名乗ったのは、私が連句で初めて捌きをした作品が「ダンボールの唄」という表題であったからだ。ここにその懐かしい作品を採録しておく。初捌きのこの作品は愛媛県開催の国民文化祭の優秀作品として表彰を受けた。

■半歌仙『ダンボールの唄』の巻  川端秀夫捌

  秋の風百畳敷を吹き通し        村野夏生
   ゆらめく月に挙げる盃        神山みち
  曼珠沙華払ひてゆけば海明けて     川野蓼艸
   裏声で歌へダンボールの唄      黒田多津
  俎のすっぽんの甲羅やはらかき     村田実早
   忘れ草など食べて仮眠す         生
  コンタクトプール開きに外し見て      津
   伝言ダイヤル暗証のうそ       川端秀夫
  刑務所に赤きセーター着て少女     小倉流花
   淋しき父とミサの鐘聞く         早
  月負いて電信柱散歩する          ち
   魚影のごとき霧の走者よ          艸
  秋渇き昼ホコテンの受験生         夫
   日本人なきパリの禅寺          花
  うららかにサーカスの熊総立ちに      艸
   侏儒の毒舌割れる風船          早
  我行けば花の重心移るなり         夫
   アインシュタイン髭ひねる春      執筆

    首尾 1989年9月吉日
    於  東京・文京区・関口芭蕉庵
     

           <3>

 連句から私が学んだことは何であったか。それはもちろん一言では言えないのであるけれども、連句とはまず〈出会い〉と〈別れ〉が本質的な契機として含まれた芸術形式であるということだ。

〈出会い〉が連句の本質であることは割とイメージしやすい。しかし〈別れ〉もまた〈出会い〉と同じくらいに、あるいはそれ以上に連句の本質を形作っているのではないかと私は秘かに感じている。〈出会い〉と〈別れ〉という人生の重大事を、連句はその詩形式の中で何度も繰り返す。だからこそ連句は人生に相渉る芸術として生き残ることができたのではあるまいか。

 別れは「一期一会」のような美しいイメージで表現される場合もあるが、「決別」という辛い別れだってある。「一期一会」と「決別」の間にも、無数の違ったニュアンスを持つ別れがあるだろう。

 私は村野夏生さんとは「決別」という形で別れた。そしてその「決別」は、世俗的な事情が介在したのではなく、連句という芸術形式がもたらしたものと私は理解している。連句の神様がある人に「決別」を命じることはよくあることである。(事実、芭蕉の場合には何度もそういうことが起こった)。

 連句に関わる人は、いつも新しい言葉との出会いを望んでいる。しかし、厳しい別れの体験こそが新しい言葉との出会いをもたらす事情には、存外、人は関心が薄いように思われる。

 村野夏生さんとの「決別」によって、連句・わが初学時代は終わった。


※参考※⇒ 短編小説『連句への手紙』


詩人としての橋川文三・番外編

2007年07月23日 05時17分20秒 | 連句関連

私も所属している連句同人誌『れぎおん』(編集長:前田圭衛子氏)から、
【私の三冊】を紹介するようにというアンケート用紙が届いた。

(1)影響を受けた連句に関する書名・出版社。
(2)最近読んで感銘を受けた書物・出版社・紹介文(50字以内)
(3)あなたの人生を変えた書物・出版社・紹介文(50字以内)

アンケートの内容は上の通り。以下は私の回答。

☆☆☆ 【私の三冊】  by ダンボール ☆☆☆

(1)影響を受けた連句に関する書物
●書名  芦丈翁俳諧聞書
●出版元 編集・発行 東明雅

(2)最近読んで感銘を受けた書物
●ダンテ『神曲』講義
●みすず書房
●今道友信氏によるダンテ『神曲』連続講義をまとめた書物。
 講義の内容はインターネット上でも聴講できる。

(3)あなたの人生を変えた書物
●日本浪曼派批判序説
●未来社
●三島由紀夫が「社会科学の分野で文体を持つ唯一の人」
 と評した橋川文三著。ダンテ『神曲』に匹敵する名著。

・回答は以上の通り。「詩人としての橋川文三」というエッセーと密接に関連する内容になっていると思うので、補足を少し。

・今道友信氏のダンテ『神曲』連続講義のサイトはこちら。
→ http://www.angel-zaidan.org/divinacommedia/index.htm

・橋川文三はしばしば文学部の教授ではなかったかと間違われること・勘違いされることがあった。これはしかるべき深い原因・背景があることであって、そのことを外さず、「社会科学の分野で文体を持つ唯一の人」と橋川を一語で評した三島の慧眼はさすが。これ以上簡明で適切な橋川評は考えられない。

・書物に関して「行間を読め」とはよく言われることだ。しかし『日本浪曼派批判序説』に関しては、行間を読むだだけではまだ足りない。行間を束ねて、さらに下に降りていく。するとそこにはまだ深い世界、噴出するマグマのようなもの、乱反射する光のうねりのようなものが埋蔵されている。何か未知の宝が潜んでいる。

・だからこそ、ダンテと橋川文三はどこか遠い世界で本質的に出会うのではないかというヴィジョンを、私は提出したかった。

・「詩人としての橋川文三」という規定は間違ってはいないと私は確信している。