<1>
私が連句を始めるきっかけとなったのは、長谷川如是閑賞の授賞式で別所真紀さんと出会ったことだった。授賞式の懇談会で、「この後で、友人が授賞を祝ってくれることになっているので、よかったら一緒に行きませんか」と誘って頂いた。授賞式の会場だった新宿の京王プラザホテルからタクシーに乗って新宿歌舞伎町のバー・ナルシスに着くと、そこに待っていたのが当時風信子の会の代表者の村野夏生さんだった。
村野さんからは、連句をやっているという言い方ではなく、俳諧の連歌をやっていますという自己紹介を受けたように記憶している。俳諧の連歌と言われても何のことかよく分からず、(今でもよく分かっていないけれども、それはまた別の話)、最初は俳諧=俳句と勘違いしていた。話の途中で、どうやら俳句のことではなさそうだと、やっと気づいた有様であった。
バー・ナルシスでの、別所真紀さん・村野夏生さんとのその日の語らいは、今も大切な記憶として胸に残っている。
後日、お二人からは別々に風信子の会への招待状が届いた。その際に別所さんからは会の同人誌『風信子』を送って頂いた。掲載されている何巻かの連句作品を読んでみて、「これなら自分にも作れる」と思った。これが私が連句に出会った瞬間である。昭和六十年十一月のある日のことであった。
<2>
私が後にインターネットを始めた際に「ダンボール」というハンドルを名乗ったのは、私が連句で初めて捌きをした作品が「ダンボールの唄」という表題であったからだ。ここにその懐かしい作品を採録しておく。初捌きのこの作品は愛媛県開催の国民文化祭の優秀作品として表彰を受けた。
■半歌仙『ダンボールの唄』の巻 川端秀夫捌
秋の風百畳敷を吹き通し 村野夏生
ゆらめく月に挙げる盃 神山みち
曼珠沙華払ひてゆけば海明けて 川野蓼艸
裏声で歌へダンボールの唄 黒田多津
俎のすっぽんの甲羅やはらかき 村田実早
忘れ草など食べて仮眠す 生
コンタクトプール開きに外し見て 津
伝言ダイヤル暗証のうそ 川端秀夫
刑務所に赤きセーター着て少女 小倉流花
淋しき父とミサの鐘聞く 早
月負いて電信柱散歩する ち
魚影のごとき霧の走者よ 艸
秋渇き昼ホコテンの受験生 夫
日本人なきパリの禅寺 花
うららかにサーカスの熊総立ちに 艸
侏儒の毒舌割れる風船 早
我行けば花の重心移るなり 夫
アインシュタイン髭ひねる春 執筆
首尾 1989年9月吉日
於 東京・文京区・関口芭蕉庵
<3>
連句から私が学んだことは何であったか。それはもちろん一言では言えないのであるけれども、連句とはまず〈出会い〉と〈別れ〉が本質的な契機として含まれた芸術形式であるということだ。
〈出会い〉が連句の本質であることは割とイメージしやすい。しかし〈別れ〉もまた〈出会い〉と同じくらいに、あるいはそれ以上に連句の本質を形作っているのではないかと私は秘かに感じている。〈出会い〉と〈別れ〉という人生の重大事を、連句はその詩形式の中で何度も繰り返す。だからこそ連句は人生に相渉る芸術として生き残ることができたのではあるまいか。
別れは「一期一会」のような美しいイメージで表現される場合もあるが、「決別」という辛い別れだってある。「一期一会」と「決別」の間にも、無数の違ったニュアンスを持つ別れがあるだろう。
私は村野夏生さんとは「決別」という形で別れた。そしてその「決別」は、世俗的な事情が介在したのではなく、連句という芸術形式がもたらしたものと私は理解している。連句の神様がある人に「決別」を命じることはよくあることである。(事実、芭蕉の場合には何度もそういうことが起こった)。
連句に関わる人は、いつも新しい言葉との出会いを望んでいる。しかし、厳しい別れの体験こそが新しい言葉との出会いをもたらす事情には、存外、人は関心が薄いように思われる。
村野夏生さんとの「決別」によって、連句・わが初学時代は終わった。
※参考※⇒ 短編小説『連句への手紙』
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御サイトをいつも楽しく拝読させて頂いております。
突然に失礼ながら本年10月31日(日)11月1日(日)に開催される岡山での国民文化祭の全国連句大会のご案内に参上いたしました。
全国連句協会が以下サイトでチラシをアップロードして下さっているのでどうぞご覧下さい。
http://www.renku-kyokai.net/main/01_5.htm
後楽園の全施設を一日中借り切って江戸の大名と同じ風景を眺めながらの連句会が行われます。ご機会ございましたらどうぞ覗いてみて下さいませ。
岡山県連句協会 会長 米林 真
〒700-0904 岡山市北区柳町2-2-1
電話 086-222-6176
メール t.london@cello.ocn.ne.jp
http://london.or.tv/kokubunnsai.htm
だからこそ、「愛」は「憎しみ」よりも強い。
私の生み出した言葉では泣く、また、
ダンボールさんと同じ連句の精神から
ある人から学びとった貴重な言葉です。
そこに、著作権も何もありませんが、その方
も、生きているし、私も、これを読んでいる
あなたがたも今、生きている。それ以外に何
を、望むでしょう・・・
愛する家族も皆、生きています。
きっと、明日も。
少なくとも。
今も、永遠だけを探し求めています。
それが、文学を志してしまった運命。