「橋川さんは何を求めていたの? そして、その求めていたことの答えは得られたの?」
橋川文三ゼミの同窓会での席上でのこと。乾杯の音頭がすむかすまないかのうちに、究極の質問を、幹事のO君が仕掛けてきた。いきなりのことで、誰も即答できず、その時は他の話題に流れたのだが、三次会に移って、再びO君が皆に訊ねた。
「ぼくはみんなと一緒に橋川さんに学んだけれども、他の分野へ行ってしまった、離れてしまったという気持ちを持っている。だからみんなに聞きたい。橋川さんはけっきょくのところ何を求めていたのか。で、その求めていたことの答えは得られたのか」
この問いに、M君は、「それは自分で答えるべき質問だね」と、賢者らしい答えで返した。なるほどそれは名答だとは思ったけれども、O君の核心をついたある意味で愚直な質問に感動し、ぼくは自分なりの答えを述べてみようと思った。
「橋川さんの問題意識の中心には、日本のファシズムとは何かという問題があった。もちろんそこから遡って研究は進んだのだけれども、最終的にはその中心に置かれた日本のファシズムとは何かというテーマに、橋川さんは還っていったのではないか」
すぐさま横から、「でも、橋川さんは詩人だった」と声が上がった。その声で、ぼくの答えは一瞬にひび割れてしまった。橋川さんは思想史の研究者であったことは確かだが、橋川さんの本質は詩人であるということが決定的であった。橋川文三ゼミの同期生のメンバーには、誰しもそういう思いが確かなものとして共有されている。だからもっと違う別の答えが必要だったのだ。
宴も終わりに近く、再びぼくは別の回答を披露してみた。
「橋川さんの仕事にもそれ自体に推移がある。橋川さん自体の思想史があったのだ。ダンテの神曲は、ダンテの魂が死後の世界を地獄・煉獄・天国と巡る話だが、橋川さんの仕事も同じように三層から成り立っている。『日本浪曼派批判序説』は自分の魂を切開する労作であり、あれは橋川さんの地獄巡りだ。そこから時代を遡って行き、さまざまな人の煉獄に生きる世界を描いた。これが橋川さんの本来の日本政治思想史の仕事になる。しかし最後には橋川さんは白鳥の歌のような調子を帯びた美しい語り方に到達している。まるで歴史を天国から見渡す視線を獲得しているかのごとく。したがって、橋川さんの仕事の全体は、地獄・煉獄・天国の三層を描いたダンテの神曲という作品とパラレルだ。これが橋川さんが何を求めていたのかという問いへのぼくの回答だ」
この話を聴いて、橋川文三研究家の肩書きを持つM君が、「それは誰も言っていない仮説だ、書くといいと思う」と、同意を示してくれた。
この好日シリーズで、ソクラテスを取り上げ、次に橋川文三を論じたが、この二人には共通点がある。二人とも、若者を愛し、友愛のみを信じた。その場にはいつも友愛に満ちた対話が残された。それがソクラテスと橋川文三のいる宇宙で起こった出来事であった。
ソクラテスのことをしのびつつプラトンが友愛の対話篇を創造したように、いつかぼくも橋川文三の不可思議な偉大さをもっと具体的に語るべきであろう。だが準備は整っていない。今は思いを一つの歌に託すのみ。
若者を深く愛する神ありて もしもの言わヾ、かれの如けむ
★ダンテ『神曲』連続講義|今道友信
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