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岳温泉の話-1  盆踊りのヤグラ   2014.6.6

2014年06月06日 | 岳温泉の話
夏休みの計画の話も始まる頃になった。
夏休みを締める、岳温泉の盆踊りが準備に動き出すのもこの頃だ。
今年は盆踊ヤグラを新設するとの話もある。
今回、現在のヤグラを作った者として、語り継がなくてはいけない事と思い、書き始めた。

岳温泉観光盆踊り大会が、ヒマラヤ大通りで始まったのは、岳温泉が国民保養温泉に指定された昭和30年夏の事と聞いている。
その頃、会津東山温泉の盆踊りは名高く、大先輩の方々(現在80歳位以上の岳の会長様メンバー)が声を掛け合い視察に行き、立派な鉄骨造りの化粧ヤグラを見て羨ましく思い帰岳したらしい。
これを機に、岳温泉にも鉄骨造りのヤグラを造る気運が高まった。
福島民報社が、岳温泉盆踊り大会の後援を降りた事から、当時の福島民友新聞社二本松支局 局長の田代氏の計らいで、福島民友新聞社(次より民友新聞社と記)が後援をスタート。
岳温泉盆踊り大会打ち合わせと称し、民友新聞社太田事業部長一行が来岳。
打ち合わせと称されたが、旅館 宝龍荘でマージャン大会、そこに岳若連会 大内進会長 他 若連幹部が事業部長一行に鉄骨のヤグラ造りを直談判。
根負けした太田事業部長は承諾した。
懸案の鉄骨造のヤグラも新調され、今日の岳温泉観光盆踊り大会の基礎となった。
この件について、具体的な話の内容は誰も聞いていない。
今、この事を知る人は鈴木泰二氏と、私の母位になってしまった。
後に思ったが、「私の親父も、肉屋のおじちゃん、扇屋のおじちゃん、みんなみんな、良く集まってマージャンしていたよな~」

1997年
約30数年後の岳温泉観光盆踊り大会、民友新聞社からは事業部他、木下会長らも泊り込みで支援に来岳していた。
日曜日の夜は、木下会長もヤグラに上り、踊り楽しんだ様子だった。
そして終了後、木下会長は岳温泉観光協会役員らに、「このヤグラも古くなった。グラグラして危ない。来年は盆踊りのヤグラを新調しましょう。民友新聞社はこれからも協力します。」
との言葉を残し、岳温泉を出発した。
この話は、当日中に当時の岳若連(私たち)に伝わったが半信半疑。
本当の話なのか?確かめる目的もあり、民友新聞社の都合(木下会長の居る時)に合わせて、次期会長の私、副会長神田義浩君 佐藤朋芳圭君の3名で、盆踊り大会終了の挨拶に、民友新聞社を伺った。
話は30分もかからなかった。
民友新聞社の応接室に通され、少しして事業部長と木下会長が入ってきた。
短い挨拶の後、察していたのか会長から盆踊りとヤグラの話が出た。
「グラグラして怖かった。何かあったら民友新聞社も社会から非難される。」と語り、挨拶後に席を去った。
その後事業部長との会談となり、「会長が言った事なので、事業部としても来年の事業として計画を検討します。」と話があり、「岳若連も、来年早々動きが始まり次第、打合せながら進めたいと思います。」と話、深々とお礼の挨拶のあと、事業部長と別れた。
後で知った事だが、福島民報社は東山温泉盆踊りの後援を続けていた。東山温泉盆踊りのヤグラも老朽化から建替えが行われるらしく、福島民報社が数百万円を用意したなどとの根拠のない話があった。
今回の事は、この事が背景にあった事は確かだと思った。

1998年
無散水消雪道路、ロードヒーティング工事が決定し、ヒマラヤ大通りの道路工事と盆踊り大会が重なった。
○×道路の説明と努力で、「盆踊りは出来るようにします。」と確かにその年の盆踊りは予定通り決行できた。
また、岳若連は4月から動き出す。
岳温泉観光協会 理事の方々にアドバイスを頂き、ヤグラの形を募集した。
旧ヤグラはリップ鋼をボックスの形に溶接して6m70位の通し柱4本造り、道路建築限界高を考慮した、道路より4.3mの高さから、C鋼一本物を梁りと、片持ち梁として、その上に板を乗せて踊場を造った。
通し柱の4.3mの間は張力筋が側面に4組ずつ、系16本により強度を確保していたと覚えている。
縦揺れはないだろうが、ヤグラが捻られるような揺れはおきるだろうし、おきたと思う。
鉄が新しいうちはまだ良いが、鋼材の肉が薄いため、経年劣化により揺れもおおきくなってきたと思う。
使い続ければ、錆びや金属疲労によりに壊れただろう。
また踊場が4.3mの高さで、踊り子が見えにくいし見えない、との不評もあった。
確かに、4.3mの高さは、一般住宅の2階部分よりも高い。見上げていれば首が痛くなっただろう。
さらに、ヒマラヤ大通り中央の水路と緑地帯に納めなければならない。
これらの問題を解決できるヤグラの案を募集し、3~4件の案が出された。
5月の春祭りの前に、岳若連歴代会長会議と称し、岳若連の歴代会長と、温泉神社総代、岳温泉芸妓組合長と、昨年からの経過を説明し、ヤグラの理想の形を相談した。
そして現在のヤグラの形にが決まった。
「説計、施工はどうする。」の質問に、二本松青年会議所で先輩だった「久能鉄工所と、三瓶工務店を予定しています。」と答えた。
設計図面が起き、概算見積により、鉄鋼工事が1,000,000円弱、基礎や木工工事が300,000円位、テントに100,000円弱、諸経費に100,000円と、計1,500,000円の予算となった。
この事を、若連総会にて説明し、岳温泉観光協会理事会(次より、理事会と記)にて説明、設計図面を黒板に張って誰でも見れるようにし、質問や意見を求めた。
不安になったのはこの頃から。説明しても聞いているのかどうか、質問や意見が出てこなかった。ここで止まっているわけにもいかず、計画を進めるしかない。
一番心配なのはお金の事、久能さんには「支払が遅くなるかもしれないけど!」と先に話はした。
「いいよ!」とは言われたが、具体的なことは話さなかったし話せなかった。
6月の上旬に概要がまとまり、若連幹部3人と、相談役の神田久昭君に同行をお願いし、福島民友新聞社へ4人で伺った。
事業部長に、地元のこれまでの経過、ヤグラの図面、予算の事を説明した。そして事業部長から、
「この件について、これは民友新聞社だけで行う事ではない。お祭りは地元が主になって行う事で、地元に協力するのが後援者の仕事だ。資金については民友新聞社3分の1、福島中央テレビ3分の1、地元3分の1出し合う。その他例年のポスター、手拭い、提灯などは例年通りとします。福島中央テレビには私から説明と了解をとります。」との話だった。
「解りました、宜しくお願いします。お世話になります。」と私たち。
挨拶して民友新聞社を後にした。
全額お世話になれるものと思い込んでいた、自分たちの浅はかさにはガッカリしながらも、前進した事に嬉しさと身が引き締まる思いを感じた。
この事も、理事会に報告。聞いてはいるようだが、相変わらず反応は薄かった。
また久能さんにも、ヤグラの製作をお願いした。

7月中旬
道路は表層工事まで完了していた。
夏休みに入る前にヤグラを建てる。
部材の加工も終わり、工事は始まった。
角型鋼管で柱を造り、H型鋼の梁でできた全長約13mの踊り場。頑丈で揺れない。創造したより大きく、頑丈な出来上がり。
作業の後で、上棟式のような事をして会員で酒を飲んだが、昨年までと一変した為、不安が大きかった。
工事の費用は建て方16万円位だったと思う。この費用も想定外だし、解体時の費用も考えてなく、片付けた時、何処に保管するのか?
また、踊り場周りで31m位あり、「提灯を提げた時の電気量は大丈夫なのか、」など、と問題が出た。
また、「新しいヤグラなのだからヤグラを飾る紅白幕も新調しよう」となり、費用はどんどん膨らんだ。
そんな事を話しながら、皆も作業の疲れと心配からか、酒を飲んでも盛り上がらず、早々に終わった。

協賛金集めもこの頃からだ、昨年の協賛者だけでは昨年並みにしか集まらない。
佐藤副会長と2人で新規開拓を始めた。いつも雑誌を買っている本屋さんに飛び込み、説明し、「いくらでも結構ですお願いします。」と2千円
不安を紛らわす為か、暇があれば2人で新規開拓と頑張った。
大通りを歩いていると、○×道路の現場監督から声をかけられた。
「会長さん、お世話になってます。この作業所からの協賛です。宜しくお願いします。」と大きな赤のし袋。
「ええ、いいの・・、ひょっとして地域対策費」などと思ったかどうかは忘れたが、遠慮なく頂いた。



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8月22日 盆踊り本番
朝からヤグラの飾り、音響のセットなどその他いろいろと準備に追われた。
新しいヤグラの為勝手が違う。「アンプをどこへ置くの、商品をどうするの、」と場当たり的な問題をその都度解決し、天気にも恵まれ、予定通り開始する事が出来た。
踊り場が広く、「踊り子、何人必要ですか?」と岳温泉芸妓組合より不安な話もあったが、何とか間に合わせてもらった。
2日間とも天気には恵まれ、事故も無く終了する事が出来た。

盆踊り大会は終了し、片付け等は終わったが、ヤグラの片付けが残った。
保管場所が決まらなければ解体できない。
困った挙句、久能鉄工所に解体と保管をお願いし、費用に16万円位要したと覚えている。
よって解体は9月になってしまった。
またヤグラを大きくした事で、毎年、組立と解体に30万円位の費用を要する事になり、負担を増やしてしまったような思いもした。
「以前のヤグラの部材を新しくして、同じものを造ればよかったのかな~」と同級生で前会長の聖ちゃんに呟いた事があった。
「いや、皆の意見でやった事、これはこれでよかったんじゃないかい」と言われた事が嬉しかった。

民友新聞社、福島中央テレビから入金があり、観光協会にも支払を求めたところ、「おまえな、皆に協力をしてもらい、会員らから協賛金を集めておいて何言ってんだ。お金が必要なら今回の決算書なり出して、幾ら足りない位の事を言え。」と、鈴木泰二会長(次より協会長と記)に言われ、その場は、「分りました。確認します。」と下がった。
もっともだ、地域協賛も頂いている。協会長だって若連OBしかもあの大内進会長時代の幹部だ。子供が小遣いをネダルような事を言った自分が浅はかだった。

岳若連には100万円の定期預金があった。
これは、先輩たちが「何かあった時に使うように」と代々残し伝えられた。
今回の支払は額が大きく、民友新聞社等からの入金と、支払の時間差で資金ショートが想定され、この定期預金の使い方に若連幹部会で議論になった事があった。
「何かあった時」とは何か、「今がその時でないのか」と言う意見に対し、「協賛金は昨年以上に集まったようだし、会員の減少で賄い費も減少している。入金があれば昨年以上に繰越が残せるかもしれない。」
結果的に大口の支払は9月までかかり、定期預金も次の代に残した。
次の理事会で「皆様のおかげで無事支払も出来ました。」と挨拶して、協会長もニコニコしていたように覚えている。

今思えば、いろいろお世話になった34歳夏だった。
このタイミングに岳若連会長になった事を誇りに思い、お世話になった方々への感謝の気持ちは忘れてはいけない。
今回、岳温泉復興90周年記念誌を、一部分参考に致しました。
私の記憶が正しければ、復興110年まで後2年と思います。
110年記念誌があるとすれば、その後の盆踊り大会も盛況に語って頂きたい。



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