2年前に、大学の先輩で、ブルーグラス同好会の創始者、尼の御大のパーティが同じ場所で開催されました。私たちの一番身近な先輩の還暦を祝う、ということで、1年前から徐々に準備を重ね、当時の部員や後輩たちの消息も掘り起こしていき、SNSにかなりの人数も集めて情報の交換をして、となかなかすばらしい動きでした。おかげで私も長年音信不通だった元バンドメンバーと再会ができたり、近頃はめったにお目にかからなかった先輩方とお会い出来たりしたのです。でも、それは還暦を迎えられた御大が、スペシャルな先輩だった、ということが大きかったのだと思っていました。言ってみれば還暦祝いの名を借りた大掛かりな同窓会?
もちろんこのクラブには毎年新入生が入ってきてるので、実はその翌年も還暦を迎えられた方がいらっしゃいます。(はずですが、浪人とかの関係でどうやったかな?)その次がうちの相方の年。彼の同期も何人もいたので、その皆さんも同じく還暦。・・・で、なんで相方だけがパーティをしてもらえるのだろう?そして、そのために私はどんな立場で動いたらいいんだろう?そんな逡巡の中で日々が過ぎていきました。
会場を押さえたり大まかな企画をしたりは、御大の時と同じく、私と同期のK谷くんがほとんどやってくれました。2年前は、メインをクラブのOBと捉えていたので、まずはそこから人数集めをして、それ以外には主役の元バンドメンバーや学外のお友達にお誘いをかけたのですが、今回は相方のバンド遍歴がすごいので、それだけでも十分フェスができるやろう、と割と簡単に考えていました。でもよくよく思い返してみると、若い頃のバンドメンバーは今や全国に散っています。その後のメンバーも忙しい人が多く、結局バンド単位で揃ったのは3つだけでした。(デイジーヒルも入れて、です。)
私の立場が、単なる後輩だったら、もっとあれもこれも、ってアイディア出したり動いたりしたんだろうなあ。お祝いされる側の身内、って微妙です。あっという間に日が迫り、集客も大してしないうちに当日になってしまいました。
見事に白紙のプログラム。というのも、演奏者も当日になるまでわからない状況だったからです。まあ、きっちり決めた会ではなく、ゆるいフェスみたいな感じにしようか、っていうのがコンセプトだったのでそれはいいんですが、いったい何人来てくださるのか、そしてそのうち何人の方が歌いたい、演奏したい、と言われるのかがわからない、というのはものすごくコワイことです。時間が足りなかったらどうしよう、せっかく来たのに2曲だけ?って思われたら申し訳ないなあ、なんて色々思い悩んでいました。
御大の時は、彼のシルエットが大きくプリントされたTシャツを記念品にいただいたのですが(これがなかなかかっこよくて愛用しています。)そんなことも何も考えてなくて、直前に思いついたのがビンゴか抽選会。ちょうど田舎に帰るので、そこでしか売ってないようなものをドカッと買ってきて、と相方に頼みました。
一応名産品のかまぼこは、季節柄外さないといけないのが悲しかったです。そういえば、結婚式の引き出物も、かまぼこにしたかったのに真夏だったからスルメに変更しましたっけ。28年も前のお話ですが。地元の名物しそわかめやら、ウニやら、お菓子やら、嬉しくないけど現総理の親元のお墓が町内にある関係で、そんなお菓子やら、地酒も用意しました。参加人数が少なかったら当たる確率は高いです。
来てくださる方へ、粗品をお渡しして、それとは別に一枚もののプログラム代わりの何かを渡したら、と思い相方に振りました。ところがプリンターの調子も良くないのに、ハガキサイズのチラシの裏にバンド遍歴をかいたものを、それもカラーで印刷しようとし、途中でハガキがなくなって買いに走りました。これが当日朝のできごとです。私の頭にはA4サイズのご挨拶+これまでのバンド名か何か書いたもの、ってのがあって、それなら途中で足りなくなってもコピーでなんとかなります。わざわざカラーで『赤字が現行バンド』なんて書いたらカラーコピーしか無理やん。このあたりにこのコンビの意思疎通がうまくいってないことが見て取れます。
何とかかんとか無理やりごまかして61個粗品作成。この時点で私と下の娘は出発しました。まあ主役なんだから後で来てもいいでしょう。まだ着替えもしてなかったし。
続く。・・・・そのいくつまで続くのか、まだ私にもわかりません。
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