ひな菊の丘から

葦谷砲台

車で移動途中、「ここは昔、軍用の引き込み線があったところ」と説明を受けたので、後ほど再訪し写真を撮った。ここ数年、友人に付き合って廃線跡を欠かさず訪ねていたのに、今年はそれができなかったので、ここで見ることができて良かった。別に廃線跡には何の思い入れもないのだが。



その後、日本板硝子村を通る時は亡くなったあの方を思い出し、



舞鶴引揚記念館が橋のたもとにある、クレインブリッジを渡り、






トンネルを二つ越すと、火力発電所に行きつく。



そこからはぐるぐる山道を走る。舗装は途中まで、道幅は狭く、絶対に行き会えない。時々、「ポツンと一軒家」のADさんのモノマネをして「ああ~、落ちる、落ちますよ」なんて言いながら到着したのがこちら。



この「日本遺産 鎮守府」というのは翌日も何度か見ることになるのだが、ここは明治時代の遺構で、陸軍の砲台跡。広場にはぽつんとひとつだけお墓があった。どんな由縁があるのかはわからない。墓石は古かったが周りは新し目で、恐らくどちらからか運んできたものだろう。そして、もうひとつ、N井さん曰く、「便所跡にまた便所作ったんやろうね」



煉瓦造りの建物





角は直角ではなく曲線なのだが、煉瓦もそれに合わせてアールを付けて配置してあるのだそうだ。写真では見づらいか。





この建物はⅬ字に曲がった部屋があって、そこが暗くて蝙蝠のとてもいい出産場所になるらしく、たくさん確認されてるそうだ。写真を撮ってみたが、うまく撮れず、そうこうするうちに飛び立ってしまった。赤い色の辺りに少し。



中の様子







ここも撮影に使われたようだ。



友ヶ島で見たより規模が大きく感じたが、こんなのが周辺にまだいくつもあるらしい。



建物の横に階段が作ってあり、そこを登ると展望できる場所があった。



冠島、オオミズナギドリの繁殖地で、島は上陸禁止になっているらしい。



この丸いところに大砲を置いていたそうだ、知らんけど。



さて、ここで今日たいへんお世話になったガイドのN井さんとはお別れ。記念撮影しなかったので、車中からで失礼だったが、写真を撮らせていただいた。セサミストリートのマスク、可愛かった。N井さんは森林インストラクター、でいいのだろうか?この日いただいた資料(コスプレイヤーの女性が作った冊子)には、そう書いてあった。



N井さん、今度はマンドリン持って来て遊びましょうね!

その後はすぐ近くのこちらへ行き、



馬を見て





橋を渡って。あ!これを読んでる方で、海の上に等間隔に浮かんでいるこれ、何かご存知の方ありますか?相方が知りたいらしいので。



この日の宿に到着。ん?ちょっと読み間違えたらすごい名前のホテル。

コメント一覧

デイジーヒルようこ
永井さん、早速回答いただき、ありがとうございます。さすがだわ・・・。
何やろなあ、何やろねえ、と言いつつ通り過ぎました。ものすごく良くわかりました。
永井
海の等間隔について。これに興味持たれるのはさすがです。
この近くに合板工場があって、そこで使う材料の木材(丸太)を水中貯木していたのですが、丸太を固定していた杭のようなものです。その後、東舞鶴港は貿易船が入れなくなって、いまは水中貯木やってませんが、係留場所はそのまま。(水中といっても木は浮くので水上というべきか。でもフツー水中貯木という)
ちなみに、この合板工場は引揚者の一時居留地の跡地です。一時居留地→高専(開校時)→合板工場。合板工場の近くに復元された引き揚げ桟橋があります。
あ、ちなみに合板は昔は南洋材(ラワン材)で作っていましたが、その後、南洋材の丸太輸出が禁止になって(加工品の輸出はできる)、北洋材(ロシアのカラマツ)に切り替えられたけど、ロシアがカラ松の輸出関税上げるとがめんどくさいこと言い出したので、国産のスギ中心に変わってきています。
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