今日は、同じ大学に勤める2人の日本語教師とともに、大連日本語教師会の定例会に参加した。
会場の日中友好大連人材育成センターに行くため、大連に来て初めて路面電車に乗った。この路面電車202路は、満州つまり日本統治時代に敷設されたものというから、おそらく母も昔この路面電車に乗ったこともあっただろう。大学近くの「黒石礁」(ヘイシージャン)駅の案内をみると、私たちが向かう反対の終点が「小平島」となっていた。大連に来る前に母から聞いた話だが、ここに軍の施設があり、母たちは挺身隊としてそこで働いていたそうだ。そのことはまた別の機会に書くとして、その小平島から来た電車に乗り私たちは、それとは反対側の終点「興工街」(シンゴンジェ)まで向かった。バスと同じように、最初に1元を入れる。
「興工街」とは、土木工事の街というような意味だが、今は賑やかな繁華街といったところだ。そこから15分くらい歩いたところに日中友好大連人材育成センターはあった。
私は、もちろん初めてだが、一緒に行ったお二方は何度か来たころがあるという。私たち3人は老齢とは言いたくないが、すでに還暦を過ぎているので、私は何となく、日本人教師=現役引退組つまり年寄を想像していたのだが、なかなかどうして、会場には若い女性が何人も(男性も少しいたかもしれない)。話をしていくうちに、彼女たちの何人かは、日本語教師の資格を取り、ここ大連の企業で日本語を教えているようであった。どういう経緯を経て決心したのは知らないが、そんな若い人たちがいることも知ってほしい。
さて、今日の例会テーマのテーマは「大連の日本語教育動向」であった。大学のおける日本語教育が、ここ数年でどのように変わったか。断片的ではあるが、いくつか印象に残った点を記したい。
・ある大学では、日中関係の悪化に伴い日本語学科を第1志望とする学生が激減した。
・日本語学科卒業が一般企業で歓迎されない。2人の報
・また、他の大学では、ついにと言うべきなのかどうか、これまでに行われていた学生への日 本語学習が廃止になった。
背景にあるのは、むろん政治である。そして経済関係がすでに、日本を中心にまわる時代が終わったことにもあるのだろう。
その後は、いくつかの班に分かれて、「日本語教育の課題」「敬語の教授法」等について、話し合った。敬語については、これまで日本語教師をやって来られた方々はみなさん苦労しておられるようだった。聞くと、中国語は、ほとんど敬語表現がないらしい。大学のクラブ活動なども先輩・後輩の上下関係もなくフラットなものらしい。それっていいではないか、とも思う。
そもそも、日本の敬語ってなんだろう?身分社会の名残?儒教の影響?でも本家の中国には敬語はない!社会の円滑法?なんで日本はこれほど敬語が発達しているのだろうか。
最後に、参加者の1人が言われた言葉、日本語教育は政治のため、冬の時代を迎えることとなた。しかし、この冬が終われば春が来る、それまでに蓄えておこうと。そうなればいい。
会場の日中友好大連人材育成センターに行くため、大連に来て初めて路面電車に乗った。この路面電車202路は、満州つまり日本統治時代に敷設されたものというから、おそらく母も昔この路面電車に乗ったこともあっただろう。大学近くの「黒石礁」(ヘイシージャン)駅の案内をみると、私たちが向かう反対の終点が「小平島」となっていた。大連に来る前に母から聞いた話だが、ここに軍の施設があり、母たちは挺身隊としてそこで働いていたそうだ。そのことはまた別の機会に書くとして、その小平島から来た電車に乗り私たちは、それとは反対側の終点「興工街」(シンゴンジェ)まで向かった。バスと同じように、最初に1元を入れる。
「興工街」とは、土木工事の街というような意味だが、今は賑やかな繁華街といったところだ。そこから15分くらい歩いたところに日中友好大連人材育成センターはあった。
私は、もちろん初めてだが、一緒に行ったお二方は何度か来たころがあるという。私たち3人は老齢とは言いたくないが、すでに還暦を過ぎているので、私は何となく、日本人教師=現役引退組つまり年寄を想像していたのだが、なかなかどうして、会場には若い女性が何人も(男性も少しいたかもしれない)。話をしていくうちに、彼女たちの何人かは、日本語教師の資格を取り、ここ大連の企業で日本語を教えているようであった。どういう経緯を経て決心したのは知らないが、そんな若い人たちがいることも知ってほしい。
さて、今日の例会テーマのテーマは「大連の日本語教育動向」であった。大学のおける日本語教育が、ここ数年でどのように変わったか。断片的ではあるが、いくつか印象に残った点を記したい。
・ある大学では、日中関係の悪化に伴い日本語学科を第1志望とする学生が激減した。
・日本語学科卒業が一般企業で歓迎されない。2人の報
・また、他の大学では、ついにと言うべきなのかどうか、これまでに行われていた学生への日 本語学習が廃止になった。
背景にあるのは、むろん政治である。そして経済関係がすでに、日本を中心にまわる時代が終わったことにもあるのだろう。
その後は、いくつかの班に分かれて、「日本語教育の課題」「敬語の教授法」等について、話し合った。敬語については、これまで日本語教師をやって来られた方々はみなさん苦労しておられるようだった。聞くと、中国語は、ほとんど敬語表現がないらしい。大学のクラブ活動なども先輩・後輩の上下関係もなくフラットなものらしい。それっていいではないか、とも思う。
そもそも、日本の敬語ってなんだろう?身分社会の名残?儒教の影響?でも本家の中国には敬語はない!社会の円滑法?なんで日本はこれほど敬語が発達しているのだろうか。
最後に、参加者の1人が言われた言葉、日本語教育は政治のため、冬の時代を迎えることとなた。しかし、この冬が終われば春が来る、それまでに蓄えておこうと。そうなればいい。