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峠越えれば

峠境に むこうとこっち 峠越えれば別の国

一景一句(29) 山茱萸

2008-04-02 | 一景一句

山茱萸に明るき言葉こぼし合ふ  鍵和田秞子

 庭先の山茱萸の固い蕾がようやく割れ、ぎっしり詰まった黄色い花瓣がのぞいている。浅間山麓の標高千、周囲にまだ花の気配はない。近くに三椏が一株あるのだが、こっちの方は、上に伸びないで地面に丸くなり、蕾なのか花なのか、灰色の球形を枝先につけ、俯いたまま、冬の終わりからこの方、一向に変化の兆しがない。

 同じ山茱萸が、千曲川に近い里の方に下りると、春黄金の名そのまま、鮮やかな黄色が春をつげ、遠くからもよく目立つ。先月中旬、これは峠のこっちの方で、たまたま高尾山で、咲ききった三椏を見つけ、その見事な黄色にびっくりした。白濁した黄色の印象しかなかったのだが、日当りその他環境の違いであろうか。

 花の印象は、土地や時期によって随分と異なり、花そのものを詠もうとすると結構難しい。山茱萸もよく詠まれているわりには、納得のいく句が少ない。「さんしゆゆの盛りの枝の錯落す」(富安風生) 「さんしゆゆの花のこまかさ相ふれず」(長谷川素逝) 詠んでいる本人としては、山茱萸はこのようなのであろう。 

 「山茱萸といふ字を教ふたなごころ」(西村和子) 山茱萸、そのまま読めば「さんしゅゆ」であり、ひとに教える時、きまったように稗つき節の「庭の山しゅの木に」が出てくる。山茱萸には、この唄のイメージも重なっているはずで、数年もすれば、ひび割れ、皮が捲れた白幹の、年古りた風情は独特で、やはり鈴をかけるならこんな木が似つかわしい。「山しゅ」は「山椒」だとする説もよく聞くが、それも悪くない。「山茱萸をいまの齢のよしとする」(山口誓子)

山茱萸の既に黄の濃き蕾かな  高浜年尾

一景一句(28) 春立つ

2008-02-05 | 一景一句

髪切って立春の日の一歩かな  中澤澄子

 「立春の光の棒に射ぬかれる」(吉田健治) 「陽当たりて幹白光に春立てり」(中野あけ美) 立春の前日、珍しく雪が降り、どうなることかと思っていると、翌日は朝から晴れ上がり、気温も一気に上がって、どこもかしこも光に溢れ、いかにも立春。身体の方はというと、ここ数日既に春を納得している。俳句に親しんでいると、旧暦の、本来の暦のままの季節の循環に、ごく自然に反応するようになるものらしい。言葉の呪力かもしれない。

 近所の公園の桜並木、左右から古木の枝が迫り出し、やがては見事な花のトンネルができあがるのだが、立春の今日、見上げると、この間までの「裸木の枝の先まで意地通す」風情はなく、どことなく小枝の周囲が潤み滲んでおり、蕾をつける直前の気が放たれているかにも見える

 「春立つや雪降る夜の隅田川」(角川春樹) 「オリオンの真下春立つ雪の宿」(前田普羅) 「立春の甲斐駒ヶ岳畦の上」(飯田龍太) 立春と断ると、それだけで降る雪も積もった雪も、そのまま融けてしまいそうな艶やかで温かなものに、景色を変える。

 立春を年の初めとして、一年を巡らせる智恵は、余程深く風土に根ざしており、人の生理にもかなっている。気づいてみれば漢字文化の周囲の国は、どこでも今週あたりが「春節」、盛大に正月を祝っている。西暦の使い勝手がいいのなら、併用すればいいだけのことで、本来の暦の名残が俳句の世界だけというのは、やはりどこか情けない。暦などいくつあっても、土地により国により様々であって何の不都合もない。自前の暦を持つというのも悪くない。

春立つや愚の上に又愚にかへる  一茶

一景一句(27) 水仙

2008-01-22 | 一景一句

水仙の背筋正しくけふに処す  村田脩

 「一茎の水仙の花相背く」(大橋越央子) 「水仙の花のうしろの蕾かな」(星野立子) 近くの公園の日溜まりに、冬ざれの中、水仙だけが生気を放っている。写真は、花が多いように見えて、これで三茎、ここでは「相背く」ことなく、行儀良くこっちを向いている。どこにでも見かける本来の日本種なのだが、向き合ってみると、純白の六瓣の中に、もうひとつ杯のような黄色い副花冠をつけ、色と形の取り合わせが面白い。

 「水仙や来る日来る日も海荒れて」(鈴木真砂女) 「野水仙海荒るる日は濃く匂ふ」(高橋悦男) 水仙というと、水辺、海辺の印象が強烈で、歳時記には大方その手の句ばかりが載せられている。鈴木真砂女のような海辺育ちだと生活臭もあるのだが、わざわざ遠くの海辺を訪ねたような句ばかりが目につく。

 「家ありてそして水仙畠かな」(一茶) 山国育ちの経験からすると、水仙は庭石の脇などによく植えられ、珍しくもないのだが、冬の花であって、冬には咲かない。庭の雪を掻いたりすると、偶然その芽吹いている様を発見したりする。雪中の緑がまぶしく、蕾もはや膨らんでいたりして、「雪中花」そのままである。

 「水仙の葉先までわが意志通す」(朝倉和江) というような句も歳時記にあるのだが、「(20)枯木」で引いた「裸木の枝の先まで意地通す」(佐賀日紗子)と比べてどんなものなのだろうか。この類の句より、近世の「水仙に狐遊ぶや宵月夜」(蕪村) 「水仙や夜はかくるる月の中」(二柳) なんかの方が、水仙の色と形の面白さをよく捉えているようにも思える。正岡子規の「古寺や大日如来水仙花」も分かりやすい。野面の磨崖仏か石仏の大日如来であれば、もっとよいかもしれない。

水仙のしづけさをいまおのれとす  森澄雄

一景一句(26) 冬の梅

2008-01-20 | 一景一句

張りつめたものから開く 寒の梅  鷲山千晴

 「寒梅の固き蕾の賑しき」(高浜年尾) もう大分咲いているかもしれない。寒入り間際の百草園、八重の紅梅が、少しだけほころび始めていた。澄んだ寒気の中に、次第に張りつめてゆく蕾の様が見てとれる。寒中に限れば、梅は、日に日に力を漲らしてゆく蕾の方に見所があるのかもしれない。

 「寒梅に遠く粗朶折る音の山」(小浜十四子) 「ゆつくりと寝たる在所や冬の梅」(惟然) 梅は、その言葉の響きからしてどこか懐かしい。在所の春は、梅と共にあり、寒中、梅は人に先立って胎動を始める。惟然と同じ近世の句に「寒梅や雪ひるがへる花の上」(蓼太) のような句もあるが、寒中の厳しさや、冬の眠りの深さとは無縁で、あまり感心しない。

 「寒梅を手折るひびきや老が肘」蕪村はさすがで、自ら描くところの、あのぎくしゃくした「窮屈な」梅の枝振りも踏まえて、冬の、老の厳しさをよく詠み込んでいる。

 「わが胸にすむ人ひとり冬の梅」久保田万太郎の、好きな句の中の一つ。これは冬の梅でなければならないし、上の写真のような八重も困るし、色もやはりすっきりとした白がよい。

 「晩成といふはなかなか梅寒し」(高橋純一) 懐手をして、うそぶいているようで面白い。「冬梅や悲喜をわすれしにはあらず」(加藤楸邨) 寒中、手足のみならず、表情も、気の持ち様も、強ばってしまうのはいたしかたない。老いてはましてやであろう。

寒梅やひとの微笑のまぶしくて  中村菊一郎

一景一句(25) 山茶花

2008-01-14 | 一景一句

山茶花の散りしく木の間くらきかな  久保田万太郎

 万太郎の詠んだ山茶花は白か紅か。この写真とは違い、白かもしれない。俳句に詠まれる山茶花は白が多いのだが、周囲にはそれほど見かけない。土地柄であろうか。近くの公園の山茶花が相変わらずこぼれて、積もった枯葉を彩っている。いい加減見飽きているのだが、夕日を浴びたり、ふいに日が射したりすると、突然表情を変え、その鮮やかさに驚かされる。小暗い中に浮かぶ白でも同じかもしれない。

 「無始無終山茶花ただに開落す」(寒川鼠骨) などという乱暴な句もあり、「ふと咲けば山茶花の散りはじめかな」(平井照敏) 「山茶花は咲く花よりも散つてゐる」(細見綾子) 山茶花はどうやら、咲いた花よりもそれがこぼれ散った、その様の方が面白がられるようになってしまったらしい。「ながながと咲く山茶花を素通りす」(渡邊佳代子) 冬の間、同じ表情で咲き続け、花の方は見飽きられてしまったか。

 「霜を掃き山茶花を掃く許りかな」(高浜虚子) 「山茶花の散りしく月夜つづきけり」(山口青邨) 「山茶花のこぼれつぐなり夜も見ゆ」(加藤楸邨) 「乱雑に山茶花散るよ泣く子にも」(金子兜太) みな同じである。

 しかし、次々に散り常に鮮やかさをうしなわない、地上の花瓣は時にこんな句を生むことになる。「山茶花や金箔しづむ輪島塗」(水原秋桜子) 「山茶花の落花並べば 神遊び」(伊丹美樹彦) 「山茶花の根もとの夕日掃きにけり」(西山誠)

山茶花の散るにまかせて晴れ渡り  永井龍男

一景一句(24) 臘梅

2008-01-13 | 一景一句
臘梅を無口の花と想ひけり  山田みづえ

 寒中の百草園、八重の寒紅梅が、日当たりを選んで少しだけほころび始めている。近づいてみるとよく香る。感心して、よくよく周りを見ると、匂いは隣の臘梅のもので、こちらは見事に咲ききっている。人の目はどうしても華やかな方に向いてしまう。

 臘梅を最初に知った時の驚きを覚えている。冬の最中、満開の花らしきものがあるのだが、それを花と納得するには、しばらくの間が必要であった。春を先取りするわけでもなく、人の予期しない時に、こっそり咲ききってしまいたいといった風情で、これは何だという感じであった。

 地味な印象は、花が俯いていることにもよる。見る者に笑み掛けたりはしない。下から覗き込んで、ようやく花の素顔が見える。薄い花瓣が透けて淡く光り、形はなるほど梅らしくもある。「臘梅と幾度も答へ淋しき日」(安部みどり女) 「臘梅やいつか色ます昼の月」(有馬朗人) 臘梅を詠んで、感心する句は少ないようにも思うのだが、「昼の月」はさすがで、ぴったりである。

 臘梅について、近世の記述を二三拾ってみる。「梅に似て梅にあらず」「色によらば〝淡黄梅〟」「その花、黄蝋色に似たり」「蘭の香に似たり」「臘月に小黄花を開く」臘月は十二月。

 「咲ききりし臘梅の蝋透き通る」(長谷川朝子) 「臘梅を月の匂ひと想ひけり」(赤塚五行) そのままを詠めばこんなところであろうか。上の写真は、町内の素心臘梅という改良種で、花芯の暗紫色がないので、より臘梅らしい。名前もよい。

臘梅のひかりに未知の月日透く  谷内茂

一景一句(23) 寒の水

2008-01-09 | 一景一句

見てさへや総身にひびく寒の水  一茶

 「冬の水一枝の影も欺かず」(中村草田男) 江戸の観光スポット百草園が、私鉄の数駅先にある。梅が、種類も多く見事なのだが、寒に入ったばかりのこの時期、人影はほとんどない。園内に心字の形に巡らした池が、秋に紅葉で赤く染まっていたのが嘘のように、枯木を映し白く澄み切っている。草田男の句のままである。

 「冬の水佇み見たる美しき」(後藤夜半) 流れ動くことを止めた冬の水は、不思議な明るさを放っており、それを見ている人も含め、そのままが絵になる。モノクロの墨絵であり、冬の水に見入っていると、余計なことはいつの間にか忘れている。「明るさへ気を変へてをり冬の水」(岡本眸) 冬の水は人を明るくさせる。

 「生国の白無垢明り寒の水」(奥山甲子男) 冬の水、とりわけ寒に入ってからの、寒の水はということであろうが、これは体内に直接取り込んだ方がより分かりやすい。冬の水の澄み切った明快さが、身内から溢れてくる。

 「寒九の水山国の血を身に覚ます」(野澤節子) 寒中の水を、身体によいものとして、薬のように考えてきたというのは随分面白い。「寒九の水」は季語であり、寒に入って九日目あたりの水は、特によく効く。「寒九の水五臓六腑をつらぬけり」(浅井民子) 「寒の水噛みて天寿に逆らはず」(安田とし子) 寒の水は飲むというよりは噛む。

 「総身にひびく」、骨にひびくような寒中の水が、時に、人には薬なのであろう。次は、「クリスマス地雷一億地に殘し」というような句も詠んでいる今田述のもの。

豆腐手に泳がせて売る寒の水

一景一句(22) 去年今年

2008-01-02 | 一景一句

去年今年いやでも残る足の跡  牧稔人

 谷筋一つ違っただけで、雨が降ったり降らなかったりは、山麓では珍しくない。風向きで、他で降った雪が運ばれてくることがよくある。舞うという。雪が舞い、うっすらと積もった坂道を途中まで来て、振り返ってみると、いやにくっきりと足跡が残っている。立ち止まったり、上空に気を取られて左右にぶれたり、寄り道をしたり、そんなのが一目瞭然で、子細に観察すれば、足跡から、体調や気分まで読み取れるかもしれない。やっかいなものを残さないことには、前には進めない。

 「去年今年」は新年の季語で、近世にも「若水や流るるうちに去年ことし」(千代女)のような句もあるが、やはりよく詠まれるようになったのは、虚子の影響であろう。「去年今年貫く棒の如きもの」これを、年が明けたと言っても、変わるのは心持ちだけで、すべてが変わるわけもなく、変わりようのないものがあり続ける、というような風に解してみても、どうということもない。その変わらないものを、変哲もない「棒」に例えたところが虚子の手柄で、以来、「去年今年」は、前後に何を置いても句になる、何とも不可思議な季語となったのである。

 「大欅白樹しんしん去年今年」(斎藤夏風) 「煙吐く山ををろがみ去年今年」(坪井洋子) 前回までの流れで、見慣れた欅の大樹や白雪の浅間を念頭に置くなら、このように詠むこともできる。

 以下思いつくままに。「去年今年同じ速さで寿司回る」(尾たかを) 「電飾の秒よむ平和去年今年」(山典子) 「篁に風吹いてゐる去年今年」(角川春樹) 「地球から見えざる地球去年今年」(三橋敏雄) 「星降りて水田にこぞる去年今年」(秋元不死男) 「夢もなし吉凶もなし去年今年」(森澄雄) 「深海の生死は無音去年今年」(藤田湘子) 「去年今年去年今年とて今更に」(能村登四郎)

 なるほど「おのづから俳は人なりこぞことし」(加藤郁乎)である。 一つ選ぶとすればこれであろうか。

なまけものぶらさがり見る去年今年  有馬朗人

一景一句(21) 枯木星

2007-12-30 | 一景一句

宿り木は葉をつけしまま大枯木  清水幸子

 近くに欅の大樹があり、根元に小さな社が祀られている。枯木のあちこちに丸い鳥の巣のようなものが見える。よく見ると宿り木で、この句のままである。常緑の別種を寄生させた立ち姿は周囲を圧し、樹齢はとうに百年を超えている。

枯木星またヽきいでし又ひとつ  水原秋櫻子

 「妻恋へり裸木に星咲き出でて」(石田波郷) 「風立ちて星消え失せし枯木かな」(芝不器男) 冬は空気が澄み星がよく見える。枯木越しに見える星が「枯木星」、季語である。ここに詠まれた枯木も欅と思いたい。

 欅を盆栽に仕立てるには箒の形にする。それ以外では様にならない。やってみたことがあるが、これが難しい。腰高にならないようにして、幹から同じ太さの枝を張らせたいのだが、どうやってもバランスを欠いてしまう。枝が直線で上へ上へと伸び、天を突く形が欅本来の姿で、関東とその周辺では、冬はどこにでもある。星を払う箒といったところであろうか。

 「叫ぶほかなし武蔵野の枯れ欅」(松尾火炎樹) 「今も目を空へ空へと冬欅」(加藤楸邨) 「冬欅一樹で足りる故郷は」(澤草二) 「分別や十一月の大欅」(三浦澄子) 冬に欅と向き合えば、句は自ずとこうなる。

 これも近くに、落雷で焼けた欅の大樹が残されている。胴回りは大人数人が両手を広げたほどもある。武蔵、上信州、大樹といえば欅で、西の方の楠とよい勝負なのだが、常緑の楠は、冬に特別目をひくわけではない。次の欅も、春先の、まだ枯木である。

耕して高き欅を野に残す  大串章

一景一句(20) 枯木

2007-12-28 | 一景一句

くりくりと立派に枯れし堅木かな  一茶

 夜の間にうっすらと雪が積もり、紅葉が終わった後の殺風景な庭が、少しだけ表情を変えている。紅葉が数枚いまだに散り残ってはいるが、主役はとっくに枯木の方に移っている。

 「くりくりと立派に枯れし」とはまた随分大胆な言い方で、「雪とけてクリクリしたる月よ哉」とかもあり、いかにも一茶らしい。隠れようもなく、あからさまであることをいおうとしている。雪と散り残った紅葉を引き立て役にした、この野放図な幹の様と枝振りはなるほど「くりくり」でよいのかもしれない。遠景にあるのは、これもさっぱりと葉を散らした隣の唐松林である。

 「枯木らは枯れし高さをきそひけり」(成瀬櫻桃子) 「枯木にて枝のびのびと岐ちをり」(上田五千石) 「省くもの影さへ省き枯木立つ」(福永耕二) いずれもそのままを詠んだだけなのだが、葉に覆われて隠れていた、木本来の姿を目のあたりにすると、その印象は、だいたいこんな風になる。

 これが落葉樹以外だと、文字通りの枯木にならないことには、そのあからさまな裸をさらすこともないのだが、冬の間だけ、ひとの関心も他に逸れている、その合間をぬってというあたりが面白い。気づかなければそれまでで、そんなところに、あえて目を向けるのが俳句ということになる。

 「裸木の枝の先まで意地通す」(佐賀日紗子) 枯木の側にもう少し心を添えてみると、こんな句にもなるのであろう。

裸木となりて思はぬ偉容かな  中田多喜子

一景一句(19) 初雪

2007-12-27 | 一景一句

はじめての雪闇に降り闇にやむ  野澤節子

 暮の浅間山麓、夜中雪の降るのは気配で分かる。障子を少し開け、覗いてみると案の定、雪が舞っている。実際には、もう何度目からしいのだが、雪の夜に来合わせたのは、これがこの冬の最初、初雪ということになる。

 朝起きてみると、うっすらと雪化粧した程度で、昼頃にはみんな融けてしまった。前の冬、東京の新雪は三月の中旬になってからで、観測史上最も遅いとか話題になったが、このあたりでも、雪は随分少なくなっている。暮らすには、楽で助かるのだが、物足りない感じがしなくもない。

 葉を落とし、実だけになった庭のガマズミが、雪に映え異様に美しい。やはり、新雪や初雪には、赤い実が似合う。「初雪の見事に降れり万年青の実」(村上鬼城) 万年青やらガマズミやら千両やら、近くの畑には枸杞もあり、雪の朝真っ赤に耀いている。

 「樹に残るリンゴ初雪のせ撓む」(大橋枯草) 真っ赤な林檎に冷たい白い雪、これもこのあたりでよく見かけられそうな光景なのだが、雪が大分遅くなった今ではどうであろうか。

 「新雪の千の白糸浅間嶺に」(相馬遷子) 林檎に雪がのる、その前に雪はまず浅間に降る。こんもりとしたドームのような山頂に、溶岩流の跡に添って、幾筋も白線が走り、その日の中に消え、それを幾度か繰り返し、雪はやがて里まで下りてくる。「初雪や水仙の葉の撓むまで」(芭蕉)

雪降る夜心遠くへゆきたがる  中条 明

一景一句(18) 冬の林檎

2007-12-08 | 一景一句

紅けぶる冬の林檎をかくし持つ  小檜山繁子

 浅間山麓の林檎園、地面すれすれまで枝を撓ませ、鈴生りの「ふじ」が、なぜか落ちるにまかせ、放置されている。真っ赤に色づいた林檎が、小春日の中に散乱し、随分贅沢な光景ともいえる。冬の保存林檎で、子供の頃「国光」というのがあったが、「ふじ」はその交配種。生産量世界一の優良種なのだが、このところ他の新手が出まわって、過剰気味なのかもしれない。「国光」があった頃、よく食べた「紅玉」はいまでも健在で、酸味の利いた味、真紅の色、掌に収まるほどよい大きさ、これが一番林檎らしい。

 太祗に「世の花の色に染めたるりんごかな」があり、近世にも詠まれているが、これは別物。その後の西洋林檎の流入で、あっけなく淘汰されたところをみると、柿や梨などと違って、たいして取り柄のない果物だったのであろう。林檎は季語としては、ごく新しいということになる。

 西洋林檎は、ハイカラであると同時に、どうしてもアダムとイブ、禁断の木の実といった連想を誘ってしまう。「星空へ店より林檎あふれをり」(橋本多佳子) この林檎は、「リンゴの唄」に近く、ハイカラな林檎は、もうこれ以上には詠めそうにない。「林檎の木ゆさぶりやまず逢いたきとき」(寺山修司) 、これだと比喩が勝ち過ぎ。林檎と俳句はそれほど相性がよくない。

 「樹のリンゴ地上の妻の籠に満つ」(津田清子) 「林檎落つアダムの空の深きより」(加藤耕子) 林檎は、女性の方が上手に詠めそう。「逢ふ人に渡さむと抱く冬林檎」(真保喜代子) 林檎を抱いたり、「かくし持」たり、これは若くなければ無理。女性でも若くもないが、田付賢一に、「いまごろになって恋する冬林檎」「週末は朝寝している冬林檎」がある。冬林檎ならこれでいい。「冬林檎宇宙ひろがる話して」(鎌倉佐弓) これはニュートンであろうか。

りんご食みいちづなる身をいとほしむ  桂信子

一景一句(17) 残菊

2007-12-05 | 一景一句

残菊の濃きつめたさの薄暮光  鷲谷七菜子

 「晩菊の間髪もなき花の蕋」(石塚友二) 残菊と呼ぶべきか、晩菊と呼ぶべきか、十二月初の今頃になって、小菊が蕊を伸ばし花粉を散らしている。

 十月の初、掘り返されて道端に捨てられていた株を、色も分からないまま、持ち帰って植えてみたらどうにか根付いた。蕾が五つあったが、さすがにこの時期、後に咲いたものほど花は小さく、不揃いなのはいたしかたない。それでも頼もしいことに根元に新芽をつけているし、冬の菊もよく香る。「残菊のなほはなやかにしぐれけり」(日野草城)

 「湯の山の村村おなじ小菊かな」(泉鏡花)「顔抱いて犬が寝てをり菊の宿」(高浜虚子) コスモスが終わった後、浅間山麓の村では、どの門口にも菊が香って、これが初冬まで続く。他の花が目立ちすぎるのか、重陽の節句、九月の菊の印象はあまりない。残菊や晩菊が菊本来の花季なのかもしれない。いったん根を下ろすと、菊は寒暑、乾湿に耐え、よく殖える。菊人形のような無茶なことができるのも、並外れて丈夫な花と見込まれてのことであろう。

 「菊を観てみな善人になっており」(野村畝津子)「晩年や収支に遠く菊咲かせ」(小宮梨夫) 丹精を凝らした大輪でなくても、たとえ野菊であっても、その香りは同じで「君子」に変わりはない。自ずから襟を正させる何かを備えている。「わがいのち菊にむかひてしづかなる」(水原秋櫻子) 宮沢賢治が、俳句を残していることを最近知った。菊を詠んでいる。

たそがれてなまめく菊のけはひかな  宮沢賢治

一景一句(16) 返り花

2007-11-29 | 一景一句

言ひ訳のごとくぽつりと返り花  片山由美子

 「日あたりてまこと寂しや返り花」(日野草城) 近所の生け垣に、季節外れの躑躅が数輪咲いている。通り過ぎてから返り花と気づく、そんな感じの咲き方で、初夏に葉を圧倒して花だけ一斉に咲き誇っていた、それとはよい対照をなしている。色も薄く、花びらも透き通って頼りないのだが、よくよく見ると、一輪の花としてはなかなかに美しい。「返り花きらりと人を引きとどめ」(皆吉爽雨)

 「薄日とは美しきもの帰り花」(後藤夜半) 上の写真は、それを撮ろうとしたものの、日が陰ってぼんやりしているので、出直そうとした矢先、急に裏の方から日が射し込み、花の輪郭がくっきりした一瞬の艶姿で、いかにも返り花らしい。冬のやさしい日差しに返り花はよく似合う。

 「満開の夢をみてゐる返り花」(高橋悦男) 返り花は、俳句では人気があり、よく詠まれている。気まぐれに咲いているわけもなく、小春という気象の悪戯に、ついつい乗せられてしまっただけのことなのであろうが、季節外れの狂い咲きには、さまざま想いを託すことができそうで、面白い。「返り花旧き良き代をさながらに」(富安風生) 「返り花食らつてしまふ肩透し」(大木涼子)

 「腰のばし背のびして観る返り花」(松下米) これは桜の梢なのであろうが、躑躅や山吹、卯木といったあたりをよく見かける。今年の夏の終わり、庭の古い躑躅の株が葉を落とし、それでも花を数輪咲かせ、ついに枯れ果てた。これは返り花ともまた違うような気がするが、こんなこともある。「帰り花咲けば小さな山のこゑ」(飯田龍太)

昼の月漂ふ空や返り花  山本梅史

一景一句(15) 夜の霜

2007-11-24 | 一景一句

パン種の生きてふくらむ夜の霜  加藤楸邨

 上の句とはたまたまの偶然でしかないのだが、峠のむこうで時々パンを焼く。前の晩に仕込んでおくと、自動で勝手にごとごとやって、朝には焼き上がっている。寒い朝、焼きたての温かいパンは殊の外美味い。便利なもので、自動炊飯器の延長で、こんなものまで作ってしまうのだから凄い。それはそれとして、パンの発酵と霜の取り合わせは絶妙。

 標高千に近い浅間山麓でこの時期霜は珍しくない。明け方の冷え込み具合で霜の予想はつく。よく晴れた朝はたいてい霜が降りている。上は、隣家の野沢菜で、真っ白に霜に覆われ、畑の土もこちこちに凍っている。「霜をきて風に動かぬ草となる」(彦坂範子)

 日が昇って霜が解けると、この野沢菜が常にも増して瑞々しく葉を茂らしている。野沢菜は何度か霜にあて、その後に収穫し漬け込む。冬の漬け物といえば、野沢菜に限るのだが、東京で食べても野沢菜の味はしない。これは霜と何か関連があるのかもしれない。

 「霜の墓抱き起こされしとき見たり」(石田波郷) パン種などという、面白いところに目をつけた加藤楸邨にも「死や霜の六尺の土あれば足る」がある。どうも霜から来る連想は、白髪であったり、その先の死であったりで、いきおい厳しいものにならざるをえない。霜は冬の到来を告げ、それに立ち向かう覚悟を促し、勇気をも与えてくれるのであろう。

 「遠嶺より霜の強さを掴みだす」(松澤昭) 「強霜の富士や力を裾までも」(飯田龍太) 霜の厳しさの大本はといえば、それは、いち早く銀嶺となって耀く遠い山々にあるのであろう。「余生なおはぐれて一人畦を焼く」と詠む村上子陽に次の句がある。

霜蹴って少年明日をかがやかす  村上子陽